見出し画像

魔術

あれはいつの記憶か…
幼少期の頼りない情景ながらも、いつまでも脳裏にあるあれは、現実だったのか作りものだったのか。今となっては確認する術もないが、あれがまがい物ではなく真の奇跡なのだとしたら、魔術以外のなにものでもないだろう

それはドキュメンタリー番組だった
どこの国かは知らないが、日本ではない。服装を見る限り、それほど豊かな土地とも思えない雰囲気で、村にひとつしかない医者のような風情で、奇跡はコンクリート塀の掘建て小屋の中で行われていた

テレビ中継を嫌がっていた
奇跡を起こすそのひとは、浅黒く厳めしい顔をしてはいたが、普通の人となんら変わりない感じだった。医術を行う手前、白衣のようなものを着ていたかもしれない

外には長蛇の列
多額の資金を手に、世界各国からやってきた「病」を抱えた人たち。いやな言い方かもしれないが、その中には日本人もいた。奇跡の施術を求め、その地を目指した人たち…今はどうしているのだろうか

宗教というわけでもない
奇跡の人はまず、患者の躰を透視しているようだった。それから母国語でなにかを発し患者を寝かせるか、または立ったままで施術する。その際、テレビに映らないようシーツのような大きい布で隠していた

まるでMagic
テレビクルーが近づくと語気を荒げて「近づくな」というようなしぐさをする。大きなシーツを持つふたりの人間が、事件現場さながらに患者を見えないように覆い隠す。すると次の瞬間、白いシーツに血しぶきがかかる

施術は一瞬
待ち時間はおそらくアトラクション並みの時間だろうと思う。連日連夜、休むことなく押し寄せてくる患者を前に、もしかしたらそれは数えられる時間ではなく、幾日もかかるのかもしれない。だが、奇跡は一瞬なのだ

それは素手で行われる
そう、手術ではない。あくまでも施術なのだ。なのに血しぶきは散り、体内から悪性のものが取り出される。両手で皮膚に触れ、指先を動かしなにか取り出すようなしぐさをすると、悪性のなにかが血しぶきと共に現れるのだ

腫瘍か癌か
白い腸のような、あるいは脂肪のようななにかが体内から出て来たかのようにその両腕が動くと同時に出てくる。いや、取り出しているのだ。その奇跡の人は、体内に潜む悪性の異物を取り出してバケツに捨てるのだ

傷一つ残らない
施術が終わると、その部位をキレイなのか解らない布でさらう。まるで魚をさばいたあとのまな板の血を拭うようにスッと皮膚を撫でると、妙な異物が出たばかりだというのに傷一つない。これが奇跡だという

金持ちしかたどり着けない
確かその奇跡の体験のためには数百万の資金が必要だった。当然のことながら順番だし、全世界から人がやってくる。旅費、滞在費、そして治療費は想像もつかない額だろう

なぜ掘建て小屋なのか
それだけの報酬を得ていながら、とても裕福には見えなかった。病院を建てるなり、奇跡のための建屋があってもおかしくないのに、そんな様子はなかった。その掘建て小屋でなければいけない理由があるのか

奇跡なのか、やらせなのか
水曜日の夜にジャングルを歩くあの番組と同列のドキュメンタリーだったのだろうか? それにしては海外だ。しかも「病」が取り除かれる奇跡。超能力なのか、宇宙の神秘か、それこそが魔術なのだろう

その後・・・・
未だあの土地は奇跡を生み出しているのだろうか、だとしたら、その噂が聞こえてきてもおかしくはない。奇跡の人に後継はなかったかもしれない。ただ海外だ。戦争があるところかもしれないと思うと、存在も危うい

現存するなら
子どもながらに、病気の人はみな「あそこに行けばいいのに」…と思っていた。でもお金がかかるから無理なのかとか、海外だから無理なのかとか、余計なことを悶々と考える日々があった

いつの世も頼りは目に見えないもの
その昔は「まじない師」なる存在があった。それは医術でもなんでなく、自然の摂理を前に、風を感じ、火を使い、星を読み、季節をおって、ただひたすらに神に祈るのみだった。そういう意味ではあるいは・・・・

魔術は存在するのかもしれない




まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します