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デザイナーとしての転機ーわたしのアパレル変歴⑤ー

おはようございます

今朝も雨がシトシト降ってますねー

昨日は母の日で夫と娘にお花選んでもらって
プレゼントしてくれたので、とても幸せでした
いちゅも、あぃがと!が刺さりました(笑)

なので、ママ業も適度にゆるく頑張っていきます

さて、まさかパート⑤まで続くと思って書き始めてないのですが
今回でもまとめ終わる気がしないので
(書き始まる前から)

もう少し続くと思います
お付き合いください

前回はこちら↓

【7社目】プリンシプル

この会社は、当時レディースカジュアルのニットカットを得意とする
OEM/ODM会社

どっちかというとほぼODMで、企画・提案が得意な会社

OEM/ODMとは

簡単に説明すると、
OEM=相手先のブランドで相手先のデザインで制作・生産を請け負う
ODM=相手先のブランドでこちら側から企画、提案、制作、生産を請け   
負う

商社との協業でブランド側へ営業に行くことも多い

入社してすぐ前任のデザイナー(辞めちゃう若手のホープ←言い方(笑))
からの引継ぎと、商談の準備
企画のやり方も、プレゼンの仕方も全く違う汗

まず、イラストレーターで資料作ったことない 致命的
フォトショップ、触ったことない まじで

提案材料として参考サンプルを都内で集めたり
社内で使えそうなサンプルを使ったり
がっつり量も魅せられるようにつくる

前任の子がとても企画・プレゼンの上手な子で
更にプレッシャーがかかり、焦った

焦っててもしょうがないので
かぶっている1ヵ月くらいでどうにかやり方盗まないといけない

はじめての商談

覚悟はしていたけど、ど緊張

お客様は、部長・生産・MD・企画・企画アシスタントだったかな
5名はいたはず

こんな人数相手にプレゼンしたことない やばいぞ、わたし

変な汗かきながら、一緒に組み立てたプレゼン内容をはなし
サポートで前任の子も話してもらいつつ―――

この時のことは、あたま真っ白であんまり覚えていない

とにかく終わったーって感じだった

これひとりでやるの?これから

すぐにその日はやってきて
彼女は別の会社のブランド側のデザイナーになるそうだ
うんうん、なんか分かる
向いていると思うよ、がんばれ
(まず、自分ががんばれ)

さて――――――――

次回の商談、どうしよ

プレゼンマップ作成も、組み立ても見てもらいながら
2回商談したけど
次から完全ひとり

相手は大手だし、
ポカしちゃいけないしなぁ(自分でプレッシャーかけるやつ)

その間にも、納品前検品やら提出サンプルやら届くから
検品したり、協業の商社担当者にも報告したり
業務が山のようにある

別のチームも見てみると
一番多いチームで3人(一番売り上げがある)
でもそこはそれでも回らなくていつも終電ギリギリ

わたしの場合、忙しさもあるけど
要領がまだ悪くて、毎日同じく終電間際だったので
一週間経ったころには
「あれ?いつからいたっけ?もう1ヵ月経った?」
「まだ一週間(笑)」

そんなこんなで月日が流れて
色んなブランドと関わるようになっていった

某大手ギャルブランドの仕様書起こしや
某大手老舗アパレルの昔からあるブランドの子ども服のプレゼン、
新規アパレルへのプレゼンなど
お手伝いさせてもらった

中でも印象的だったのは
岡山のアパレルレディースブランドの依頼

あまりアパレルの知識がない女の子2人と一緒に作っていこうという
はなしで、岡山から月2で都内に来てもらって
長々打ち合わせ

会ったこともないけど、HPで見た社長が強烈で
オリジナルソングもあった

2年もすると、アシスタント付けてくれていたので
その子と二人三脚でいろんなことしていった

やれることとやれないことを知る

後輩に教えるのも難しいよね

企画もデザインもプレゼンの仕方もお客さんにもよるし
使っている工場背景によっても出来る出来ないことがある

難しい仕様がきれいに縫製できる工場は限られるし
その分値段(縫製工賃)も高い

そういうことはやってみないと分からないから
ほんと常識って一言でいっても
知識がたくさんいる

実践が一番身につく

わたしもプレゼンで最初のようにガッチガチにはならなくなったし(笑)

人気のブランドと、誰しもが知っている某ユニ○ロの安価版のブランドを
兼任しながら、何年か経った

某○○さんは、プレゼンが上海で行われてたから、毎回大変
全部でプレゼンのために作成するサンプル80~100着ほど
(それ全部仕様書書いて、依頼するのよ!!)

作ったものを海外運んで、持ち帰るから、
空港で何度も商品を運んでるんじゃないかと
怪しまれたよね・・・
持って行ったもの持ち帰っただけなんだけど

ニットもカットも沢山作った
布帛はそこまでの量がなかったけど、パタンナー上がりなので
ちょこちょこ依頼もあったり

ここでは丸6年間、働かせてもらった

なぜ辞めたのか―――

最後の1年、担当したラウンジウェア
いわゆるルームウェアが当たってて、
メンズ・レディース・キッズすべてのルームウェアを担当したことから
他からも依頼が重なって、
メインのファッションより、そっちが比重が多くなっていた

自分が出した結果だし
評価されてのことだからありがたいのだけど
やっぱりわたしはルームウェアがやりたくて、この仕事についているんじゃないし
ファッションの最前線で働きたかったから

辞める決意をした

ここで、この会社に入ったことで、大切な仲間が出来た
なんだろう、戦友みたいな

今でも仲良くさせてもらってて
同じ業界にいる心強さもあったり、ママ友でもあったり
出会えてよかった人と会えた会社なので

今までよりも深く心にある会社である

今はオリジナルのブランドも作ったりしているようで
お披露目の際に見に行かせてもらったりしている

辞めることにはなったのだけど
本当にいい経験と出会いをもらったので大感謝!!!

あとがき

今日も最後までご覧いただきまして、ありがとうございます

思いがあふれて、やはり1社でおハナシ終わってしまいました汗
でも!
残すは、あと1社です(笑)

違うことも書きたいので、明日には完結できるかな?

今日も一日健やかに過ごせますように

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よろしくお願いいたします
では、また♡


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