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エッセイ

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人生の話、フリーランスの話、広告コピーの話まで。TAGOの日々のできごとや考えを綴った文章。
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2019年11月の記事一覧

二十代の頃、白髪が人生を変えた話。

若白髪といえば、僕のことである。父も若白髪なので遺伝に間違いない。思えば、二十代前半の頃から白髪があった。だから他の誰よりも白髪との仲は深い。ちょっとした自慢だ。そう、僕は人生のいろいろな場面で白髪と対話してきた。 二十代の頃、転勤辞令が出た。ふるさとの大阪から東京へ。関西弁の抜けない野暮ったい男は、新しい上司からとある仕事を任された。辞書みたいな厚さの冊子を作る案件だ。ページ構成やライティングなどをマラソンのように進めていく。半年間、必死に走り続けて、冊子は無事に納品され

そうか。書くことは、迷いを減らすことだったのだ。

人間は、みんな迷子だと思う。 物心ついた日からずっと迷い続ける生き物なんじゃないだろうか。この迷路に出口はなくて、あるとするならそれは死ってことになる。きっと、生きている限り、迷い(選択)の連続なのだ。 「たいやきのひとくち目は頭か尻尾か」「そろそろ寝るか、あともう少し起きてるか」「今日のデートはヒールかパンプスか」などの小さなことから、「就職するか進学するか」「別れるかプロポーズされるまで待つか」「子供の名前は一郎にするか秀喜にするか」などの人生に関わる大きなことまで、

「いいこと書かなきゃ」という呪縛。

自分の書いたもので、誰かの人生に少しでも影響を与えたいとか、誰かの日常にやさしい余韻を残したいとか、誰かのモチベーションの潤滑油になりたいとか、世の中を変えたいとか‥‥。 そういう“いいこと書かなきゃ意識”でパソコンに向かっているnoterは多いんじゃないだろうか。 書く行為は自分の内面をさらけ出すことだ。当然、外見と同じように、内面もいいように見られたいに決まっている。だから力んでしまう。うん、よくわかる。 でも、思ったように書けない。うまくまとまらない。できあがった

一日は、きっと12時間くらいだと思う。

いとも簡単に、今日という一日が終わる。 昨日も簡単に終わった。そのイージーな繰り返しで、あっという間に次の誕生日がやってくる。非常に恐ろしい。一日が過ぎるのが簡単すぎて恐ろしい。このまますぐに死ぬんじゃないだろうか。 時計の秒針をじっと見る。針が進む速度はいつもと変わらない。でも体感で今日は、24時間ではなく、12時間くらいだったような気がする。気のせいではない。本当にそういうふうに感じるのだ。 そういえば子供の頃は一日も一年も長かった。小学生の頃なんて、授業中に教室の

寝床におみやげを持っていく男。

日本列島が寝静まっている深い時間に本を読むのが好きだ。 そう、私は完全な夜型人間。静寂の夜に、雨音だけが聞こえる夜に、静かに本のページをめくる時間は至福そのものだ。 しかしそんな幸せな時間は長く続かない。少しずつ頭と視界がぼんやりしてきて、活字が頭に入らなくなってくる。自分の意志とは関係なく、体が布団に入りたがる。あともう少しだけ、と体に懇願するが、瞼がとろんとしてもうどうしようもない。 睡眠は脳をリセットすると言われている。目が覚めた時、昨日までの怒りや悲しみなどのネ

カフェで小さな天使に会った話。

つい先日、カフェで仕事していた時のことである。 突然、店内のどこかで、赤ちゃんが泣きだした。声の方向に目をやると、母親がその子を抱きかかえて必死にあやしていた。泣き声はしばらく続いた。なかなかのボリュームでカフェ全体に響き渡っていた。店内に流れているジャズ系のおしゃれBGMが全く聴こえないほどだった。 「おい、小五郎。きみはいったい何が悲しくて泣いているんだい。名前も性別も知らないが、きっときみの名前は小五郎だ」 そんなことを思っていると、ついさっきまでPCに向かって書

「自己中」を、肯定してみる。

一般的に「自己中」は良くないものとされている。 自分優先。わがまま。エゴイスティック。独りよがり。配慮がない。自分の考えを押しつける。これらの言葉に当てはまるような人間は白い目で見られる。あなたのそばにいるかもしれない。 そんな、誰もがそう思われないように生きている「自己中」という性質を、今回、なんとか肯定してみたい。どうか屁理屈とか言って怒らず優しく見守ってほしい。 まず「自己中」を肯定する上で無視できないのは、「この世の中に、自己中な側面を持っていない人なんていない

私を操っている妖怪がいる。

仕事の打合せなどで都内に出ると、そこには誘惑の国が広がっている。 食欲と物欲と性欲を刺激するようなものが、際限なく視界に入ってくる。ああ、この東京は、何もかもが揃っていてそのほとんどが手に入れられないショールームみたいな街だなあと思う。 飲食店がひしめく繁華街を歩いていると、ひときわ存在感を放つゴリラに出くわすことがある。「ゴーゴーカレー」というカレー店の看板だ。ここのロースカツカレーを超える食べ物はない。好きすぎて、ゴリラ=カレーと脳内変換されてしまうほどである(嘘)。