二十代の頃、白髪が人生を変えた話。


若白髪といえば、僕のことである。父も若白髪なので遺伝に間違いない。思えば、二十代前半の頃から白髪があった。だから他の誰よりも白髪との仲は深い。ちょっとした自慢だ。そう、僕は人生のいろいろな場面で白髪と対話してきた。

二十代の頃、転勤辞令が出た。ふるさとの大阪から東京へ。関西弁の抜けない野暮ったい男は、新しい上司からとある仕事を任された。辞書みたいな厚さの冊子を作る案件だ。ページ構成やライティングなどをマラソンのように進めていく。半年間、必死に走り続けて、冊子は無事に納品された。

終電を繰り返していた嵐のような日々も終わり、僕は炭酸の抜けた炭酸飲料になっていた。

久々に早く退社したあの日。家路を急ぐ小田急線の車窓に、桜の色がぽつんぽつんと見えた。(はい。いきものがかり風に言いました)

こういうふうに景色をじっくり見たのはいつ以来だろう。僕は季節の彩りを感じることも忘れていた。車窓にうっすら映る自分の顔。そうだ、僕は自分の顔を見ることすら忘れていたのだ。

1Kのアパートに戻った僕は、ユニットバスの鏡で自分の顔をじっくり見た。ん? と目線を上げる。前髪やサイドあたりに、見たことのない白い毛がぴょんぴょんと跳ねているではないか。車窓から見たあの桜のように、自分から自分の白髪がとても遠い場所にあるように思えた。

「会社辞めよう」

その気持ちに確信を持った瞬間だった。翌日、会社に行くと、自分の席から見える景色が一変していた。一部の仲の良かった同僚をのぞく会社の人間たちが人形になっていた、ような気がした。

変わったのは、会社の人間じゃない。自分だ。退職の決意をした瞬間からこうも世界は変わるのか、と思った。昨日まで自分はなぜあんなに重いものをわざわざ背負っていたんだろう。報われない承認欲求とか、自分を疲れさせてしまう無駄に高い責任感とか。約1ヶ月後、僕は退職願を出した。


あれから十八年近く経った。

白髪は増える一方だ。でも白髪染めをしようとは思わなかった。これは僕のアイデンティティだとずっと思っていた。

でも、なんかの動画で歳をとったおじさんがインタビューに答えているのを見てから、僕は考えを変えた。なんと、その歳をとったおじさん、自分と同い年だったのだ。がーん。そのおじさん、もともと老け顔だったのだけど、白髪が多かったからますます老けて見えたのだ。

かくして僕は白髪との対話を拒否するようになった。つまり、白髪染めをするようになった。

吉川晃司とか坂本龍一みたいな白髪だったら素敵なのだけど、それは理想論であって、あの動画のおじさんみたいに見られるのだけは絶対に嫌なのだ。それくらい強烈だった。しばらくの間は対話を断固拒否すると決めている。いやしかし、頑張っても、おじさんはおじさんである。そこは突っ込まないでほしい。



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