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読みたい人よりも、読んでほしい人の方が多いかもしれないタイムラインを眺めながら思うこと。


読むこと、書くこと、どっちが好きだろう? 

日常的に記事を投稿している人なら、後者の方が多いかもしれない。特にこのnoteという場では、読む人よりも、読んでほしい人(書きたい人)の方が多い気がする。気のせいかな。

今までの日本では、自分の考えを表明するのは勇気のいることだった。空気を読んで忖度して尖りすぎない大人になるように教育されてきたから。でもかつてないほど個や多様性が尊重される時代になってきた。ブログやSNSなどが登場して、誰もが簡単に自分の意見や作品などをネット上で発信できる環境になった。“国民総ライター時代”だったっけ?誰かが言ってた気がするし言っていない気もする。そもそも、多くの人が、読むことより書くことの方がインプットとして強いことに気づき始めているのかもしれない。

noteには、プロ・アマチュア関係なく、優れた文章が多く集まっている。記事検索をしていると、この世界にはまだまだ知らない才能が埋もれていることに気づかされる。

中には、10代後半〜20代前半にして、世の中の事象を鋭い視点で見ていて、そこで生じた自分の考えや思いを密度の高い客観的な文章に昇華する人もいる。そういう人の記事は熱量も半端なくて、おっさんは眩しすぎて目をつむってそのまま寝たくなる。

プロではなくとも、こちらが嫉妬するくらいの筆力を持ったnoteの書き手たち。彼らは職業として書いていないだけだ。もはや、プロとアマチュアの差は、スキルの差ではなく、それでメシを食っているかいないかの差かもしれない。

ただ、特定の好きなことを上手に書くスキルは、ビジネスでは思っていた以上に需要がないし、良い報酬を見込めないことが多い(ただし、分野によって異なる)。実際、自分が書きたいことだけを書いてメシを食っているプロの文筆業の人なんてほんの一握りだ。林真理子さんみたいな、“自分の名前”をブランドにして、書きたいことを書いてお金をたくさんもらえる立場はあまりにも遠くて現実感がない。

多くのプロの書き手が、お金をもらって、他人や企業や出版社が伝えたいことを代わりに書いている。コピーライターなんてまさにそんな仕事だ。個人的な意見を言うと、趣味で好きなことだけを書いているのがアマチュア、好きなこと以外も書いてお金を稼いでいるのがプロだ。こういう言い方をすると少し悲しくなるが、多分合っていると思う。もっとも、書くことだけで生計を立てたいとまで思っている人はそんなにいないかもしれないけれど。

それでも、みんな、何かを書きたくて表現したくて共有したくてウズウズしている。そんな個性や才能の受け皿として、noteはとても貴重な場所だと思う。有料記事にもできるし、note経由で仕事のオファーを受けている人もいる。

「書く」のはしんどいし、面倒くさい。でも、ストレス解消にはなる。書けば書くほど自分の心の輪郭が見えてくる(時には新しい面を発見できる)ので、その行為自体が刺激的であるのは間違いない。

最近は書く頻度が減ったせいか、客席からタイムラインという舞台を眺めているような気分になる。そこは、かつて毎日投稿選手として自分も走っていた場所。相変わらずみんなの熱を帯びた一文字一文字が激走している。


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