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【大人の読書感想文】文明の衝突 サミュエル・ハンチントン著

割引あり

皆さんこんにちは。
人道支援家のTaichiroSatoです


 プロローグ

僕は、海外活動(中東やアフリカ)をしている時いつも日本人のアイデンティティを強く感じます。国が変わる、環境が変わる。僕の周りにいるマジョリティが変われば、自分とは何者か、今の集団の中でどんな存在でなのかを考えざるを得ないのかもしれません。

日本人の僕。言い換えると日本文化人としての僕。
目の色や肌の色など容姿風貌の違いや使用言語だけでなく、世界中の歴史の変遷や宗教からくるそれぞれの人の中に流れる文化とは何か。アイデンティティとはなにか。世界各地で違ったアイデンティティを持った人たちや違う社会・文明は共存するできるのか。
そんなことを考えるための具体的なサンプルをもらった、そんな本でした。

今回の大人の読書感想文は「文明の衝突」サミュエル・ハンチントン著を投稿していきます。
本書を読むにあたり、それぞれの人生経験に基づいて読み進めていけると、とっても興味深い本ですが自身のアイデンティティを海外で感じたことが無かったり、西欧の人々やムスリム(イスラム教徒)の人たちと全く接点がない方は少し読み進めるのが難しかったりするのかもしれません。
ただ、僕個人としては、「分かる、なるほど。」と、頷きながら読み進めることが出来た有意義な上下巻でした。普段から世界で活動し、多種多様な文化とアイデンティティに囲まれている僕なりの視点で読書感想文を書いていきたいと思います。

※今回の投稿は約1万字なので、少し長くなる。大体読み終えるのに15~20分程かかるが、参考になると思うので是非読んでみてもらいたい。

【大人の読書感想文】「文明の衝突」 サミュエル・ハンチントン 著

国や宗教の違いだけでなく、文化・文明に着目し「争いではなく共存を」この人類が歴史的に何度も模索しながらも導き出すことのできなかった難解を紐解こうとし、ある種の著者の挑戦のような志を感じる本だった。この本自体は1996年に初版となっているが、20年以上たった2024年の今読んでも十分に納得して読むことができる、興味深い内容だった。

1.日本は世界で唯一の国 ~「僕たち」と「それ以外」~

本書で僕が一番 ほぉ、なるほど と思ったのは、アメリカ人である著者が日本を世界で唯一の国だと述べた事にある。
いったい何が唯一だというのか。
それは、日本が1つの国で独自の文明があるとカテゴリー分けしたことにある。日本人特有の思想をもち、そこには他国と違った文明が存在するというのだ。

ハンチントン氏は、文明を8つにカテゴリ分けしている。
・西欧文明
(イギリス、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国とアメリカ)
・東方正教会文明(ロシア)
・イスラム文明(中東、北アフリカ、インドネシア)
・ヒンドゥー文明(インド、ネパール、スリランカ)
・中華文明(中国やベトナムなど中華文化圏)
・日本文明(日本)
・ラテンアメリカ文明(メキシコ以南)
・アフリカ文明
(※多様であるためこれを一つの文明としてとらえられるのであれば。)
世界を8つ文明に分けることができ、日本は世界で唯一、単一国として文明を持っているというのだ。ここでカテゴリーに分かれた文明を理解することは、争いの歴史が続いている人間社会で解決へのきっかけを見つける大事な手掛かりとなる。

文化 と 文明。
皆さんはこの違いが説明できるだろうか。
本書でも、ネット検索でも様々な説明がなされているが、ここではあえて僕なりの理解した文化と文明について説明してみようと思う。

文化とは:
その地にある独特の衣食住、言語、行事など生活全般に関連していること、という表現がわかりやすいだろうか。これは風土による影響を強く受け、その地に適した居住空間や食事、服装だったり芸術だったり多岐にわたる。青森地方を一例にすると、青森の方言や、ねぶた祭などは青森独特のものであり、それは他の地域にはないものだ。文化は、その地で生活する集団(数千人~数万人規模)の人的要因によって築きあげられていると言えるのかもしれない。

