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「プライド」に悩まされないようにするために

1.医者には「プライド」が高い人が多いです

プライドの高い人っていると思います。

私は医師ですが、周りの医師を見ているとプライドが高い人が多いように感じます。

具体的には自分の仕事に自信を持っている、その反面何かしらの間違いを指摘されると立腹する、ゆえに「ごめんなさい」と謝ることができない。

偉そうに言いますがそんな私自身もプライドが高いところがあるように思います。

というのも医師という職業は周りのスタッフからとにかく丁寧に扱われる立場にあります。

医学部の6年の学生生活を終えて、医師国家試験に合格して、研修医として働き始めたその日から医療関係の周りのスタッフの方々から「先生」と呼ばれます。

最初はむずかゆいその呼ばれ方も、何度も何度も繰り返されているうちに、「先生」にふさわしい態度を取るようにと自覚をもたらしていきます。

それ自体はプロとしての自覚、職業人としての成長を促すためにも大事なプロセスだとは思いますが、

医者という職業の場合はそのプロセスがあまりにも急峻で強力なために、医者という職業であり続けることがあたかも「プライド養成コース」のようになってしまっている所があると思うのです。


2.医者の「プライド」は身の丈以上に高まっていく

さて、仕事に自信と誇りを持つことは必ず悪いことでしょうか。

ここで「プライド」とは果たして何なのかについて考え直してみたいと思います。

先日とある人から、医師のプライドが高いのは「失敗体験」がないからだ、という指摘を聞きました。

なるほど、失敗がなければ自信も生まれます。一般に医師になるためには高い学力が要求されるとされています。

学力という一定の基準において医者になるような人達はあまり失敗をしたことがないという共通性は確かにあるように思います。

私自身の過去を振り返ってみても、勉強に関しては比較的順調であった学生生活であったように思います。その代わり、恋愛とかスポーツとかではそれほど良い成果は出せていませんでしたけど・・・(^_^;)

そしてその学力での失敗経験の少なさは医学部に入学して以降も活きていきます。

医学部で教わることの大半は暗記系です。学力の高さは現在の社会では少なくとも私が知る限り暗記の得意な人間が有利となる仕組みとなっています。

だから医学部に行っても数々の試験で大きな挫折をすることもなく乗り越えていける人がほとんどなのでしょう。

医師国家試験の合格率が概ね90%くらいだという数値もそのことを反映していると思います。

そして晴れて医者になって以降は、先程述べたように周りから「先生、先生」と丁寧に扱われ、急速にプロの医者としての自覚が育てられていきます。

しかし医者になってからの仕事というのは、暗記系では太刀打ちできません。

理由のわからないことと山ほど遭遇することになります。その都度教科書に書かれていないことを考えて、現実に対応していかなければならない場面に出くわします。

それは医者という職業に限った話ではなく、社会に出たらそういうものだとは思いますが、

医者の場合、そんな社会の荒波の中で、自分の力が及ばない挫折場面に遭遇したとしても、

ここで自分の「プライド」が邪魔をしてしまうことが多々あるのです。

例えば、自分の施した治療によって患者が悪化したとしても、「それは残念なことでした」と解釈します。

「自分はプロとして持てる知識を駆使して、ガイドラインも遵守して正しい治療を行った、だからそれを施して悪い結果が起こったとしても、それは不可抗力だ」と考えてしまうのです。

そしてそのような結果が出たとしても周りから「今のは謝った方がいいと思いますよ」と指摘する周囲の医療スタッフは誰もいません。

医師という存在に対して慣習的に敬意を払い、「先生が全力を尽くしてそうなったのだから仕方がない」とむしろ医師を無意識的に擁護してしまう人がほとんどでしょう。

本来であればプロが何かしらのサービスを提供し、サービスを受けた人が何らかの被害を被った場合には謝罪し、原因を究明し、再発防止に努めるというのが当然の流れであるわけですが、

医者においてはなぜかその当然働くはずの仕組みが働きません。

その仕組みが働くのを邪魔している根源部分にあるのが医師の「プライド」ではないかと思うわけです。

失敗の少ない人生の中で、いつの間にか養成されていた高まり過ぎるくらいに高まった「プライド」ではないかと思うのです。

もしもこの仕組みを再稼働させる方法があるのだとすれば、それは医師自身が「プライド」の在り方を見直し、「謝るべきところを素直に謝る」ということしかないのではないかと思うのです。


3.身の丈にあった「プライド」を持つようにするために

そのように考えていくと、「プライド」はない方がよいという話にもなっていきそうですが、それはきっと違うと思います。

「プライド」があることは職業人としての自信の表れです。

これが全くないような職業人に他人が何かを依頼することがあるでしょうか。

問題はその自信が過剰に高められている所にあるように思います。

人生で失敗をしない人間はこの世に存在していないはずです。

もし失敗をしていない人がいるのであれば、本当に失敗をしていない場合と、失敗をしているのに気づいていないという二つの可能性があると思います。

そのうちどちらの可能性が高いのかと言われたら、やっぱり後者の方ではないでしょうか。

医師の「プライド」の高さは失敗をしてもなかなか気づかないその環境の中で養成されてきているように思うのです。

「プライド」が過剰に見積もられないようにするために大切なことは、「失敗」を正しく認識し、その「失敗」を次に活かすための行動を適切にとること、ではないかと私は思います。

医師で言えば、治療がうまく行かなかった原因を「専門家が全力を尽くした結果なのだからやむをえないことだった」と思考停止するのではなく、

自分が行ったことに問題はなかったか、もしも問題があるのであればそのことに真摯に向き合い、改善のための行動をとって次につなげるというプロセスを怠らないことです。

そして多様な価値観から自分の行為を見つめ直す視点も大事になってくるのではないかと思います。

そうすれば今まで「失敗」だと思わなかったようなことが「失敗」だと感じられて、新しい何かに気づくことができるようになります。

「失敗」は悪いことではありません。「失敗」は自身のパフォーマンスをさらに高めていくための思考の種です。

「失敗」を糧にした成長の経験を丁寧に積み重ねていけば、身の丈にあった適切な「プライド」が形成されていくのではないかと私は思います。

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