バラ風呂

小説『オスカルな女たち』20

第 5 章 『 警 告 』・・・4


《 水曜日。家出。 》


約束の土曜日・・・・。
仕事のあと真実(まこと)は、玲(あきら)が実家といっている高級ホテル『IMPERIAL』のラウンジで待ち合わせた。
「部屋で待ってりゃいいのに…」
「私もさっき着いたところなの」
そう言ってフロントに向かった。
「さっき? ここに泊まってんじゃないの?」
「今夜からね…」
「今夜? なに、それ…。あたしは家出の付き添いなわけ?」
保護者かよ…と毒づく。
「バカね。こんなところ、ひとりで来れるわけないじゃない」
そこは気になるところもでもあった。「実家」と言っておきながら、それほどつき合いのない家族や身内が多く存在するこの場所は、今の玲にとってはアウェーも同然だ。
「だって実家だろ? 自分でそう言ったんじゃん」
堂々としてろ…そういう真実を玲は制する。
「黙って」
フロントに着くなり玲の顔つきが変わった。それは普段真実が見ている友人の顔ではなく、資産家の令嬢らしい威厳のある表情。
「ちっ…」
舌打ちして従う真実だったが、玲と挨拶を交わしたあたりからどうにも周りの空気が気になって仕方なかったのだ。それは玲がフロント近づくにつれ、従業員の顔つきが強張ると同時により一層の緊張感を増した。
「おかえりなさいませ、玲様」
「鍵をお願い」
「お荷物は運んでおきました」
「ありがとう」
そのわずかなやり取りを見ているだけで肩が凝りそうだ…と、真実は周囲に目を泳がせる。「実家」というだけあって、ホテルの従業員の目は玲の行動に釘付けだった。だれもが玲を見知っているのだ。
真実は背筋に冷たいものを感じ、ここを訪れたことを後悔していた。
「行きましょ」
カードキーを受け取り、きびすを返す玲。
「あ、あぁ…」
重い空気をしょったままエレベーターに乗り込むと、真実は無意識に大きく息を吐いた。
「はぁ…。なっんか、息苦しい…」
「そう? ここはいつもこんなよ」
「いつも?」
「硬いのよね…だからほかのホテルにしたのに…」
当の玲にとってはこの緊張感こそが「いつものこと」…当然と言えば当然なのだ。
「な、なんか、胃もたれが…」
なるほど。従業員たちはこのホテルを仕切るグループTOPの令嬢である玲に対し「なにか粗相があっては一大事」と、常にあのような緊迫した空気の中で息をしているのかと、真実は改めて玲の存在の大きさを思い知る。
「なに? 食べすぎ?」
「ちがうわっ…!」
「その後、どうなの佑介は」
「え? いきなり…?」
「この前の、結婚の話よ」
「どうもこうもないよ~」
エレベーターが動き出すと同時、先日の突然の訪問を思い出すも、玲のペースに飲まれちゃいけないと切り返す。
「玲は…? なにがあった…?」
それ以上の追及を避けたい真実は、それどころじゃないだろ…と玲に話を振る。
「あぁ…。娘とね、派手にやり合ったのよ。それで…」
「はぁ…娘? それで…『実家に帰ります!』って?」
バツが悪そうに顔をゆがませる玲に、半分呆れ顔の真実は目を丸くし、ふたりいるうちの娘のどちらか…などという疑問を当然、
「なにがあったのよ~。羽子(わこ)と…?」
と、ストレートに突き付けた。
