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科学は飲んでも科学に飲まれるな⑧感受性と想像力
これは私の身に起きた実話です。ーーー
テレビや新聞のニュースに載るために必要な条件は何でしょうか?
それは「非日常」であることだと思います。マスコミは商売上、非日常を好みます。「平凡な日常」にはニュースバリューがないからです。
しかしそれは、出来事を表面的に見た場合にしか当てはまりません。よくよく見れば、またよくよく知れば、日常の奥には無限のドラマがあります。語られることのない多彩な感情があります。その一つの芸術的表現が文学だと思います。
ともかく、そのような「平凡な日常」の奥にドラマを感じるためには、それ相応の感受性と想像力が必要になってきます。そしてここが一番重要ですが、これらの力は放っておいて勝手に育つような代物ではありません。むしろ日々意識的に、また意志的に、磨きつづけなければ錆びていく一方の力なのです。特に現代のシステム化された社会では尚更です。
日常の奥にドラマを見ることができるようになること、これが読書の最大の効用ではないでしょうか。
少なくとも私の場合はそう断言できます。というよりも、読書を続けた結果として、少しずつ「平凡な日常」をそういう風に脱却していった気がします。
私にとっては晴耕雨読が信条でした。子供の頃から、晴れの日は外で思い切り遊びました。その代わりに、雨の日と槍の日は、ひたすら独りで読書を続けてきました。
そしてある日、ふと顔を上げて、周りを見渡してみたのです。
すると「平凡だったはずの日常」が「尽きることのないのドラマ」に感じられました。あの日のことは忘れません。空はより青く、緑はより深く、人はより醜くそれでいてより美しく、すべての風景が長い歴史の連なりに見えたのです。
これは私の完全な独断ですが、日常で出会う魅力的な人は十中八九、人生のどこかで深い読書を経験した人だと思っています。そのような人たちは、感受性と想像力に溢れている人たちです。私は、その人たちが読書をしたことではなく、「感受性と想像力を磨く努力を怠らなかった」というその点を深く尊敬するのです。
もしも日常が平凡だと感じたり、日常に退屈している人がいるなら、とにかく10年間読書を続けてみてください。その効用を信じるか信じないかは自由ですが、きっと今よりは確実に、あなたの目に映る世界は豊かになるはずです。
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