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『愛想笑いを見抜く能力』(ショートショート)


「ねえ、言っていい? 」

    何かをずっと言いたげだった夏子はついに喋る決意をしたようだった。僕は落ち着いた声で「どうぞ」と口にする。

「私ね、他の誰も持っていない能力を持ってるんだ」

    ・・・・・・能力? 全く想定していない言葉だった。

「愛想笑いか本気笑いのどちらかが、わかる能力」

     彼女の真剣な表情からは、少なくとも嘘をついているわけでも、僕をからかっているわけでもないのは理解できた。

「あ、急に変なこと言ってごめんね。こんなこと言われても戸惑っちゃうよね。信じてもらえないかもしれないけれど、これ本当の話なの」

    返す言葉が見当たらず、僕は無意識に「へへっ」と微笑んだ。

「今、あなたは一瞬笑ったけど、本気笑いだったよ」
「ごめん、何て返したらいいかわからなくて」
「うん。うれしかった。精一杯の思いがこもった嘘のない笑いだったよ」

    ためてきたものを一気に吐き出すかのように夏子は話し出した。その特別な能力のせいでずっと悩んできたという。その能力に気づいたのは中学生の頃で、あろうことか担任の先生の愛想笑いがきっかけだったらしい。

    友達もなかなかできなかった。誰かと仲良くなればなるほど、相手の心の内側が見えてくる。愛想笑いが多い人とは心から打ち解けることができなかった。

    大人になっていくに連れて、表情だけ笑っていて心で笑っていない人がどんどん増えていった。大人になるってこういうことなんだと悲しくなった。

「私だけじゃないんだ。働きはじめてからね、愛想笑いばっかりされている人をよく見るようになったの。たまに苦しくなる。会社の上司とか、見た目のカワイイ女の子とか、大御所とかね」

    夏子はその能力のことを誰にも話したことはなかった。家族にも秘密にしてきた。なのに、なぜこの僕に正直に話してくれたのだろう。

「翔ちゃんはね、裏表がない人だから居心地がいいの。私と一緒にいる時はいつも心から笑ってくれているのがわかるんだ」
「・・・・・・ありがとう」

    確かに、昔からわかりやすいとはよく言われるけれど、“能力”を持った彼女から言われたことで、自分は本当にわかりやすいタイプの人間なのだと再確認した。

「あっ、だからなのか」
「何が? 」
「夏子の仕事・・・・・・」
「へへっ、やっぱそう思うよね」
「そうか。そういうことだったのか」
「天職だと思ってる。心から笑ってくれる人がまわりに集まってくる」
「へえ」
「愛想笑いされるようになったらね、引退しようと思ってる。翔ちゃん、その時は・・・・・・いや、何でもない」

    夏子の職業はピンのお笑い芸人。ストッキングを顔に被ったり、無人島から脱出したり、おっさんの物真似をしたり、多忙な日々を送っている。

     でも、僕の前では普通の女の子だ。冗談はほとんど口にしないけれど、たまに芸人の夏子が顔を出すことがあって、その瞬間がたまらなくうれしかったりする。とは思いつつも、僕としては、芸人じゃない素の時間を大切にしてあげたい。

    彼女の姿をテレビで見ない日はない。最近では自分の動画チャンネルを開設したばかりだ。“今”は彼女にとってとても大事な時期なのだ。

「じゃ、明日の夜7時、絶対にみてね」
「おうっ、絶対にみる。がんばってな」
「うん」

     明日は、女芸人No.1決定戦というコンテストの決勝に出場する。舞台に立ち、目の肥えた審査員たちと大勢の観客と全国のテレビ視聴者の前で芸を披露する。

    目の前の相手の反応が手に取るようにわかる彼女の能力は、お笑いという厳しい世界を生き抜いていく上で本当に強みになりえるだろうか。ふとそう思った。


(了)


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