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同じ絵本を繰り返し読んで感じた、子どもの成長。

こんにちは。
とくちゃんです。

うちの息子ちゃん、寝る前に本を読んであげますが、
お気に入りのこの本が読みたい、
と言ってきました。

このあと どうしちゃおう


ヨシタケ シンスケさんの、すばらしい作品です。

毎回、読むたびに感じるものがあります。

うちの息子ちゃんも、大好きな様子。

最初、読み始めたときは、
死をテーマにしているので、
子どもにとって、重すぎないかな?
そもそも、おもしろいと感じるのかな?
と、少し心配だったのですが、
まったくの杞憂でした。

すごくおもしろそうに話しを聞いています。
そして、
「おじいちゃんの死」
という話についても、
ちゃんと理解していました。

子どもって、大人が思い込んでいる以上の存在です。

今回で、もう何度目かな、
というくらいの読み聞かせを、
し始めました。

ただ、前ほどは、余計な解説は、せず。

もう、いろいろわかってきているし、
抑揚はつけますが、
書いていることそのままに読みます。

すると、
息子ちゃん、
途中でいろいろと感想を挟んできたり、
疑問に感じたことを、聞いてきたり、
します。

ぼくなら、これがいいな、
とか。

あるいは、
うわー、これはいやだ、
とか。

そうしているうちに、
ふと、
「あれ、お父さん。」
と。
「なあに?」
と聞くと、
「これ、絵がノートみたいなところに書かれているよ?」
と言います。

この本を読むと、分かりますが、
たしかにノートみたいな罫線の上に、
絵が描かれています。

「よく気がついたね!
そうだね。」
と返します。
「これ、なんだろう?」
と、息子ちゃん。

「なんだと思う?」
と、ぼく。

うーん、と、少し考えて、
あれ?
と数ページ、めくります。

「あ、わかった。
これ、おじいちゃんのノートに書いている、
ってことを、表しているんだね。」
と、息子ちゃん。

すごい、パーフェクトなお答え!

「その通りだよ!」
と、ぼく。

おじいちゃんの残したノートに書かれている、
という表現のために、
作者がわざとノートの上に書いたような表現にしているんですよね。

その、
「作者の目線」
というところまで、思い至って気づいたのが、
すごいなー、
と、率直に感じました。

また、
罫線自体も、薄く書かれているのですが、
こういうものも、気がつくように、なってきたのですね。

なんだか、読み方も変わってきて、
そんな中にも成長を感じました。

しばらくすると、
ノートの話から、
やがて、主人公の男の子の話へと、
変わります。

しばらく読んでいると、
今度は、
「あれ?ノートの線が、なくなっているね。
なんでだろう?」
と、また疑問の声を上げます。

「うん、またいいところに気がついたね!
なんでだと思う?」
と、また聞いてみます。

すると、また少し考えて、
「(ノートの)お話が終わった、ってこと?」
と言います。

「その通りだよ!
よく気がついたね!
おじいちゃんのお話は、終わっているもんね。」
と答え、また続きを読みます。

こうした細かな変化に気づき、
その理由も、自分で考えみる、
といったことが、できるようになってきているようです。

子どもって、ほんと、成長していくんだなあ、
と、感慨深く、一緒に絵本を読んだのでした。

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