tatsu

作業療法士。

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作業療法士。

最近の記事

支援(ケア)のあり方

イギリスの施設ケア実践綱領 イギリスの施設ケア実践綱領の中では、「人」に対してカテゴリー化せず、異なる範疇のニーズ、特別のニーズにおいても供与できることが目指されている。三富は「これらの指針は、最低基準を示すのではなく優れた実践を育てようとするところに、その特徴がある」としている(三富2006)。基準を設けることによって、効果評価のアウトカムと関係づけることができ、効果的な援助要素が抽出される。それらは関係者、対象者とのコンセンサスを得ることが示唆される。   双方向性

    • 収容所としての施設〜リハ職の課題は?〜

      施設とはWikipediaによると「社会生活を営む際に利用する構造物、建築物やその設備。国民の生活向上に必要な公共施設を社会資本・インフラストラクチャーなどという」とされている。ここでは「社会資本」と示されているが、他方「施設性」というキーワードで検索すると、虐待などネガティブな意味が散見されることが印象的であった。 施設の機能分化においては、各専門職の専門性の向上があるとされている。しかし、近年は各専門職の資格化による学問の喪失が加速している。資格化するとは政治的に言えば

      • 精神障害者の生活を奪っているのは誰か。

        私は精神科の作業療法士である。私の立場から作業療法を批判的に述べるとすれば、精神科作業療法は、その名のもとに入院患者を「病院」へ適応させ、ホスピタリズムや回転ドア現象を助長させる一因になっている。精神科病院は収容所性が高く、作業療法士も病院の外ではできない行為が病院の中ではできてしまう。作業療法士は自らの都合によって支援の形を変えている意識はあるのだろうか。 さらに、私は精神科病院での勤務経験から「非自発的入院」が生活の「連続性」と「機会」を断絶する大きな要因だと考えていた

        • 「事故予防」の先にある、人間不在

           医療、福祉、介護現場で共通する多くの事故は「誤嚥」と「転倒」ではないだろうか。それは、対象者の多くが高齢であるために多発し、また防ぎきれない現実があるからだと考える。  現場で「事故」として扱われるものには、「不測の事態」のものも混同されている。そのような中、予防としての対応がなされる。そこでは、個人、そして組織として責任を追求されたくないという思考から機械的な予防対策が実行されているように思う。    ある意味、「誤嚥」や「転倒」は瞬間的、一時的な事象として発現され

        支援(ケア)のあり方

          拘束 〜治療のため?〜

          「ここは酷いよ、日中は無理矢理起こされて、何か言っても聞いてくれないし返ってくるのが2日後だよ。先生とも話せないし、身体中痛いし助けてよ。助けて。」 涙を流しながら震えた声で吐き出されたその言葉には、悲しさ、悔しさ、憤りが染みこんでいた。その言葉を聴く私の視線の先に、カルテを眺め、記録を書く職員らがいた。夕食の準備がはじまった病棟、病院勤務最終日のことである。 イトウさん(仮名)は、幻聴に向けて大きな声で対抗し、戦っていた。確かに辛く、苦しそうであった。そして隔離、身体拘

          拘束 〜治療のため?〜

          「なんでできないの」というまなざし

          「資格を取りなさい」 取り柄もない、やりたいこともない私は母に勧められた作業療法士養成校へ進学した。母の言葉は、私が私の人生について考える機会を奪った。 勉強ができる方ではなかった。中学生の頃、クラスで後ろから3番目の成績をとったこともある。学校の先生は熱心に指導してくれたが、理解できない私に対して「なんでできないの」と問うてきた。その時のまなざしを私は忘れることができない。 作業療法士は「指導」「指示」「介入」という言葉をよく使っていた。その言葉の背景には「できない」

          「なんでできないの」というまなざし