文明とは:
一方で文明は、文化の集合体と考えると分かりやすいかもしれない。より大きな枠組で社会を構成し象徴しているもの、抽象的な表現をすればその場所の雰囲気といえる。文化は人に依存するのに対し、文明は人が生み出したものの結果である。人口として考えると数十万人~数千万人以上といったイメージで、その規模の集団が社会を象徴するものを作り上げている。

日本文明を見てみる
文明、ここではあえて日本の雰囲気と表現してみる。日本らしい雰囲気は、建築物に象徴されることが多い。例えば寺や神社は日本建築の代表的なものであり、日本人らしさ(日本の雰囲気)、思想、を見事に表現している。ここには、少ながらず信仰している宗教が含まれてくる。よく日本人は無宗教だという人を見受けるが、国際看護師の僕から見たら 立派な有宗教国で神道と仏教を見事に融合した形で人々の生活に溶け込んでいる。神社と寺が日本各地に存在し、年始には初詣という国民的な行事が行われている。
また、日本の死者への対応も独特だ。誰かが亡くなれば火葬する。僕の友人のムスリム(イスラム教徒)たちも、キリスト教徒たちも、この火葬に関しては到底理解の範疇を越えているらしい。僕はこの手の話を友人たちと議論すると永遠の平行線をたどり、火葬を理解できる人間は仏教徒やヒンドゥー教徒だけなんじゃないかと考えざるを得ない経験を多々している(あくまで喧嘩をしたという経験ではなく、お互いの事を理解することが限りなく困難、もしくは人によっては不可能であると感じたということ)。こういった自身の経験から火葬は日本人の生死感や死後の世界へのイメージというものを象徴しているように僕は感じている。僕らの生活に溶け込んだ神道と仏教の融合は言い換えると日本人的思想を形作っているものなのかもしれない。さらに、武士道や日本古来から伝わるバランスの取れた処世術・集団社会との関わり方とういのも日本独特のもので、多かれ少なかれ地域性や個人差はあれど日本人で日本人的処世術を全く理解できないという人はないだろう。

文化のところで例に出した青森の人も、歴史的に少し違った文化を持つ沖縄もきっと同じ「日本人的な感覚」を持っており、それが 日本人としての雰囲気 を作り出す。このわかりにくい感覚こそが僕たちのアイデンティティの正体であり、このアイデンティティこそが 文明 を形作っているものの正体ではないか、と僕は本書を通して考えたのだった。
文明 ≒ 雰囲気 の違いを理解することは一体どうゆうことなのかを本書のヒントも得ながら更に考えていこう。

「僕たち」と「それ以外」
文明(雰囲気)を一番わかりやすく体感するには、「僕たち」かと思えるか「それ以外」と思うか、だ。
どの立ち位置から今自分がいる世界を見ているかによって大きく状況は変わってくるので、これを読んでくれているあなたの経験したことや今いる環境によってこの考え方は幅が出るのだが、分かりやすい例を使いながら考えてみよう。
関東人と関西人をイメージしてみる。これが何よりもわかりやすい。誰しもが経験したことあるであろうこの構図。よく人は「関東の人はーー」「関西の人はーー」とそれぞれにスレテオタイプ(決めつけたイメージ)を持ち、関東圏、関西圏それぞれの集団のことを同胞という意識を持つ。それと同時に他方を異質の人たちと感じる。これが文化の違いである。
しかし、関東人も関西人も同じ日本語を話し、同じ教育を受け、初詣に行き、火葬する。関東でも関西でも青森であっても、概ね同じ雰囲気の街並みがあり(ヨーロッパとも中国とも雰囲気が明らかに違う)、関東であっても関西であっても日本人として「僕たち」と思えるはずだ。
この僕たちか否かと判断する背景には、歴史であったり、宗教であったり、教育や言語、建築様式や生活など様々なものが影響してくるわけであるが、本書でも取り上げられているように、重要なポイントは僕たちが「それ以外」と感じた時、歴史的にどう反応してきたのかという事を考えることだ。