「な~にやってんだか。実家って言ったって、高級ホテルだけどね~? しかもスイート…」
エレベーターの階数表示を見ながら、自分のペースを取り戻した真実は、口ごもる玲に皮肉って返す。
「そういうときって、普通娘が家出するものじゃないの?」
ごく当たり前のことを聞いたつもりの真実だったが、
「家出っていうのは、居心地が悪い方が出るものなんだって、私もあの夜初めて知ったわ」
いつもならば自分が娘を責め立て家出されてしまうのがパターンだったが、今回は娘に押された形で追い出されたのだ…というのが玲の言い訳らしい。
「あの夜?」
「そうよ、あの夜。あなたたちを呼び出したあの夜のことよ」
「へ? こないだ? それでホテルのラウンジ…。てか、ここ『今夜から』って言ってなかった? 話が見えないんだけど。ずっとここにいたんじゃないのか」
ここへは…ひとりで来れないから、最初は別の部屋に行ったのよ」
 それは言わずと知れた赤い部屋。だが、それでは家出したことにはならないし、なにより夫に至っては筒抜けの場所だ。
「別の部屋? 違うホテルってこと?」
「まぁ…そんなようなものよ。でも生活用品がまるでないから…」
と、ひとりごとのように言って玲は言葉を濁した。
「なに? ビジネスホテルかなんか?」
「とにかく。ここへ来るにも勇気がいったのよ。だから来てもらったんじゃない」
「なんだよ、それ。旦那の持ってるマンションにでも行けばよかったじゃんか…」
「それじゃ家出にならないでしょう?」
確かに自分の会社の空き物件を職権乱用しても、仕事の延長と思えば家出とは言えない。
「それで実家」
「だって、…他に行くところ思いつかなかったんですもの」
言いにくそうに深く息を吐き、最上階の絨毯を踏みしめた。
「珍しいこともあるもんだ…と思ったけどね。その程度…」
「悪かったわね…」
「なに言われたの」
「…ママにはあたしの気持ちはわからない、って…」
意外と普通の言葉に、
「そう言われたの…?」
それだけ?…と、真実はたいして動揺もせずに返した。
「ただの反抗期だろー」
脱力する真実を玲は部屋の前で振り返る。
「だって。…わからないわよ。母と話したことなんてないんだもの」
その言葉には真実も閉口するほかなかった。玲の母親は、玲が物心つく前に他界していた。 
「…私、自分があの子の年頃のとき、父親が大っ嫌いで世の中みんな敵だったから。なにより、…お母様と、まともに話した記憶がないから、年頃のあの子にどう接していいのか。…わからないのよ」
話をしながら語尾がだんだんと小さくなっていく。そうして玲は「正直、苦手…」と、取り繕うことなく付け加えた。
「そうか、玲。泣くな…」
肩に手を載せる。
「泣かないわよ。悔しいもの」
取り繕わなくていい関係…玲にとって「こちら」のオスカルたちはそれだけ大切な存在になっている。こうして声を掛ければ、誰かが必ず駆けつけてくれる。「あちら」のオスカルたちにはそんな真似はとてもできないだろうし、あちらはあちらでそんな付き合いがあるのだろうかと、少し前に浮かんだ疑問を思い返した。
「さすがにそこまでじゃないか。ま、そりゃそうだ」
玲が娘との喧嘩ごときで涙を見せるわけがない…と、当然のように返す。
「当然…」
カードキーを差し込み、扉を開けた。

