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カフェで小さな天使に会った話。


つい先日、カフェで仕事していた時のことである。

突然、店内のどこかで、赤ちゃんが泣きだした。声の方向に目をやると、母親がその子を抱きかかえて必死にあやしていた。泣き声はしばらく続いた。なかなかのボリュームでカフェ全体に響き渡っていた。店内に流れているジャズ系のおしゃれBGMが全く聴こえないほどだった。

「おい、小五郎。きみはいったい何が悲しくて泣いているんだい。名前も性別も知らないが、きっときみの名前は小五郎だ」

そんなことを思っていると、ついさっきまでPCに向かって書いていた内容を見失ってしまった。とはいえ、うるさいとも、仕事を邪魔されたとも思わなかった。それどころか、私の心はどんどん和んでいったのだった。

赤ちゃんの泣き声を聞くたび、わが子が赤ちゃんだった頃を思い出す。おくるみごと抱え上げてゆらゆらしていたあの日々。もう二度とこないんだよなあ、なんて考えたりして少し寂しくなった。

小五郎の泣き声をBGMにして仕事をしようと思い、再度キーボードに手をのせる。でもやはり集中できない。泣き声に意識が引っ張られてしまう。こうなったらじっくり聴いてみようとなって、耳を傾けた。

よーく聞いてみると、泣き声は決して単調ではないことがわかる。声のトーンに多少の強弱がある。不定期にオギャーがオギャッになって心配になる。静かになる一瞬がたまにあれば、フルボリュームで声をあげている瞬間もある。

「ははーん。そうか、小五郎。きみは悲しくて泣いているわけではないな。日常業務をしているんだろう。赤ちゃんは泣くのが仕事っていうし。な、そうだろ?小五郎」

そんなメッセージを強く念じ続けて小五郎にテレパシーを送るが、小五郎は特に反応しなかった。

「ふん。だいたいの目星はついている。おっぱいがほしい。おむつの中が気持ち悪い。おもちゃで遊びたい。きみは、こんな簡単な言葉がしゃべれなくて、もどかしいんだろう。表現方法が泣き声しかなくて、イライラしてるんだろう」

小五郎は相変わらず泣き続けている。

「ん、違うのか。ってことは、うれし涙だな。分娩室で初めて光を浴びた時の喜びを思い出したんだろう。うれし泣きしながら生まれてきたことを覚えてるかい。この世界に生まれてきたことがうれしくて、さらに新しい景色をママに見せてもらって感激したんじゃないのか。このカフェという、人々が穏やかに過ごす素敵な場所で」

そういうふうに赤ちゃんにメッセージを送ったら、泣き声がやんだのは、きっとたまたまである。氷が完全にとけてしまったアイスコーヒーを飲んで気持ちを切り替え、私はふたたびPCを触り始めた。さっきまでの天使の泣き声はどこへいってしまったのか。静寂に包まれ、ジャズのメローなBGMまで聴こえなくなってしまった。その後、いつも以上に作業がはかどったのは予想外であった。

しばらくして、きりのいいところで、私はトイレに立った。その赤ちゃんと母親が座っている席のすぐ後ろを通った。母親の背中で小五郎はすーすー寝ていた。天使のような寝顔だった。

ふと、テーブルにピンク色の知育玩具が置いてあるのに気づいた。小五郎はレディだった。



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