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「コーヒーと窓の外」

「コーヒーと窓の外」

カフェでコーヒーを飲んでいた
窓越しの通りで、男と男が喧嘩を始めた
中年の男と若い男
怒鳴り合い、相手をつぶそうと全身で立ち向かっていた
通りがかりの人は遠巻きに様子をうかがっている
周りの時間は止まったように、2人の爆発した時間だけが進んでいた
肉体は血でみなぎり、暴走している
感情が窓越しに伝わってきて
胸の鼓動が速くなり、手が熱くなった
殴り合っていた
人と人は立ち向かっていた
肉体と肉体はぶつかり合っていた
込み上げる怒りに邪魔するものはない
いつもは接点のない怒りの溜まった感情が身体中に満ち溢れ
今は相手を叩き潰すことに全てが変わった
相手にやられまいとする感情
相手を潰すという感情

こういう時は、戦争から逃げ惑う少女の写真が頭をよぎる
子供の頃、大人に向けた恐怖を思い出す
そのまま大人になってしまった自分を責めるべきなのか戸惑う

コーヒーはいつもと同じように苦く、胸の奥に染みこんでくるはずが
怒りと拳の思いを無理やり胃の中に流しこんで、息苦しくなった

飲み込んで自分の置き場所を探したが、全くしっくりこない、納得できない
どれもこれも片づけられないことが分かっているからだ
座る場所がなく、イライラすることが百万遍も分かっているからだ
どうせまた、どうしようもなく、彷徨うしかないことを知るだけだからだ

持っていた新聞を広げると、活字に形づけられた風景が
ロキソニンかキャベジンか
読むと胃の中にある自分はいつの間にか溶かされて消化されてしまう
そしてまた、時間は意識しないうちに過ぎて行ってしまう
情けなさも言い訳を伴なって理性に変わってしまう

地球はクルクル回り
ロキソニンが効かなくなるころには
当たり前のようにもっと強い薬を求めてしまうのか

人間を信じるしかないのだろうけど
信じて良いのか
大人になった自分のことさえハッキリと意識できないのに


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