西欧か否か
歴史的に、特に近代に入って、西欧がリードする形で世界経済が回り、軍事的にも力を持ち、世界を支配していった。
西欧文明が正しい。それは発展しているものであって、それ以外は遅れている、そんな西洋の傲慢があったのではないかと筆者は述べている。
冷戦が終わり共産主義が崩壊。時代は2000年へと近づき(1996年初版当初)ある変化が起きていると筆者は指摘する。
それは、西欧の衰退・世界人口に対する人口割合の減少とイスラム教人口の爆発的増加、中華文明の影響力の飛躍だ。
今までは、西欧主導でもなんとかなっていた。しかし、人口の流れが変わり、目まぐるしく動く世界経済の中で、それぞれの文明が力をつけたり衰退することで今までの西欧強の文明構図が変わりつつあると述べている。
具体的には、イスラム人口は増えることにより西欧との不調和が生じているというのである。西欧文明は宗教と政治を明確に切り離しているのに対し、イスラム文明は宗教と政治が密接である。さらにどちらも唯一神教であり互いに寛容であれない事も背景にあるのだろう。イスラム諸国の核保有、軍事力の増強も影響しているのではともハンチントン氏は指摘している。
西欧の普遍的な文化を広めようとすることによっておこる不調和と、それを広めようとする能力の衰退。西欧か否か。そのバランスは今や崩れつつあり、そこにイスラムの不寛さ、中華文明固有の独断と拡大がそれぞれの文明が衝突する要因とし、今の世界の混沌を作り上げているというのだ。

<ハンチントン雑学①>
仏教は宗教であって文明にあらず。
ハンチントン氏が面白い表現をしていた。8つの文明に分けた時、概ね文明とは宗教と相関しているが、仏教だけは文明としてカテゴリーにしなかった。僕自身とても興味深く なるほど と納得したのを覚えている。
あえてここでの解説はせず、みなさんにもぜひ本書を読み解きながら考察してみてほしい。

ハンチントン主張とタイチロ解釈より

「それ以外」への拒絶反応
鎖国に代表されるように日本は排他的で独自の文化を確立してきた。ペリーが来航してからも、西欧の文化を取り入れつつもそこには確実に日本らしき文明が残り、日本国として常に 日本らしさ を維持してきた。だからこそ、日本は文明として独立した存在であるとハンチントン氏は述べたわけだが、そう上手くいかなかった世界の国々があるのだという。

冷戦時代に国として強制的にまとめられた国々。
植民地化により、強制的に他の文明や言語にのみ込まれた国々。
これらの国々は、ある単一の強力な支配のもとに統率されている時は起こり得なかったものが、それの解放と共に反発・衝突という形で顕在化した。
異宗教、異文化、人口割合、地理。強制的にまとめ上げられていた均衡が崩れた途端、分裂の危機になる。
現代(2024年時点)では既に分裂したスーダンと南スーダンの異文明、ウクライナの西側と東側での文明の違い、中国/社会主義(という名の資本主義?)と台湾/民主主義など、世界各国での強制的に国という単位でまとめ上げられた文明の違いが生み出した歪みが今も世界中に残っており、争いを繰り返している。そして1996年初版当初は著者の予想であったこと、スーダンの分裂(2011)やロシア/ウクライナ問題(2022)が、現代で実際に現実となり悲惨な結末を迎えている。

争いの終着点。文明と地理が一致しない場合の人間たちの一つの決着の形が大量虐殺や強制移民という形で終わる。いや、それは決して終わりなんかではなく、世代を超えた憎しみの連鎖となって社会に刻まれていくのだ。

2.フォルトライン戦争 ~繰り返される争いと失敗~

「僕たち」と「それ以外」。
支配と強制的な統合によっておきた異なる文明が含まれた国の誕生。
文明の違いとその先に引き起こされる衝突。
異なる文明間にある断層線上で勃発する戦争のことを「フォルトライン戦争」という。全ての暴力的な争いがフォルトライン戦争ではないが、それによるものが多いことは言うまでもない。国という単位で強制的に括られ、挙句の果てにそこに住む人たちは彼らにとって「それ以外」と感じる異文明がそこにはある。さらにたいていの場合は支配によって異文明を受け入れろと強要されるわけだ。そこに無理が生じない方がおかしいと考えるのは自然なことだろう。

