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家族3〜祖母〜

祖母の家族構成

祖母は6、7人程のたくさんの兄弟がいました。
下から2番目くらいだったと思います。
私がお会いしたことがあるのが、
兄1人、姉1人だけです。
お姉さんは私が小学生の頃まで、
年に1回ほどお家に遊びに行っていました。
祖母が亡くなるより前に他界されています。
お兄さんは今もご健在です。
祖母が亡くなってからも
本当の孫?娘?のように可愛がってくださっています。
本当にありがたい限りです。
祖母の兄弟は自身が出世していたり、
出世している方に嫁いでいる方ばかりで、
祖母が祖父と結婚した時は
“なぜあんな人のところへ嫁ぐの?“と
批判されていたと聞いたことがあります。
家庭的ではない祖母は、
きっと口うるさく言わない祖父とだったからこそ
うまく夫婦として成り立っていたのだと思います。
いい相手を見つけたなぁとつくづく思います。わら。

祖母の生い立ち、性格

祖母は肺が弱かったため
闘病生活が長く、お家にいる事が多かったです。
家族の中で亡くなるが最後だったことと、
私が2年ほどのニート期間を実家で過ごすことが多かったため
祖母とはたくさんお話しをしました。
祖母が話すことが好きだった影響もあると思います。
母や叔母たちの幼少期の話は
8割方祖母から聞いたと言っても過言ではありません。
祖母は肝の据わっている方でした。
祖母の幼少期の話を聞いても
“小さい頃から性格変わってないんやね…”という印象でした。
“ゴーインクマイウェイで
何が起こっても動揺せずに乗り越える。
小さいことは悩まず、気にしない。”と
羨ましすぎる性格を幼少期から持ち合わせていた祖母でした。
ハプニングが起こってパニックになった時は
祖母かえりちゃん(祖母のその性格を引き継ぐ叔母)に
相談して助けてもらうというのが
テッパンの流れでしたね。
本当に頼りになる祖母でした。
家にいる専業主婦のようなタイプではなく
若い時は外に働きに出たり、飲みに行ったりと
アクティブに活動していました。
よく行きつけのカラオケ喫茶に
連れて行ってもらった記憶があります。
車の免許を持っていなかったが故、
原付を乗り回すファンキーな女性でしたね。
いつも人生をめいいっぱい楽しんで生きている、
そんな印象が強かったです。

祖母との思い出

祖母と私は血が繋がっていません。
母は3姉妹の長女なのですが、
私の実の祖母は体が弱かったため
母を産んですぐに亡くなったそうです。
祖父が母を連れて再婚したのが祖母でした。
祖母は自分が産んだ子(叔母2人)よりも
祖父の連れ子である母を1番に可愛がるように
心掛けていたと祖母から聞いたことがあります。
私のことも孫として
しっかり愛情を注いでくれました。
血のつながりなんて関係ないと
身をもって実感させてくれた祖母でした。
私が母に対して反抗期だった時期も、
メンタルが安定せず実家でニートをしていた時期も、
“大丈夫、そのままでいい。
困った時はおばあに言えばいい。
無理はしなくていい、何とでもなる。”と
いつも絶対的味方でいてくれました。
たくさんの愛情を注いでくれた祖母でした。

祖母とのお別れ

祖母は持病持ちだったが故に
家にいながら通院している時期が長かったです。
しかし祖母の病状も徐々に進行していき
入退院を繰り返す生活を送っていました。
祖母は当時、祖父も母も他界した後だったため
実家ではな(愛犬)と2人暮らしでした。
えりちゃん(叔母)が毎日
実家の様子を見に行ってくれていました。
身の回りのことを自身でこなすことが
困難になってきた頃、
祖母が“病院にいる方が楽だから…”と
よく入院するようになりました。
ここで問題に直面したのです。
病院は亡くなるまでずっと長期間は
入院させてはくれないのです。
トータル何日以内と
細かく決まっていました。
(詳しい日数を覚えていないため参考にならず、すみません。)
そこでえりちゃんが
“もうここの施設くらいしか入れるところなくて…”と
見つけてきてくれたのが
看取りの施設でした。
口コミはよくなかったものの、
家で看ることもできず
もやもやする気持ちに蓋をして
その施設に入ることを同意しました。
その施設に入ってから
衰弱して動けなくなるまでは
あっという間でした。
そして体調が回復することもなく
そのまま亡くなりました。
自分の無力さを目の当たりにしました。
現実を受け入れることしかできませんでした。
しかしその反面
えりちゃんがやっと解放されるという
安心感もありました。
世の中には介護で苦労されている方が
たくさんおられると思います。
優しい方、真面目な方ほど
介護で自分を追い詰めてしまうことが
多々あると思います。
あまりご無理をなさらないでください。
死の前では皆、無力です。
現実を受け入れる心の準備だけなさって、
今、自分がその方にしてあげたい事をしてあげてください。
できないことはできないでいいのです。
あなたの心が1番大切です。
それが祖母の死を経験した私が
お伝えすることのできる言葉です。

いつも絶対的味方でいてくれた祖母。
きっとあちらの世界に行っても
おばあらしく楽しく過ごしてるんじゃないかな。
たくさんの愛情をありがとう。
私はあなたの孫で幸せでした。
おばあちゃん、大好き。


家族4〜叔母(よっこちゃん)〜へ続く…

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