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エッセイ

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人生の話、フリーランスの話、広告コピーの話まで。TAGOの日々のできごとや考えを綴った文章。
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#noteでよかったこと

「書く」が、過去の自分を古くする。

なんでだろう、と考えていた。 体感的にはあっという間の一年だったはずなのに、 なぜか今年の春がはるか遠い過去のことのように感じる。 この二律背反の原因を突き詰めると、 それは間違いなく、今年3月からはじめたnoteが関係している。 約10ヶ月間でnoteに投稿したのは、 短編小説90本、エッセイ47本。 当初の自分では想像もできなかった量を書いた。 自信の無さを量で埋めた。 思えば、小説やエッセイという形で 心の中にある漠然とした何かを言語化することは、 「自分とは何

noteの掲げるミッションがすごく素敵だなあと思って、それについて書きたくなった。

「誰もが創作をはじめ、続けられるようにする」 ぼくは、このnoteのミッションが好きだ。 ミッション = その企業が存在する理由、その企業が社会の中で果たすべき役割を伝える言葉。 自分も、コピーライターとして、企業の理念(ミッション・バリュー・ビジョン等)を作らせていただくことがあって、これまでいろいろな理念を目にしてきたのだけど、これは本当に言葉が研ぎ澄まされていると思った。 一見、普通の短い言葉に見えるのだけど。 このミッションはピースオブケイク内部でのワークシ

そうか。書くことは、迷いを減らすことだったのだ。

人間は、みんな迷子だと思う。 物心ついた日からずっと迷い続ける生き物なんじゃないだろうか。この迷路に出口はなくて、あるとするならそれは死ってことになる。きっと、生きている限り、迷い(選択)の連続なのだ。 「たいやきのひとくち目は頭か尻尾か」「そろそろ寝るか、あともう少し起きてるか」「今日のデートはヒールかパンプスか」などの小さなことから、「就職するか進学するか」「別れるかプロポーズされるまで待つか」「子供の名前は一郎にするか秀喜にするか」などの人生に関わる大きなことまで、

一日は、きっと12時間くらいだと思う。

いとも簡単に、今日という一日が終わる。 昨日も簡単に終わった。そのイージーな繰り返しで、あっという間に次の誕生日がやってくる。非常に恐ろしい。一日が過ぎるのが簡単すぎて恐ろしい。このまますぐに死ぬんじゃないだろうか。 時計の秒針をじっと見る。針が進む速度はいつもと変わらない。でも体感で今日は、24時間ではなく、12時間くらいだったような気がする。気のせいではない。本当にそういうふうに感じるのだ。 そういえば子供の頃は一日も一年も長かった。小学生の頃なんて、授業中に教室の

読みたい人よりも、読んでほしい人の方が多いかもしれないタイムラインを眺めながら思うこと。

読むこと、書くこと、どっちが好きだろう? 日常的に記事を投稿している人なら、後者の方が多いかもしれない。特にこのnoteという場では、読む人よりも、読んでほしい人(書きたい人)の方が多い気がする。気のせいかな。 今までの日本では、自分の考えを表明するのは勇気のいることだった。空気を読んで忖度して尖りすぎない大人になるように教育されてきたから。でもかつてないほど個や多様性が尊重される時代になってきた。ブログやSNSなどが登場して、誰もが簡単に自分の意見や作品などをネット上

一度途切れると、再開のハードルが異常に高くなる話。

あれ、どうやって書いてたっけ? 「書く」という行為は、少しでも時間をあけてしまうと、最初の一行すら遠くなる。1000文字なんてそんなに構えなくても書けていたはずのに、なぜか500文字ですら高い山に思えてくる。 文章をnoteに書くのは五日ぶりである。この五日間、書く気が一切起こらなかった。炭酸のぬけたサイダーみたいに、いやサイダーではなくコーラでもラムネでもいいが、とにかく脱力していた。プラスチックの蓋を回すと、シュワシュワーと炭酸の泡が力強く騒ぎ出す。その小さな泡たちが

連続投稿なんて、あっけなく終わる。

“連続投稿の呪い”にかかって4ヶ月が経とうとしていた。 暇さえあれば小説やエッセイのネタを考える。ギリギリまで文章を書き続けて23時50分過ぎに投稿ボタンを押す。noteが生活にリズム感を与えてくれていたのは間違いなかった。 連続投稿117日目、同じように23時台の追い込みをしていた。このままでは間に合わないと思い、執筆途中の記事を投稿。23時57分だった。その後すぐに記事を「下書きに戻す」にして、記事の続きに取りかかった。 24時30分くらいに記事を再投稿する。出てき

note愛を、すごく偉そうに語る。

noteの一番の魅力は、noterたちとの触れあいである、なんて綺麗事は言わないと、この文章を書く前から決めている。だから、今回の記事では、皆さんとの触れあいが楽しい、スキやコメントのやりとりが大きなモチベになっている、いつもありがとう、みんなの記事も楽しみにしてるよ、なんてことは絶対に言わない。 そもそも、ユーザー同士の触れあいは、ブログやFacebookやインスタでもできる。その点に関してはnoteだけが特別なわけではない。じゃあ、noteに惹かれるのはなぜなのか。他の

100段のぼった踊り場で、何が見えたか。

昨日の投稿でちょうど100日連続になった。上記表示によればnoteチームも驚いているらしい(絶対驚いてない)。最初は30日続けばいい方だと思っていたのが、3ケタに到達。noteではありふれた通過点ではあるけれど、自分の継続力にちょっと驚いている。100日目でつくづく感じているのは、以前からは想像できないくらい「発信体質」になったこと。今や、書くことが日常の一部になった(仕事以外で)。 100記事のうち、短編小説の数は70。一編一編が違う小説なので、70種類の物語を書いた。読

たった2年で何ができる?

高校在学中にデビューした小説家、綿矢りささん。 今さらながら、そのすごさを感じている。作品はもちろんなのだけど、私は「デビューまでの時間」の方に着目する。 綿矢りささんは、高校二年生(17歳)の時に文藝賞を受賞した。 生まれてから約17年。文字を初めて書いたのが幼稚園だと仮定すると、4歳くらいで文字に触れてから文藝賞受賞まで約13年ほどである。その2年後には芥川賞を受賞することになる。 小説を書き始めたのは高校生になってからだそうだ。きっかけは太宰治の小説だったという

書くことは、さらすこと。

先日、深夜に投稿した短編小説のPV数が、急激にドカンと上がる出来事がありました。「ん?」と思って、何が起こっているのかとモヤモヤしながらネットをウロウロしていたら、すぐあとに、note編集部のおすすめ記事に取り上げられたというポップアップが出ました。そこに掲載されたことが影響してPV数が急に伸びたようです。 note初心者の自分はピンときてなくて、「note編集部のおすすめ記事って何?」状態でした。いろいろ検索して調べてみると、noteのトップページの左上の方に「おすすめ」

短編小説を1ヶ月間毎日書いて思ったこと。

短編(超短編)小説を31日間、毎日書く。4月のある日、そんなミッションを自分に課しました。その動機は、ちょっと難しそうなことを達成して自己肯定感を少しでも高めたいという軽い気持ち。 1ヶ月はあっという間に過ぎました。結果として、31日目の「時の万華鏡店」で、31日間31短編のミッションは無事にクリア。今回、この挑戦で個人的に思ったことや感じたことを、気持ちがまだ温かいうちにまとめておこうと思います。 ■難しすぎないゴールとルールを設定。それが良かったのかも。日数に関しては