セカンドハーフ通信 第22話 暴走老人問題の本質について

暴走老人問題の本質について

高齢の老人の運転する車が暴走し、若い母親と幼い子をひき殺してしまった痛ましい事件について大きな議論になっている。暴走した車を運転していた老人が元官僚であり、ネットでは上級国民という言葉とともに彼が逮捕されていないことへの批判があがっている。こんな意見がでるのは、加計学園の騒動のように、今の政権が権力者に緩い体質であると思う人が多いからなのだろう。

老人が事故を起こしてしまった後、まず自分の子供に電話をかけていることも、なぜ一番に救急車を呼ばなかったのか?という批判につながっている。これはもっともなことだと思うが、老人が高級官僚であったことを考えると、まず自分のスタッフに相談するという習慣が抜け切れていないのではないかと思った。

一流企業や官僚の世界では、上にいる者にはたくさんのスタッフがついて日常の細やかなことまで常にサポートしてくれる。なにか事が起きると、自然にまずスタッフに相談するのだ。逆に言えば自己完結で物事に対応することに慣れておらず、一般的にいえば社会性が低いともいえる。彼が高級官僚、理事長だったことから、このような対応はさもありなんと思った。

今回の事故により、老人が若い母子を殺めてしまったということがけしからん、というような世代間の対立をあおるような議論が行われていることに、少し危惧をいだいている。本質的な問題が議論されていないように思えるからだ。それは運転免許の更新判定が適正に行われていない実態のことだ。

歳をとって運動能力が劣っても、なかなか免許を停止することができないというのが実情だと思う。免許返納の議論があるが、免許停止を議論すべきだと思う。もちろん個人差もあるので年齢だけで判断すべきではないと思う。

公共交通機関を利用しずらい地方に暮らす老人から自動車を取り上げられない、という意見もあるが、その問題は別の解決策、例えば乗合タクシー制度の免許の簡易化(白タク制度)などによって考えるべきだと思う。本質論がずれてはいけない。もちろん容易ではないが、柔軟に知恵を絞らなくてはならない。

この問題は政治にも関係していると思う。仮に老人の運転免許更新の認定を厳しくすることで老人の不評をかうため、政党は票が失われると根本的な議論に二の足を踏む。自分の保身で本質論をあやまるとしたら、本末転倒である。そんな政治家はいらない。

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