では、このフォルトライン戦争のように、文明間で衝突が起こった時にはどのように解決していったのだろうか。衝突の解決方法はもちろん対話による和解が理想的だが、武力行使によって解決を試みるのが繰り返される歴史上の事実である。筆者は衝突の解決には、以下の2つのパターンがあると述べている。

1つ目は、両者ともに尽き果て戦闘の継続が不可能になる場合。
この場合の死者数は計り知れないほど大きく、両者が追うダメージも大きい。軍事レベルをはるかに超え、民衆へと加わった大きな危害によって「狂気だ!もうがまんできない」と大衆が騒ぎ、戦闘の継続の理解を得られず統治が出来なくなることによって終わる。時にクーデターとして内側から転覆することすらある。

2つ目は、力を持った三次国の積極的な介入とその下に動く二次の強制力が働いた場合。
フォルトライン戦争は、そのほとんどの場合当事者間では解決しえない。
問題は下から浮かび上がってくて、平和は上から降りてくるのだという。

紛争当事者と二次国、三次国の関係

国際的抑止と僕の疑問
こういったフォルトライン戦争の一つの抑止力となっているのが、国際的な抑止力である。国連に代表されるような国際機関が三次レベルでの仲裁や抑止に介入する。
これも立派な紛争解決への道だが、僕にはひとつ気になったところがある。
現在国連の常任理事国は、中国、フランス、ロシア連邦、イギリス、アメリカの5か国である。文明圏に分けると中華文明と西欧、東方正教会が含まれる。もちろんこの文明圏は著者が分けたカテゴリーで世界のスタンダードではない訳だが、フォルトライン戦争すなわち異文化間での紛争の抑止に働きかけるのであれば、偏りが見られるのではないか。頻繁に勃発しているイスラム文明と西欧文明との間にある衝突を三次的に抑止するためには両者の代表となるような国が必要なのではないだろうか。
現状、常任理事国にはイスラム文明の国が入っていない。本書でも述べられているが、イスラム文明には、イスラム全てを取りまとめるような大国、代表として存在する国が台頭しておらず(核保有など軍事的な力と相関しているらしく、イラン、トルコ、パキスタンなどがそれになろうとしているようだが。)、この三次的抑止力としての働きかけが困難な現状があるのだという。

終戦はいつまで続くのか
一つの戦争が終わる時。両者が尽き果てた場合も三次的介入による場合も、どちらかが勝ったにせよ、抑止力によって終戦したにせよ、その争いは未来永劫 終わりを迎えたと言えるのだろうか。
答えはNoである。
イスラエルとパレスチナの問題も、僕が関わっているスーダン紛争も、その他であったとしても、世代を超えた憎しみの連鎖は終わらない。
戦いの傷が癒えれば、消耗した軍事力が整えば、再び戦闘の火花を散らすことになる。その時を今か今かと待っている場所が世界中にあるのだ。
もしくは、圧倒的な支配によって反乱の目を徹底的に紡がれることでしか、当面の紛争を回避できないのだ。支配による戦闘の回避は、根本的な解決にはならないのが想像に難しくないだろう。

三次的な抑止力もない紛争の行方
僕の関わっているスーダンの紛争。これもまさにフォルトライン戦争であり、ニュースにすらならない。三次国のような抑止に働く国がほとんど現れておらず両者が精魂尽き果てるか、殺戮淘汰が完成するか、強制移動が完了するかの未来予想図しか今は見えない。これほどまでに悲しく、無関心が世界を無力化していくのを、僕はただ現地で見ていることしかできない。
このスーダン紛争の淘汰と強制移動が完遂したのち、時代は先へと流れ政府が転機を迎えた時、人口のバランスが変わり淘汰した側が衰退し淘汰された側が繁栄した時、様々な条件が変わったときに起こりうる負の連鎖の産物を、僕はそれが起こらないことをただただ願うしかない。そして残念ながら反逆の可能性は非常に高い。

止まることのない負の連鎖。
一時的な紛争解決と繰り返される歴史。暗雲だらけの未来予想図。
西欧の傲慢とイスラム不寛容。そして時代の流れの衰退と繁栄。
国際社会がいずれの紛争も抑止力として適切に介入できるよう在るべき姿になる日はくるのだろうか。
誰しもの中にある人間としての わずかな道徳観 を紛争当事者たちは世界に示すことが出来るのだろうか。
一番痛みをこらえている人たちが必死になって探しても、長く暗いトンネルの出口は当事者だけでは見つけることができないのだ。

