私を操っている妖怪がいる。
仕事の打合せなどで都内に出ると、そこには誘惑の国が広がっている。
食欲と物欲と性欲を刺激するようなものが、際限なく視界に入ってくる。ああ、この東京は、何もかもが揃っていてそのほとんどが手に入れられないショールームみたいな街だなあと思う。
飲食店がひしめく繁華街を歩いていると、ひときわ存在感を放つゴリラに出くわすことがある。「ゴーゴーカレー」というカレー店の看板だ。ここのロースカツカレーを超える食べ物はない。好きすぎて、ゴリラ=カレーと脳内変換されてしまうほどである(嘘)。
ところが、最近はゴリラに出会うと、見て見ないふりをするようになった。おい、この野郎、ダイエットはどうなった、自分の食欲を甘やかしすぎちゃいないか。そういうふうにあいつが囁いていてくるのだ。
あいつは、きっと妖怪のような姿をしている。誰にも見えない。自分も見えない。でも確かにいる。常に私の背後にぴったりくっついていて、いろいろと小言をしゃべってくるのだが、四十を過ぎてからその回数はぐっと増えた気がする。
そういえば、昨年の初夏、たばこをやめた。これも、あいつの声に従って実行したことだと記憶している。
先日、ぼーっとYouTubeの動画をハシゴしていると、あいつが「お前、見始めて何時間経ってるかわかってるのか?」と耳元で呟いてきた。時計を見ると深夜28時だった。脳内麻薬物質が大量に分泌されて心のブレーキが壊れかけていた。「オールドメディアをずっと見てるよりはマシだろう?」と言い訳した。
今日も突然「スマホに入ってるゲームを消せ」と言ってきたので、「何でだ?」と聞くと「人生の旬の時間は短い」と最もらしいことを言ってきたので、やむなくアプリを長押しして「×」をそっと押して削除した。さようなら、一年育てた可愛いにゃんこたち。
あいつが私に語りかけてくる内容はさまざまだが、その全てで共通していることがある。絶対にムリなことは言わない。がんばれば、強い意志を持てば実現できるようなことを言う。しかも、必ず結果的に自分のためになっている。だから、あいつはきっと悪いやつではない。
ある日、仕事の帰りの電車でつり革につかまってぼーっと車窓を見ていると、真後ろに自分を操っているあいつの影が見えた。勢いよく後ろを振り返ったが、誰もいなかった。
勘違いしないでほしい。私は多重人格ではない。この妖怪は、私だけではなく、誰もが連れて歩いている。これを読んでいるあなたも妖怪にとりつかれている。
誰かが言っていた。人間はみんな、競走馬にまたがっているジョッキーだと。ジョッキーは理性で、馬は本能だ。自分の本能をコントロールしないと人生というレースでは勝てない。
つまり、自分が「本能」だとしたら、その妖怪は「理性」のようなものなのかもしれない。
私は思う。その妖怪はきっと、数十年後の未来からやってきた、この世を去る直前の自分自身ではないかと。なぜなら、あいつの口癖は「いつか、いい人生だったと思って死にたいだろう」なのだ。
読んでもらえるだけで幸せ。スキしてくれたらもっと幸せ。