天井

「ほえ~…。これがスイート、ねぇ。…ちょっとした家だな」
入室に躊躇するほどのきらびやかな景色が目に飛び込んでくる。
「まるで海外ドラマに出てくるファミリー向けシットコムのリビングみたいだ」
「普通でいいって言ったのに…。まだまだ私の威厳も捨てたもんじゃないわね」
言いながらつかつかと足を運んで行くのは、ココが「実家」だという玲。もちろん本物の実家は億ション並ぶ一等地に控える、それはそれはお城のような豪邸なのだが、気軽に「ただいま」と帰れるほど簡単な場所ではなかった。
「おじゃましま~す」
なんとなくそんな言葉を言ってしまうのも仕方がない。なにせスイート、テレビや雑誌でしか見たことのない部屋なのだ。
ドアを開けると目の前に、オブジェのような大きなフラワーアレンジメントが置かれていた。おそらくそれはホテルのスタッフが玲の滞在のためわざわざ用意したものであろうことが想像できる。
「ご丁寧に…。無駄遣いしてくれちゃって」
(私からの評価などなんの意味もありはしないのに…)
目を細め、バラの花弁を指で弾いて見せる玲。
「よく言うよ、そんな海外旅行みたいな荷物持ち込んどいて…」
よく見ると、オブジェの下には決して小さくはないスーツケースがふたつ並べて置かれていた。フロントを離れる際「お荷物は運んでおきました」というスタッフの言葉を聞き逃さなかった真実。
「たかだか娘とやり合ったくらいで…」
あたりをなめまわすように見渡しながら足を踏み入れる。
「いろいろと事情があるでしょう…」
育った環境か上流階級の儀礼的作法か、環境が環境だっただけに、親子喧嘩はおろか兄弟喧嘩さえしたことのない玲には、自分の取るべき行動が解らないのだ。
「明らかに計画的と見た、ね…」
「いちいちうるさいわね」
言いながらサクサクとオブジェの先に進んで行く玲。
そのオブジェのようなフラワーアレンジメントを境に、右手には小さなスペースが広がっており、そこには随分と立派なグランドピアノが置いてあった。ピアノのあるこの部屋も当然玲のためのスタッフのチョイスではあったが、今の玲には皮肉にしか感じられない。対する左手には、6人掛け程度の大理石のテーブルがあり、その上にはすでによく冷えたシャンパンとオードブルが用意されていた。もちろん、ふたり分にしては多いほどの量だ。 
「靴脱ぎたくなるような絨毯だな」
言いながら既にパンプスを放り部屋の中に進んで行く真実。
「脱いでもいいわよ、クリーニングしてるだろうから」
(…って、もう脱いでるのね)
大理石のテーブルの上に静かにバッグを乗せ、右手に大きく開かれた夜景が見える窓を横目に足を進める。窓の下には窓と同じ長さの大きなソファがベッドのように置かれ、その上にはこれまた大きなクッションがいくつも置かれていた。その正面には部屋の半分まで仕切りのように暖炉があり、そこを境に奥にベッドルームがあるらしい。
「裸足になっちゃおう…っと」
玲のあとを追いながら、絨毯の上に転がすようにして器用に靴下を脱いでいく真実。
「はしゃぐわね…マコ」
くるりと真実を振り返り、後ろ向きにベッドルームの方へと進む玲。
「そりゃ…。めったにない機会だからねえ…」
キョロキョロとあたりを見回す。
「相手が男だったらもう一回結婚しちまいそうだ」
「そう? お風呂もすごいわよっ。…ローズ」
そう言ってベッドルーム脇のバスルームの扉を後ろ手に開けると、
「なんだよ、それ。臭くなるじゃーん…!」
即座に真実が顔をしかめて見せた。
「うわ、花柄ベッド…。ローズに花柄かよ…スイートってどこもこんな?」
「私に合わせたんでしょ。…もう。だからマコだけじゃいやだったのよ~」
湯気の立つ準備万端のバスルームも真実にかかっては形無しと、しぶしぶ扉を閉める玲。
「なんでよ?」
「…女子は嬉しいものよ、こういうおもてなし」
バスルームから離れる真実の背中にため息を投げかける。
「あ、そ。ごめんね、女子じゃなくて」
振り返る真実の顔はしかめっ面だ。
「最初から期待はしてないけれど…」
一通り見まわしてシャワーを浴びた後、分厚いバスローブをまとったふたりは、広すぎるベッドルームにシャンパンと〈フルーツの盛り合わせ〉を運び入れ、ベッドの背もたれに枕を挟んで並んで腰かけた。

フルーツタルト (2)