3.異なる文明の調和 ~シンガポールに学ぶ~

僕らにはフォルトライン戦争をなくし、異なる文明同士が共に生きていく、いや、共存しなくとも争いなく存在し続けることはできないのだろうか。
その一つの解が本書に記されている。

シンガポール。アジアの中でも非常に小さな国の一つである。
全人口の75%が華僑(中国系)の人たちで中華文明の背景を色濃く持つ。
その他に15%がマレー系民族でムスリム、少数ではあるが5%強がインド系でヒンドゥーの人達である。要するに、シンガポールには、3つの文明が存在し、その彼らが一国として絶妙なバランスを保っているのだ。
注目すべきは、1985年~1993年までおよそ8年にわたって第4代シンガポール大統領を務めたウィー・キム・ウィー元大統領の言葉である。彼の思想は、世界の異文明の混沌に一筋の光を指すような、国民である人々の在り方と国をまとめるリーダーとしての在り方の見本であると思った。

ウィー元大統領の言葉は本書にこう紹介されている。

自己より社会を上に位置づけること
社会の基礎をなすうえで家族を支えること
主要な問題点は論争ではなく合意によって解決すること
人種や宗教についての寛容さと調和を尊ぶこと

非常に完結でわかりやすい。
これを僕なりに一人称にして意訳してみる。

自分を律し、社会構造に興味をもち大切にすること
家族を愛すること
言い負かすことではなく、相互理解と納得に喜びを見い出すこと
誰かにとっての大切なものを理屈抜きでリスペクトすること

この言葉に、異なる文明人が適度な距離感を持ちつつ、共に生活するためのヒントがたくさん含まれているように思うのだ。
世界がこれを共通の価値観として持つことが出来たのであれば、フォルトライン戦争という憎しみが固く結合した鎖は、長い年月をかけ少しずつほどけていくのではないだろうか。

僕の考える調和
僕自身も多国籍チームで活動するところに身を置いている。活動中、ウィー元大統領のようにはいかないが自分なりに意識していることを紹介してみる。

自分以外に対して、全力の興味とリスペクトを持つこと
自らそれを開示し、誰にでもわかるように示すこと
対話は個ー個レベルで行い、意思決定は社会や組織としてすること
100%の満足は作れずとも、99%の相互理解まで持っていく努力をすることこと

この最後の一文が僕の考える調和である。
お互いが100%満足することはない。
100%理解し合えることもないのかもしれない。
ただ、99%の相互理解まで持って行く為の努力をする。
相手の出方を待つのではなく自らを開示し、それを目に見てわかるように示す。その上で、個―個の対話を重んじ、社会として意思決定をしていく。このプロセスに非常に重要性を感じて出来る限り実行し99%の相互理解に努めているつもりだ。

シンガポールのように国家単位のことは僕はしないかもしれない。
しかし、違った文明から来たメンバーたちを仕事する上で、僕がこれからも大切に守っていきたい思想だ。

4.異なる文明の共存の可能性 ~世界の行く末~

ハンチントン氏は、1996年の時点で彼が考えられるフォルトライン戦争や第三次世界大戦の最悪のシナリオを本書に記載している。
一種の警告とも受け取れるこのシナリオは、それが起こっても何の不思議もないほど具体書かれていて、いかに今の世界が微妙な均衡を保っているかを理解できる。もちろん目に見える形で第三次世界大戦は起こっていないが、一つ何かをきっかけにドミノ式に各所の均衡が崩れていく、そんな脆さを指摘している。そして残念ながら、彼が危惧していた衝突の構図ウクライナやスーダンの問題は現実のものとして起こってしまったわけだ。
今後、世界大戦が起こらないと誰がいえるだろうか。
僕らの未来は、文明が衝突する運命なのだろうか。

