「遊びと人間」から考える「マーダーミステリーとは何か?」

こんにちは。たぐれおんです。
今日はマーダーミステリーについての記事を書きます。
マーダーミステリーをやったことある人しか理解できないと思います。
本記事はあらゆるシナリオのネタバレを含みません。安心してお読み下さい。

「マーダーミステリーとは何か?」という議論が度々見られるので僕も便乗してみようと思いました。マーダーミステリーを作ったことは無いですが、できるだけ文献を交えながら論理的に述べたいと思います。


本記事の目的

マーダーミステリーが既存の遊びと比べてどのような特徴を持つかを明らかにし、面白さの本質を探ることです。「これはマーダーミステリーだ」、「これはマーダーミステリーではない」という話がしたいのではないです。結果的に、この特徴を持っていなかったらマーダーミステリーじゃないよね?という話には繋がりますが。
本記事では、本格的にゲームや遊びの本質を論じた初期の文献「遊びと人間」(著者:ロジェ・カイヨワ, 1958)をベースに述べます。

マーダーミステリーは遊びか?

「マーダーミステリーはゲームか?」という問いはよく見かけますが、ゲームの定義はとても難しいです。数多くの哲学者やゲームデザイナーがゲームを定義づけようと試みていますが、統一された定義は存在しないように思います。そのため本記事では「マーダーミステリーはゲームか?」という問いは避けます。
代わりに「マーダーミステリーは遊びか?」という問いを立ててみます。遊びの定義については、カイヨワが自身の著書「遊びと人間」で以下のような特徴を持つ行為だと述べられています。

(一)自由な活動。すなわち、遊戯者が強制されないこと。もし強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。
(二)隔離された活動。すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。
(三)未確定の活動。すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果がわかっていたりしてはならない。創意の必要があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。
(四)非生産的活動。すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間でも所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。
(五)規則のある活動。すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常放法規を停止し、一時的に新しい方を確立する。そしてこの法だけ通用する。
(六)虚構の活動。すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明確に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。
※カイヨワの著書「遊びと人間(Man, Play and Games)」からの引用

さすがにマーダーミステリーはこの定義を満たしそうですね。ということで、「マーダーミステリーは遊びか?」という問いへの回答はYESであるとして話を進めます。

遊びの構成要素

カイヨワは遊びの全てに通じる不変の性質として競争(アゴン)・運(アレア)・模擬(ミミクリ)・眩暈(イリンクス)の4つの要素に分類しています。それぞれの要素について簡単に説明すると、
競技には、チェスや将棋、サッカー等の実力が伴う勝ち負けのある遊びが分類されます。
運とは、すごろく等の運で勝敗が決まる遊びが分類されます。
模擬とは、おままごとをはじめとするごっこ遊びや演劇等が分類されます。
眩暈とは、遊園地のメリーゴーランドやジェットコースター等の軽いパニック状態を楽しむ遊びが分類されます。
※詳しくは原著を読んでください。

上記の性質を基に考えると、マーダーミステリーは競争と模擬の性質を組み合わせた遊びだと言えそうです。特に、競争の中での正体隠匿・推理ゲーム、模擬の中でのごっこ遊びが組み合わさったものであると考えられます。
僕は、これらを組み合わせるという考えを持ったものがマーダーミステリーの本質ではないかと考えます。
そしてこれらを上手く組み合わせる上で、「殺人事件が起きて犯人を見つけ出したいがそれぞれの登場人物に隠し事がある」という状況設定が都合の良い設定なのです。なぜ都合が良いかをごっこ遊びベース、正体隠匿・推理ゲームベースでそれぞれ考えてみます。

ごっこ遊びベースでの考察

個人の目標が存在しない自由なごっこ遊びというものを考えた場合、プレイヤー同士で話すべき話題が無く、コミュニケーションが発生しにくいという問題が生じます。
これを解決するために、現状のマーダーミステリーには大まかに2つの仕掛けが存在すると考えています。
1つは、議論全体として事件の犯人探し話し合うべき大きな目的が(表向きでは)共有されていることです。これにより、どのキャラ同士でも目的を持った話題を持つことができます。
もう1つは、各キャラクター間で情報の非対称性、情報を隠す動機(隠れた目標)が存在することです。これが存在しないと、全体の目的を達成するために各キャラクターが情報を全て開示するため、キャラクターの個性が無くなります。それに対し、各キャラクター間で情報の非対称性と情報を隠す動機が存在することで、ハンドアウトの目的を達成することがそのままキャラクターの個性となり、ルールがごっこ遊びのしやすさを補強します。
既存のマーダーミステリーは上記の2つの仕掛けを持つことでごっこ遊びがとてもやりやすくなっているのだと考えます。そして、これらと相性の良い状況設定が、殺人事件が起きて犯人を見つけ出したいがそれぞれのプレイヤーに隠し事があることなのです。

