図書館には北海道大学付属図書館や北海道立文書館などいろんな図書館があり、私は現場労働者出の歴史にはズブの素人だから怖いもの知らずで、司書さん学芸員さんらに聞いて…
昭和 24 年、私は 6 才だった。私の住んでいた善光寺の東門の道ぞいに 13 軒の家があり私の家の右隣は母の妹の海軍兵学校夫妻で隣は口を染めたアイヌ人の婆さんがいた。 …
花のカメラマン 土屋 忠紀
2022年3月2日 05:29
図書館には北海道大学付属図書館や北海道立文書館などいろんな図書館があり、私は現場労働者出の歴史にはズブの素人だから怖いもの知らずで、司書さん学芸員さんらに聞いて回った。「伊達の風土」という冊子に出会い有珠の近所の人で「有珠は何も歴史が残っていない」となげいているのを知り、札幌にいるあいだできるだけ資料を集めようと思った。熊のことを書いた本、アイヌ人の人々からの聞取り本など手当たり次第に見た。
2022年2月18日 14:50
昭和 24 年、私は 6 才だった。私の住んでいた善光寺の東門の道ぞいに 13 軒の家があり私の家の右隣は母の妹の海軍兵学校夫妻で隣は口を染めたアイヌ人の婆さんがいた。左隣は室蘭の栗林の船長さんで、そして斜め前には、いつも犬の毛皮のそでなしを着たデップリと肥えたアイヌ人がいた。外出は馬にまたがり、時には古い村田銃を背にすることもあった。だれもがサンケオドと呼んでいた。もう一人同じ体形の「耳タ