「それで…。ホントのところはどうなの…」
小分けにカットされたぶどうの房を丸ごと口に頬張る真実。ぶどうの実だけを器用に口に収め、軸だけを皿に放る。
「なにがよ?」
「羽子のこと」
「…そうね。頭を冷やそうと思って。娘って、女だから…こちらもそのつもりで『できるはず』『やって当たり前』を押し付けてたんじゃないかって」
「へぇ、殊勝じゃん」
「マコにはないの? そういうこと…」
「子育てはもっぱら操(みさお)先生だもん」
「まぁ、そうだろうけど」
「確かに、自分の常識を『当たり前』と押し付けて話をすることはあるよ。『自分はこうだった』『あたしはそうはしない』…とかね。でもそれは経験からくるもので、こちらとしては言ってしまうのは、仕方がない」
「そうよ、そうなのよ!」
シャンパングラスを振りかざす玲。
「でもそれをすると必ずぶつかる。あっちもひとりの人間じゃん。それなりに言い分はあるわけで…」
「まぁ…そうよね」
「自分が同じくらいの頃のことを考えれば…自分も似たようなことで反抗してたわけで。でも、逆に『自分と同じ失敗を繰り返してほしくない』っていう親心もある」
「そうそう」
同じ娘がいる母親として、言いたいことは同じだと頷く。
「でも、そういうときはぶつかっても反省できないよね、正しいこと言ってるつもりだから」
「そうね。でもそれもやっぱり押し付けかしら…?」
「大いに反省すべきことだ。だけど、折れない。親だから。それがダメなんだろうけど。…言い方なんじゃないの?」
「私はいつも冷静だわ」
マコと違って…と、玲は強く主張する。
「その冷静さがムカつくんじゃないの?」
「なんでよ?」
「羽子的に、だよ。子どもにとっちゃやっぱり母親は従うべき相手で、それまでの姿を見てきてるわけだから『やっぱすげぇな』って思うところもあるわけで…。だから、言われてることは解ってるけど、言われたくない、みたいな? 親が偉大だと委縮するんじゃないの?」
「もっともらしいこと言ってくれるじゃない」
「なんだかんだ言っても勝てないもん。操先生に。だから余計にムカつく。…そういうことじゃないの? 羽子も。『お母さんみたいにはなれない』と」
「なるほどね。冷静だからいいって問題でもないのね」
「むしろムキになって欲しいんじゃないのか…? 羽子は。ただでさえ父親が違うんだから、気を遣わないと」
「あら、ずいぶん大人なこと言うじゃないの」
「そう思っただけだよ。…ま、解ってればいいんじゃないの? 自分が悪いって。悪くないけど」
言いながら真実は、自分こそ反省すべきか…と黙り込んだ。
「まぁね…」
あくまでも自分は「悪くない」と主張する真実を「あなたらしいわ」と言って玲は笑った。
「冷静な時にちゃんと話してやればいいんじゃないの…?」
「なんだかかっこ悪いわ。ちゃんと話せるかしら」
「母娘としてじゃなく、女同士と思えばいいじゃないか。友達とは違うけど、一人前に扱ってやれば納得もする。うちはそうしてる」
「へぇ…マコも母親なのね」
「そりゃね。今回のことは特にだよ。だから自分の考えもちゃんと言ったよ、」
半分くらい…と、真実は含んだ言い方をした。
「織瀬(おりせ)とつかさがいなくてよかったのかも」
子どものいない織瀬とつかさには相談のしようもない話だった…と玲は思った。まして子どもを望む織瀬には「贅沢な悩み」と受け取られたかもしれない。
「結果よかったってことだ。そういう話しなかったの?」
「だれと?」
あちらの女子会だよ。だれかいなかったの? 娘いるヤツ」
「しないわよ、そんな話」
「すりゃよかったじゃん」
「なによ、今さら。マコが気にすること?」
「いいじゃん、減るもんじゃあるまいし…」
「それはそうだけど…」
静かにシャンパンを飲みながら、玲は少し考える仕草をした。
「ホントに『お家の一大事』な話だったわけじゃないんだろ…?」
甘いな…そんなことを言いながら、真実はありがたみもなく水のようにシャンパンを喉に流し込んで行く。
「一部をかいつまんでは一大事よ、きっと。…なぜ気にするの?」
「べつに」
「あなたの『べつに』が『べつに』だったことがないから言ってるんじゃないの。…なにかあったのね」
「なにも」
「なによ。私じゃ話にならないって言いたいの?」
「そんなんじゃないよ。ただ…」
ただ…そう言いかけて言葉を飲み込んだ。

シャンパン (2)

