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内側から見たミラノ サローネ 4

Salone del Mobile visto dall'interno 4 
日本使節団と大臣のコスミット社訪問  la delegazione giapponese al Cosmit

 2007年にコスミットのイベント コーディネート担当のP.L女史から連絡があり、「毎年、君が日本のメーカーも参加させて下さいとお願いしてきたが、今回とうとう、日本家具業界の代表団が日本政府の大臣をつれて、メッシーナ社長に直接会いにミラノに来る。君もオブザーバーとして会議に来てくれないか?」と依頼された。彼らが来ることは知っていたが、出展者(日)主催者(伊)のどちらサイドに座るのかは未定だった。


 この当時、既にイタリア有名家具メーカーは日本国内にショールームなどを持ち大きなビジネスをしていた。一方、日本の家具メーカーは日本家具産業振興会(JFA)主催の東京国際家具見本市(IFFT)を開催していたが、国内マーケットが殆どで、輸出促進が大きな課題であった。私も彼らの依頼を受け、何回も「出展させて下さい!」と言っていたが、「ムリムリ、知ってる通りキャンセル待ちが多すぎて、それを飛び越すことは出来ません~」と、毎回そっけなく言われてた。そこにやっと日本政府も重い腰を上げて、甘利明 経済産業大臣(当時)がイタリア公式訪問するにあたり、ミラノにも来てコスミットに直談判する事になった。

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 会議の場所はフィエラ会場の広い会議室。大きなテーブルの向こう側には 甘利大臣を中心に約10名 こちらは当時のコスミット社長のロザリオ メッシーナ氏 Rosario MessinaFlou会長)を中心に6名。最終的にメッシーナ氏は「はるばる日本から代表団が大臣をつれて来たし、我々のサローネの名前にも英語ではミラノ インターナショナル ファニチャーフェア で インターナショナル がついてるから、これ以上断り続けるのは無理だな~。適当なスペースを見つけて、来年の参加を可能にしましょう!」と日本代表団に言った。

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と同時に自分のスタッフ達に向かって「空いてる場所は無いけど、ちょっと色々ずらせばどこかに出来るよな~?」と投げかけた。スタッフ達はお互いの顔を見合わせて、Boh ボ~ッ, 口をすぼめ 肩をすくめるジェスチャーをしていた。不可能を可能にするトップ同士の会談とはこういうものかと目の当たりにした。これで日本企業のフィエラ会場、一般家具部門への2008年の参加が保証された。

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 日本のトップダウン戦略は功を奏したが、大変なのは既に満杯の会場のどこかに日本ブースを割り当てなければならないコスミット社の担当者。
Beh, ベッ~、メッシーナ社長が あー言ったんだから、何とかして場所を作らないと、、これから伊で最も複雑なモザイク パズル作業が始まるw...」と、一言つぶやいていた。 東京ビッグサイトの2倍の広さのフィエラ会場に 2500以上のピース (ブース)が ぎっしりと詰まってるジグソーパズルだ。 他人事ながら大変な作業だなぁ と思った。


 ここに、何年間も断られ続けてきた、ミラノ サローネのフィエラ本会場に、めでたく日本ブースが出来る事になった。これが現在でも単独出展しているカリモク家具、マルニ木工、リッツウェルなどの足場作りのスタートでした。

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