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一文も、一生も、やわらかく。

「やわらかい人」が好きだ。ここでいう「やわらかさ」とは、相手を受け止められる柔軟性(懐の深さ)のことだ。受け止めるというより受け入れるという方が正しいかもしれない。そういう人との時間は居心地が良い。それは「一緒にいるのが楽」だということだ。何かを押しつけないし、会話が途切れても怖くないし、素の自分のままでいられる人。極端に言えば、一緒にいる時にこちらがアクビをして眠そうな顔で鼻くそをほじっていても、笑って気にしない人だ。(いや、鼻くそは気にしろ)

これは、文章にもあてはまると思う。「やわらかい文章」とは、言葉づかいがやさしくて、読みやすくて、映像が思い浮かびやすい文章のことだと自分はとらえている。だから何かを書く上で、読み手が余計なストレスなしで快適に読めることを常に意識していたいし、そういう文章が書けるように日々鍛錬していきたいと思う。そもそも、コピーライターは、人や社会に伝わりやすくなるように言葉を変換することも仕事のひとつである。

さきほど書いた「余計なストレス」が何を指すのかというと、難しい言葉の連発、過剰な比喩表現、まわりくどい言葉づかい、一部の人にしかわからない専門用語などのことだ。そういう不親切な文章はすらすら読めないぶん、ストレスになる。心にすーっと入ってきてほしいのに、ジャマされる。難しい言葉に引っかかると、気になってスマホで言葉をググる。そっちに気をとられてしまい、間をあけたことによって「ん?いま何の文章を読んでたっけ?」となることもしばしばである。マイクロソフト日本法人 元社長(実業家)の成毛眞さんは、ご自身の著書で以下のように語っている。

「平易な言葉に置き換えればいいのに、わざわざ目くらましのような言葉を使う文章には要注意だし、そういった文章を書くことは全くすすめられない」
(黄金のアウトプット術/ポプラ新書/成毛眞)


自分も、やわらかい人でありたいし、やわらかい文章を書きたい。でもお腹のお肉までやわらかくなりすぎないでほしいと願っている。

読んでもらえるだけで幸せ。スキしてくれたらもっと幸せ。