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支援(ケア)のあり方

イギリスの施設ケア実践綱領

イギリスの施設ケア実践綱領の中では、「人」に対してカテゴリー化せず、異なる範疇のニーズ、特別のニーズにおいても供与できることが目指されている。三富は「これらの指針は、最低基準を示すのではなく優れた実践を育てようとするところに、その特徴がある」としている(三富2006)。基準を設けることによって、効果評価のアウトカムと関係づけることができ、効果的な援助要素が抽出される。それらは関係者、対象者とのコンセンサスを得ることが示唆される。

 

双方向性

さらに、異世代交流事業において元来支援「される」側にいた高齢者は、次世代への形成、継承という作業を通してコンピテンスを持つ事ができるとされている。それは支援のあり方として一方向性からの脱却を目指したものであり、人間関係における双方向的な多世代の関わりという「当たり前」を取り戻す過程であったのではないかと考える。今までの社会福祉サービスの整備における議論を通して、高齢者は施設に収容しそこでケアを提供するというポジティブな面と社会と分断されてしまうという2面性があった。しかしそれは他世代にとっても機会を奪われるシステムになってしまう。対話により違いという境界線を認識し、その向こう側を尊重し、相互に行き来する中での「発見」という体験が重要な意味を持つ可能性がある。

 

ケアと介護

介護に視点をずらすと、金によれば「介護」とは「世話の意味をベース」にされており、「日常生活の遂行に援助を必要としている人たちを守り助けること」と示されている(金2016)。辞典を通してみる「介護」概念も共通しているのは、対象者が受動的で、介護者が能動的である、ということだと言える。一方、「ケア」に関しては「介護」と同義で扱われることが多いと指摘されている。しかし、その本質は気遣い、願っているように助ける、愛を込めて注意して見守る、必要ならば保護するといった中動態の要素が大きいと考える。國分は中動態とはする・されるの関係性ではなく能動態と対立すると主張している(國分2017)。また、東畑はケアとセラピーについて考察し、その中でケアとは「特に、能動性・積極性・介入性を持って行われる「セラピー」(カウンセリングも主にはこちらだ)と、その場において意識されず行われ、または生起する(いわば中動態的な)「ケア」」とを対比的に語っている(東畑2019)。これは介護とケアの区別と共通する。

 介護とケアの区別が曖昧になり、また介護からケアへということが強調されている。しかし、前述した東畑の文献の中では、2分法のようにはっきりと区別することでこぼれてしまう、例外もあることを指摘している。あくまでもケアとは成分であり、人が人に関わる時、誰かを援助しようとした時には「介護」と「ケア」は両者が入り混じって、存在していると考える。

 

ケアの追求

しかしケアを追求するとは、経済性からの脱出だとも言える。ブラジュールは「「ケア」についてのイデオロギーのコンテクストを検討すれば、「ケア」の実践は、その倫理的特性が考慮されず、経済的収益性、管理経営の基準に従属されていることがわかる」とし、それに続けて市場価値を求められないものだと述べている。ケアという親密な営みは、経済性(市場)の外側にあると考える。

文献

東畑開人(2019)「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」シリーズケアをひらく

國分功一郎(2017)「中動態の世界 意思と責任の考古学」シリーズケアをひらく

金圓景(2016)「『介護』から『ケア』へ–ソーシャルワーカーによる認知症ケア–」『筑紫女学園大学・筑紫女学園短期大学部紀要11号』

三富道子(2006)「イギリスのケア基準法2000と介護職業資格–1984年『施設ケアの実践要綱』とケア基準法の比較から–」『静岡県立大学短期大学部研究紀要』

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