シャンパンを注ぎながら、どこか違うところに意識があるような真実の様子に、玲は追及することを諦めぽつぽつと話をし始めた。
「…明日香が今回の発起人だったみたいなんだけど…。この前も言ったけど、私たちが会ってることをどこかで聞いていたらしくて、本当に羨ましかったみたいなのよ。マコを引っ張り出せば、私が出てくると思ったみたいね…」
発起人である理由は、あえてここで話すこともないだろうと玲は判断した。だが逆に、真実がいても明日香は同じ話をしたのだろうか…とも考えた。
「ほら見ろ、やっぱり行かなくて正解だ。あたしはおまけだったんだよ…」
皮肉る真実に「そんなことはない…」と言いながらも、
「でも、いなくて正解だったかもね…」
と、小さく付け加えた。
「そんな居心地悪かった?」
マンゴーをつまみながら、口元の果汁を手の甲で押さえる真実。今さらながらにひとりで行かせたことを申し訳なく思う。
「そうじゃないの…」
兄の浮気が事実であろうとなかろうと、これは「身内の恥」には変わりないという思いもあった。あの場でそんな話を聞かされていたら、それこそ真実は居心地が悪かったのではなかろうかと改めて思う。
「やっぱり…空気が違うじゃない…?」
無理に合わせることはない。
「まぁね…。なにがどうってわけじゃないけど、あそこはあたしのいる場所ではないと思うよ」
それは真実の正直な気持ちだ。現に、玲が「実家」だというこのホテルのフロントを通るだけでも違う空気を感じたくらいなのだから。織瀬やつかさたちと食事するのとはわけが違う。たとえ似たような「くだらない話」をしていたとしても、それ相応に身を引き締めて挑まなければいけないと感じさせるなにかが、玲の取り巻きたちにはあるのだ。経済力の違い、価値観の違い、そんな簡単な言葉ではない堅苦しさがただ真実は苦手だと思う。
「環境が違えば、考え方も違うわね…」
誰を指して言ったのかは解らないが、それはひとりごとのように流された。
「そんな濃い話だったのか?」
「そういうわけじゃないけど…。考えてみれば、高校を卒業してすぐ、社会に出たことのなかった明日香が聖(ひじり)お兄様の修行先に仲居見習いとして飛び込んで行っただけでもすごいことなのに。それから今まで、プライベートで出かけることなんてあったのかしら…と思ったら、気持ちもわからなくないなと思ったの。結婚にしたって、親の反対もあっただろうし」
「あそこは…ひとり娘?」
「年の離れた弟さんがいたと思うけど、どうかしら。スイーツ業界も盛んでしょ? 老舗の和菓子屋って言ったって、今の時代それだけじゃいろいろと大変だと思うわ」
「つくづく、お嬢様じゃなくてよかったよ…」
そうは言っても、家業を継いだ真実も充分「お嬢様」要素を持ち合わせていると言っていい。自覚があるかないかの違いだ。
「それに、明日香のところはふたりとも男の子だから…お兄様たちほどでなくても、御門家の後継ぎという重責を担うことになるのよね…。好きで嫁いだとはいえ、彼女の働きぶりを見ていて少し同情してしまったわ」
同じ娘でも、出て行った娘と家業を守る嫁とでは立場がまるで違う…血のつながりなんて希薄なものだと、改めて自分の立場を悲観する玲だった。
(結局、男にはかなわないってことなのよね)
「玲んとこの息子は、ホテルやんないの?」
「うちはうちで不動産業があるし…まぁ、でも、身内としてでなく一般就職という形でなら、あるいはあるかもしれないわね…。あの子たちが望めば、だけど」
そんな話は考えたことないわ…と、改めて自分の身の上を振り返った。『やりたいことがあれば応援してやりたい』という先日の夫との会話を思い起こし、実家の事業には身内が多く関わっているとはいえ、使えない人間は「容赦なく切る」父親のことを思えば、失望される前にかかわらなければよいのだとどこかで諦めてもいた。
「このまま傍観していたいものだわね」
玲自身が家出してから結婚までの頃を思えば、実家の事業をないがしろにしていた当時と違って、ただのわがままではなく、生活する拠点があり守りたい家族がいる。騒がしいことに巻き込まれたくないというのは、妻として母としての本音なのだ。