それは違う
と、僕は信じている
未来の設計図は、自分たちの手で書き替えていけるはずだ。

共通しているところを見つける
共存や調和は、集団が大きく成ればなるほど困難になる。
だが、不可能ではない。
シンガポールもそれ以外の場所であっても、絶妙にバランスを保ちながら存在している文明がたくさんあるのだ。
僕の考える調和「99%の相互理解まで持っていく努力をすること」
これ努力のうちの一つに僕は 共通性の発見 があると思っている。

人は、共通しているものが多い人を親密だと思う傾向があるのは皆さんも経験のあることではないだろうか。
自分と似ているところが多ければ多いほど、身近に感じる。
すなわち「僕たち」となるわけだ。
ならば、異質なところを見つけて「それ以外」と決めつけるのではなく、同じところを見つけて「僕たち」にしてしまえばいい。

西欧キリスト教とイスラム教、東方正教会、儒教、ヒンドゥー様々な神と信仰がある中で、そこに共通するものが必ずあるはずだ。

人を重んじ、家族を愛する。

共通したものを見出して世界中の人々を「僕たち」と呼べるようになれば、世界は変わっていくのではないか。
それぞれが持つ文明、普遍的なものの中から共通している部分を再発見し、99%の相互理解への努力の道を共に歩むことはできないだろうか。

西欧か否か。どちらの文明が優れているのか。
高度な文明とそれ以外。
そもそも文化の集合体である文明に優劣はないし、普遍的な物差しが違うのだから比べることもない。
相手の歴史や理想、芸術や文化を学び、研究し、お互いの生活を豊かにしていくために行動にしていく。
人間としての短い一生を終えるその時まで、
大切な家族が それを支える社会が 豊かであるための生活を作る。
どの文明であっても、それは同じであるはずだ。

僕たち以外 と思われている文明と、そこに生きる人々
僕たちに一体いくつの共通項があるのか
もっともっと相手を知るアクションを起こそう、それを示そう

きっとその先に
世界中の人たちのことを「僕たち」と呼べる世界が待っている
世界中が「僕たち」の場所になる

そう、僕は
これからも国境を超える

 エピローグ

今回の読書感想文は今までで一番時間がかかった投稿となりました。
それは、経験したこと、本書を読みながら考えた事、そして僕が書きたいことを自分自身に対して言語化することはできても、この投稿を読んでくれている人に対して理解しやすい形、まとまった文章には、なかなか辿り着くことが出来なかったからです。
わかりやすく解説や理解を促しながらも、本書の良さとこれを読んでくれる方の余白も残す。そんな活字遊びをしてみたつもりです。

僕が、日ごろから紛争地で医療をしながら考えること。
なぜ争うのか
なぜ異質と思うのか
文化とは、文明とは
僕らはお互いにとっての 豊さ を認め、共有できるのか

そんなことを世界の事象を通して具体的に考えることが出来た、そんな1冊でした。そして、この投稿は僕自身がコアで考えていることをあえて読書感想文として1万字にのせるという新しいチャレンジでもありました。
長々と最後まで読んでくださった皆さんに感謝申し上げます。

少し小難しく感じることもあるかもしれませんが、興味のある方はぜひ「文明の衝突」読んでみて下さい。



※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
よろしければフォローも是非お願いします!!
また次回お会いしましょう。
Best,
Tai

✎2024年より✎
2024年1月1日 能登半島地震で被災された皆様、1日も早い安心安全な日常への復旧を願うとともに災害に関わる医療者として自分に出来る形でのサポートを模索していこうと思います。
亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
被災地への僕なりの形として、国内外の災害に精通する医療者として、日本の民間企業の災害支援事業をアドバイザーとしてサポートすることになりました。一般社団法人Nurse-Men のメンバーを中心といた民間の災害対策本部を設置し、中長期的な被災地支援を実施していきます。
ご支援いただけますと幸いです。

尚、ぼくの投稿は全文公開にしていますが、有料記事設定しています。
頂いた金額は2024年1年間は能登復興支援に活用させていただきます。
よろしくお願いします☺

「🏝Naluプロジェクト🏝」
みんなで応援し合える場所づくりとしてメンバーシップを立ち上げ運営しています。2024年で2年が経ちました!興味がある方は一緒にメンバーシップを盛り上げてくれると嬉しいです。


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