正体隠匿・推理ゲームベースでの考察

では逆に、ごっこ遊びの要素が存在せず、大きな目的が(表向きでは)共有されている、各プレイヤー間でそれぞれ隠れた目的が存在するだけの正体隠匿。推理ゲームを考えてみます。上記のような遊びを考えた場合、目標に対して意味付けがされないためルールを理解することが難しいという問題が生じます。これにごっこ遊びの要素(シナリオ)を加えることでルールへの理解がしやすくなります。加えて、正体隠匿・推理ゲームベースで考えられる一番の魅力は、シナリオのある複雑な関係性により、シナリオ特有の嘘のつき方や推理の仕方ができることなのではないかと考えます。
ルール(ゲームメカニクス)とシナリオ(フィクション)がそれぞれを補強し合うという考え方はビデオゲーム研究の第一人者であるイェスパーユールが自身の著書「ハーフリアル」で述べているものです。物凄く面白いのでこちらも是非読んでみて下さい。

マーダーミステリーの構成要素

結論として、
・ごっこ遊びの要素
・正体隠匿・推理ゲームの要素
・上記二つを上手く組み合わせる仕掛け
がマーダーミステリーの構成要素であると考えます。特に、上記二つを上手く組み合わせる仕掛けはごっこ遊びとしての面白さ、正体隠匿・推理ゲームとしての面白さの双方を向上させます。これこそがマーダーミステリーの新しさであり、本質なのではないかと僕は考えます。
※ごっこ遊びの要素については、プレイヤーに強要するのではなく、演じるという遊び方ができることが必要条件だと考えます。別に全プレイヤーが演じる必要がある訳ではなく、演じるという選択肢があることが重要です。(もちろん、目標達成を目指すことは必要条件です。)

これらを満たすためにはマーダーでもミステリーでもある必要が無いのですが、殺人事件というのが上記の要素と親和性が高いため象徴的にマーダーミステリーという名前になっていると考えるのが自分は一番しっくりきます。

今後現れるマーダーミステリーには正体隠匿・推理ゲームやごっこ遊びを組み合わせるために、既存のシステムに囚われない仕掛けが沢山出てくると思います。僕がマーダーミステリーを作るなら既存のシステムに囚われないマーダーミステリーを作りたいですね〜

残論点

本記事で扱いきれなかった部分について説明します。それは、マーダーミステリーの物語体験の要素をごっこ遊びの要素の中に全て含めてよいかという議論です。僕は物語体験の要素をごっこ遊びの要素の中に含めるのはかなり乱暴な気がしています。
マーダーミステリーの物語体験の要素については、映画や小説の鑑賞と共通する部分が多く存在します。しかし、そもそも映画や小説の鑑賞は遊びの定義には含まれません。そのため、マーダーミステリーを遊びの定義に当てはめて議論するのみでは不十分の可能性があります。
本問題を解消するためには、マーダーミステリーを物語を伝えるメディアとして考え、物語を伝えるメディアによって何がどのように伝わるかについて考察しているメディア論という分野をベースとした考察が有効かもしれません。これについては、また別の機会に行いたいと思います。

おまけ:正体隠匿・推理ゲームをしたい人とごっこ遊びをしたい人が共存できる説

マーダーミステリーはプレイヤーによって何を重視しているかは異なります。時にはこれでプレイヤー間での衝突が起きるらしいです。ですが、重視していることが異なるプレイヤーが集まってもある程度全体として満足度の高い状況が作り出せており、これが面白い点だと思います。
その理由について、僕は正体隠匿・推理ゲームとしての楽しみ方を重視している人、ごっこ遊びとしての楽しみ方を重視している人それぞれのプレイスタイルが相手側の満足度を別次元で向上させているのではと考えます。
正体隠匿・推理ゲームを楽しみたいプレイヤーにとって、演技をするプレイヤーは物語への没入感を向上してくれる存在です。キャラクターを演じている人とのコミュニケーションは、フィクションのキャラクターとのコミュニーションしているという認識を強め相手にとって物語への没入感が高まります。逆に、演技をしたい人(ごっこ遊びを楽しみたい人)にとっては、正体隠匿・推理ゲームをしたい人が議論の起点を作り、その流れに乗って演技ができるのではないかと考えられます。
再度言いますが、これらの理由でそれぞれのプレイスタイルが相手の満足度を向上させているのです。


いろんな楽しみ方をする人が同時に参加できる遊びってとっても素敵ですね!


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