「でも、玲があいつらと同じ立場だったら、あたしらと今こうして遊んではいられなかったろうよ…」
慰めはしないが、真実はいつも玲の欲しい言葉をくれる。玲は小さく「そうね」とだけ答えた。
「…桜子は母校の大学教授の夫人に納まって、この春から学部長夫人だそうよ。ひとり娘の…紫子(ゆかりこ)? 美古都(みこと)よりひとつ下だったかしら? 小学校で失敗してるから、中学ではガッツリお受験させて一貫校に入れるつもりらしいわ。今から殺気立ってるわよ彼女」
本家の女子会では一番威光を放っていた…と話す。
「へぇ…。同級生じゃなくてなによりだよ。教育ママとは語り合いたくないもんだ。…自分の娘にもイケメンの家庭教師揃えてるのかね?」
このまま自分の世界とは違うところにいてほしい…と、小さく嘲笑する真実。
「そうね。そこまでは聞かなかったけれど…ありえない話ではないわね」
高校在学中の桜子を思い出して笑う。
あの頃の桜子を思えば「夫との夫婦生活はとうの昔に凍結されている」と語っていた彼女もまた、織瀬のようにさみしい思いをしてるのかもしれない。娘にイケメン家庭教師をつけているのであれば、もしかしたらあるいは〈第2の思春期〉を謳歌しているのかもしれない…と余計な勘ぐりが脳裏をかすめないこともない。が、それは言及すべきではないと口を閉ざした。
「同じ娘でも、立場が違えば育て方も違うわね」
「そうだろ~? 目に浮かぶよ」
やっぱり行かなくて正解…と毒づく。
「遥は言わなくても想像がつくだろうけど…。彼女、マコのこと『同じ穴のムジナ』だと思ってるわよ」
「なんでよ?」
大げさに目を見開く。
「彼女。患者と同じ数だけの男でストレス解消するんだとか、相変わらずズレた考えを当たり前のように語っていたわ…」
昔はそこまでじゃなかったはず…と、現在の悪癖を憂う。
「はっ…! 一緒にしないでほしいもんだね。ちゃんと否定したんだろうね、玲。患者と同じ数だけの男でストレス解消? いくつになると思ってんだ? まもなく40だぜ? 相変わらずスゲー自信家だな」
昔から、どうにも上から目線が気に入らなかった…と憤慨する。真実が顔を出さなかったのには、やはり彼女の存在も少なからず関係しているようだ。
「嫌いだった?」
「苦手、な、の」
「どっちも変わらないと思うけど…。でも、一番びっくりしたのは花村さんね」
「弥生すみれか…!」
真実は本音ではこれを待っていた…とは、玲には言えない。
「そう、弥生すみれ。…なんだか少し、人が変わったというか…昔はもっとおどおどしてた感じがあったけど、芸能界は人を強くするのね…」
しみじみしながらシャンパンを口に運んだ。
「へぇ…」
「そう、なんか違和感があったの…! 思い出したわ。彼女、…吸いもしないタバコを片手に何度も、箱から出しては灰皿に押し付けてたわね…。あれにはなんの意味があったのかしら? 持ってないと落ち着かないのか、ただのスタイルだったのか、いちいち行動が気になったのよね…」
「へぇ…。吸ってなかったんだ…」
一応気にしているのか…と感心したものの、
「でも、いつの間にかワインボトルが脇に置いてあって、手酌でガンガン飲んでたわね。だから違和感があったのかしら?」
おかしいでしょ…と、真実を見る。
「それも芸能界とやらで覚えたんじゃないの…?」
前言撤回とばかりに鼻で笑った。
「あ、そういえば彼女、帰りにマコのこと聞いてきたわ」
「…なんだって?」
「家業を継いでいるのか…とかなんとか。まさか、マコのところに行ってたりしていないわよね?」
「いや…」
即答したことに罪悪感を覚えるも「守秘義務」とは実に厄介なものだと頭を抱えた。
「そうよね、用ないわよね…。なんだったのかしら…?」
訝しむ玲に「そういうことね…」とひとり納得する真実であった。





まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します