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スタンドバイミー函館⑤「雑品屋のおじさん」

雑品屋のおじさん

「ちえ、ゴダッペだ」
「また、ゴダッペだ」
友達の寄本と、近くの松倉川の支流に鮒釣りに行った時だ。
松倉川は函館の湯の川温泉海岸に流れ込む中河川である。
鮒を狙っているのだが、先にエサに食いついてしまうのがゴダッペである。正式名は分からないが、体の割に頭が大きい、当然口が大きい、多分ハゼの仲間である、我々はゴダッペと呼んでいる。

「どうするごだっぺ」
バケツの中は二人で、ゴダッペは十数匹、鮒は小さいのがわずか一匹である。
「ゴダッペは捨てよう、鮒も小さいから一緒に」
と、川に戻し、空のバケツを持って、近道の田んぼの畔をあるいた。
「米(ヨネ)、あそこ見て、」
「お!でかい」
そう、田んぼと田んぼをつなぐ樋があり、その樋に、30センチもある鯉が挟まって、バタバタしていているではないか。
これ幸いと、二人で田んぼに入り、挟まっていた鯉を取ろうとした瞬間
「こら、こんな所で遊んで」
「こっちへ来い」
「お前たちだろう、ここで遊んで、畔や、樋を壊しているのは」
と、でかい声のおじさんが現れて、つかまり、まず寄本が、頭を拳骨でゴツンとやられた。私もたたかれそうになり、
「違う、違う、遊んだりしていない。樋に魚が挟まっていたので,取りに行っただけだよ」
と、訴えたが聞き入れず、拳骨でゴッンとやられた。               「いいか、ここで遊んだらだめだぞ」 
と言い捨て、放免された。拳骨はそれほど痛くはなかったが、悔しいのが先に立ち、涙目になり家に帰って来た。」
丁度家の庭では、隣の雑品屋のおじいさんが来て、母と雑談してお茶をのんでいた。

「どうした、二人とも,しけた顔して」
「鮒釣れなかったのか」
と聞かれたので、先ほどの話をすると、
「あそこの田んぼは、鮫田の所だな、可愛い孫たちの話も聞かずに拳骨とは、ちょくら文句言ってくる。」
と立ち上がり、ゆっくりと二人が戻って来た方向に歩きだした。母も怒っていたが慌てて、
「この子たちにも非は少しあったのでーー」
ぼくたちも
「おじいさんありがとう、もういいよ。いいから」
と、何とか止めた。

 この雑品屋のおじいさんは、隣の住人で、苗字は橋本であるが、僕たちは雑品屋のおじいさんと呼んでいた.やせて、少し腰が曲がっているが、手足が長く、骨太で大きい、物知りで、大工仕事から料理まで、何でもできるおじいさんだ。年は聞いたことがないが、70歳はいっていたと思う。
隣の自宅も自分一人で建てたと聞いている。我家では、ちょとした大工仕事や、柱時計や自転車などの修理を頼むと、あの大きい手で、器用に作ったり直したりしてくれる、得難い隣人である。

 先日あの松倉川に、ウナギが上がって来ると聞いた。早速
「おじいさん、ウナギを取りたいんだけど、どうしたらいい」
「松倉川か、そうだな、置き針がいい」
「置き針」
「うん、いいか、夕方、大きな針にドバミミズを引っ掛けて、川の淀んだ所の土手に、竿を刺して置いておけ、朝行って、竿を上げ、うまくいけば掛かっているぞ」
 私は即、しっかりとしたポプラの枝に、綿糸の糸を結び付け、言われたとおり、大きなミミズを針に刺し、夕方仕掛けに行った。
「どこがいいかな」
迷いながらも、5本仕掛けた。

次の朝
「掛かっているかな、どうかな」
期待を膨らませて、足早に松倉川に向かった。
仕掛けた置き針の所に行き、一本目を引き上げた。スーと竿が上がる。
「残念、手ごたえナシ」
今度こそはと、二本目を上げる。グッグッとすごい手ごたえ、なんと40センチはあろうかと思う、大きなナマズが掛かっていた。
「やった。」
三本目も連続して、ナマズの大物が掛かっていた。四本目は空振り。
最後の五本目に期待をかけて引き上げようとしたが、これがなかなか引き上がらない。
「これは超大物、今度こそウナギだな」
竿を上下、左右に,振ったりするが抜けない。しばらく竿と格闘して、とうとう思い切り、力任せに引っ張ると、ブツンと糸が切れてしまった。

「チクショウ、あれは絶対ウナギだったな」
と悔しい思いもしたが、大きなナマズ二匹の大収穫だった。家に戻り
「これ食べられる」
と母に聞いた。母も大きなナマズを見て、びっくりして
「隣の橋本さんのおじいさんに見てもらったら」
私は早速持って行った。
「おお、ナマズか、初めてにしては、大手柄だったな」
「こいつは美味い、ウナギと同じくらい美味いんだ。後で調理してやるから、たらいに水を汲んで、しばらくそのままにして置きなさい」

次の日の夕方、雑品屋のおじいさんが来て、手際よくさばいて調理してくれた、かば焼きと同じように焼いて食べた。口が大きくグロテスクの姿に似合わず白身でおいしかった。
雑品屋とは、今のリサイクル店で、物置にたくさんの本や、新聞、雑誌があるのを知っていた。
ある日おじいさんの留守を狙って、こっそり物置に入った。
「あるある雑誌がいっぱいある」
何冊か抜き取り見るが、少年雑誌はなかなか見あたらない。多いのは婦人雑誌ばかりで、中には女の人の裸の雑誌もあり、雑誌の絵と、物置に入ったのを見つからないか、ドキドキしながら、雑誌の山を崩さないように急いで探していた。 

「ギギギーバタン」
急に戸口が開けられた。「ドキン」心臓が高鳴った。
おじいさんがたっていた。   
「なんだ空き巣かと思ったら、ター坊か」
「ごめんなさい。漫画の本がないかって」 
「漫画雑誌はないだろう」
「黙って入ってごめんなさい」
と神妙に頭を下げた。おじいさんは、私の頭に手をやり               「今度入ったら持っていってやるよ」 
と言ってくれた。
おじいさんには「この世の花」で人気急上昇の、島倉千代子似の、明るいお姉さん(娘)がいた、しばらくして、お婿さんが来て、表札は橋本と倉田の二枚出されるようになった。

お盆も過ぎ、残暑厳しい九月下旬昼過ぎ、お姉さんがあわただしく家に駆け込んできた。
「父が、父が」
母と一緒に、隣に走り込んだ。庭の敷石の上に横倒しになっているおじいさんがいた。頭は少しこんもりとした庭石の上にあった。救急車がすぐ来て、おじいさんは運ばれたが、元気な姿で戻ることはなかった。年は76歳であることを知った。
「あのかくしゃくとしていた雑品屋のおじいさんが、なんで」            の思いと、うなぎ釣り、イワナ、ヤマメ釣り,ナマズ等の川魚の料理、鳥もちでの小鳥取り、今まで数々教えてもらった体験がよみがえった。

そして
「カチン、カチン、カチン」
あの柱時計が、規則正しく時を刻む音が、妙に響いて聴こえた。しばらくして、隣の表札は倉田一枚になった。


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