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覗いてみたいな若者のプレイリスト

昔はなぜあんなにCDを買ってたのかなぁ、なんてたまに考える。
答えは当然で、それしか音楽を聴く手段がなかったから。

高校3年生くらいからレコード収集が趣味になったけど、それはいわゆるコレクターとしての趣味で、聴くだけなら別にレコードでなくても良かった。
当然レコードでしか存在しない音源も世の中にはたくさんあるわけだが、当時私が集めていたレコードはその類のものではなかった。

現在レコード収集していてもたまに「なんで昔のひとはこんなもの沢山買ってたのかなぁ」なんて考えてしまう。
これも答えは当然。
レコードを買って(あるいは借りて)、家でスピーカーから出る音を聴く、しか方法はなかったのだ。

完全に今のサブスク、そしてイヤホンという文化に慣れきっているんだなぁと思う。

レコードコレクターではあるけれどサブスクは常備していて、どちらで聴く方が多いかってやっぱり、サブスクの方が多いように思う。
レコードは自宅の、しかも「この場所」でしか聴けない。
スピーカーの前ですよね。
なんか特別感があって毎度ドキドキワクワクするんですがこれが当たり前だった時代があるんですよね。
いや、私の時代でもそうやってCD聴くのが当たり前でしたから。

長い長いヒトと音楽との向き合い方がここ十数年くらいでコロっと変わりましたね。

音楽を聴くという行為とレコード収集とが同一になってしまっている私も、昔の聴き方とは変わってるわけです。
聴きたい音楽はiPhoneの中にいつもいくつでもあり、それだけでもじゅうぶんなのです本当は。

聴きたい音楽と言っても若い人たちが聴くような音楽を好んで聴くことはあまりない。
たまに若い人たちが作るプレイリストを聴いてみたいと思うこともある。
私も若い頃は自分だけの好きな音楽を集めたいわゆるミックステープ、ミックスCDのようなものを作っていたが、プレイリストという概念も今とはまた違ったのだろう。

昔入ってくる情報はテレビやラジオ。
私の時代で言うとラジオはそこまで重要視されてなかった。
やはりテレビ。
歌番組も今より多かっただろう。
そこで情報を得て、CDショップに足を向けるというのが一般的な流れ。

現代の若い人たちはおそらくテレビをほとんど観ないので、ネットで流れてくる音楽に反応するのだろう。それはかなり多様化されていると思われ。

私世代が作るプレイリストはみな似たようなものだったと思う。
ヒットチャート、ドラマの主題歌、人気のアーティスト等。

今はそれぞれぜんぜん違うプレイリストを作るのではないか。
もちろん人気アーティストというのは今もあるのだろうけど。

音楽が多様化されることは大歓迎である。
私自身若い頃、周りの人たちがみんな同じ音楽にコーフンすることに違和感を覚えていた。
「誰かがイイ!」と言ったから右に習えで「イイ!」と言ってるだけではないのか、と。
もちろんその傾向がなくなったわけではないのだろうけどずいぶん柔和されているように思う。

つまり私が覗いてみたいと思う若者のプレイリストは想像するそれとは違い、個人個人多種多様なモノになるのだろう。
なるほど、であれば余計覗いてみたいものだな。

自分自身音楽を作り奏で、人に聴いてもらうということをずっと続けてきている。
つまり音楽とは長年向き合っているけれど、若い頃のように雷が落ちるみたいな衝撃は今はなかなかないものだ。
それが年齢のせいなのか、サブスクのせいなのか多様化のせいなのかはわからない。

もしかしたら音楽がカンタンに手に入ってしまうせいで、聴く側(私)の集中力も欠けがちなのかも知れない。

レコードを聴いていても「若い頃は何にそこまでコーフンしたのだろう?」と考えることがある。
新しいジャンル?声?ギター?初めて耳にするアプローチ?衝動的な表現?

ある程度知ってしまっているせいか、あの頃のようなコーフンってなかなかないのだな。
今でもそれを探してるように思うし、なんとか自分もそんなものが作りたいと望んでいるようにも思う。

そういう意味でライブは変わらない。
元来音楽とは記録できない唯一の芸術だったはずで、ライブのみが芸術だった。

つまり言い換えれば最も不安定な芸術。
それは未だに残っている。
その場の空気を察して演奏するアーティスト、
最上級はその場の空気を牛耳るアーティスト。
私はまだまだその域には辿り着けないが、そういう音楽体験ができる現場はサブスクでもイヤホンでも家のスピーカーの前でもない。
ライブ会場にしか存在しないのだ。

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