人の目 自分の目、近づいたり 離れたり
中間報告ラジオ(2024.8.15)
ごめんなさい、なんか今日は頭がボーっとしてたのでうまくしゃべれていません。
「いや、いつもだろぃ!!!」
というツッコミも受け付けております~~
創作と披露をひとつなぎで考えるべきか否か。
個人的には、
あ、いや、その前に晩酌のコーナ~~~
これこれ、これだよ。
そしてつまみはアヒージョ。
昨日もアヒージョしたから、それの残り油で今日もアヒージョ。
と、まぁ茶番はこれくらいにしましてwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
肝心の味ですが、めちゃくちゃ旨い。
ぼんじりアヒージョ™、アリだぜ
かなり
創作と披露をひとつなぎで考えるべきか否か。
個人的には、別々に考えて良いと思っている。
もちろんどんな芸術も、人に観賞されることで、ひとつ次のステップへと進められるものだと思う。
けれども、一番最初の動機はどうしたって創作者のなかにしかなくて、それを他者が100%理解することは到底できない。
僕はそれを矜持としてもいるし、なんというか、諦めみたいな気持ちもある。
それでもその創作物を見た人が、自分の経験や感情との結びつきを見出してくれたら、それは幸せだと思う。
というか、どういう結びつきがあるのか気になる、という感じ。
あなたと僕はこんなに違うのに、何が良いと思ったの?何があなたの琴線に触れたの?と聞きたくなる。
まぁいちいち言葉にさせるのも野暮だから聞かないけど。
人と人がこんなにも違って、お互いを理解するのに困っているのに、芸術は多くの人の心を動かす。
それは人間がただ単純だからなのではなくて、芸術に矛盾的に内在する広さと深さによるものだと思う。
例えば、「この音楽が『良い』」というとき、人はぼんやりとした感動とともに、自分でも理解できないほどに深く潜む記憶のドアをコツンと叩かれるような体験をする。
多くの人によって共有される「常識的な良さ」と、人とは共有しようのない「個人的な良さ」が同時に訪れる。
歴史的価値と私的価値の両方が内包される作品は、人によってそう見做すものが異なる。
だから、創作する人も、観賞する人も、その両方をする人も、みんなそれぞれのやり方で芸術をやればいい。
自分が「良い」と思えるものを追い求めたらいい。
怖がることはない。
映画『うぉっしゅ』………
ピカデリーで公開かぁ………
………………
うぅん………………
…………………………
こっっっっっっっっっっわ
キャ~~~~~~~~~~\(◎o◎)/!!!!!!
怖いよぉ~~~~~(;_;)
???『ふぅん、物語は面白いけど、何この音楽?素人さんが作ったのかな??(笑)』
ヤダァァァァァ(´;ω;`)
でも最終締切までまだ少し時間がありますから。
出来るだけ良いものを追い求めるしかないね。
頑張ろぉ~~っと
ピュ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン、カンッッッ!!!!!!!!
【育ちゃんの体重計】のコ~~~ナ~~~~~~~
初回の83.1kgから、増えて増えて減って増えて、なんやかんやありまして、
今週の記録は!
83.8kg
初回から1ヶ月で+0.7kg。
微。
でも先週から毎日chocoZAPに行ってるっぽいんで、
これから減っていくのでしょう!!!
本人も「今週から、ようやく」と言っていますので、引き続きね、
いい感じで応援していきたいと思いま~す( )
さて、夜も更けて参りました。
3:42AM。
さすがに眠いです。
なんでこんな時間になったかって??
ぼんじりの羽毛を抜いてたからだよ!!!!
Fin.
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