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それぞれにそれぞれの軌跡


今日は、小学生の子供の運動会!
コロナの影響で、かなりの縮小でしたが、開催されただけでも嬉しいものです。

ところで、私の子供は小学5年生と6年生です。(後、他におっきいのが2人いますが)

6年生のお兄ちゃんは、2年生の3学期から登校お休み中。
世の言葉でいうと不登校中です。
お兄ちゃんが学校に行かないことを、受け入れられるようになったら、私もお兄ちゃんの学年の用事で学校に行く足が遠のくようになりました。
最初は頑張っていました。親の私だけでも頑張らなくちゃって。
でも、徐々に何のために頑張っているのか分からなくなりました。お兄ちゃんの気持ちに寄り添えば寄り添うほど、お兄ちゃんに、学校に行きなさい、行くもんだ、なんて言えなくなりました。
そして、私が学校に行ったら、お兄ちゃんに苦痛や不安を与えるんだって思うようになりました。

「あなたのしたいようにしていいんだよ。」
お兄ちゃんにはそう言ってます。
行かないことを選んだお兄ちゃんに合わせて、私も最低限しか学校には足を運びません。

私がしょっちゅう学校に足を運んで学校の話ばかりしていたら、
なんだかんだ言ってママは僕を学校に行かせようとしている。
なんて思うかも。
そう思わせたくないんです。


でも、今日は運動会!
5年生の末っ子の晴れ姿を応援する目的で学校に足を運びます。これは1番の目的。
私の2番目の目的は…。
お兄ちゃんの同級生の成長した姿を見る事。ルンルンです。いつも見れませんからね。

6年生ともなると、応援団長とか鼓笛隊とか出番が多く華々しい。

久しぶりに見るお兄ちゃんの同級生達、ぐーんと大きくなっていました。

うちのお兄ちゃんと幼稚園の時にいつもつるんでいた子が応援団長やってる!
成長したなあ!

胸が熱くなりました。

6年生の子供達、ひとりひとりをゆっくり眺めていたら
その子供の後ろに、その子の軌跡を感じました。 
まだまだ6年生。12歳。
それでも、ひとりひとり、それぞれの軌跡があるんです。
その軌跡を通ってここに来たんだな。
うちのお兄ちゃんにも、お兄ちゃんだけの軌跡。
このそれぞれの軌跡を良い悪いなんてジャッジ出来る訳がない。
そう思ったらなんだか涙が出てきました。

ふと自分の周りを見ると、
自分の子供にカメラのレンズを向ける親。
声援を送る親。
拍手を送る親。

このひとりひとりの保護者にも、それぞれの軌跡があるんだなあ、と。

そしてもちろん私にも、軌跡があるんだ。
この上なく愛しい軌跡。この軌跡があるから今の私がここにいる。

そんなことを思ったら、ここにいる全ての人の軌跡、すなわち全ての人を尊重する気持ちが湧いてくるのを感じました。

全ての人は尊重に値するものなのね。

じーん。
すっごく幸せな気分。
ありがたい気分。
あー、メガシラ熱くなってきました。

涙をぬぐったら
それに気づいた誰かがうちの末っ子にそれを伝えて
後で、ママ恥ずかしいから泣かないでよ!って怒られちゃう!


末っ子の後ろにも末っ子の軌跡があり。

なんだかいる人全ての後ろにカタツムリが通った後のような軌跡を感じる、何を見に行ったのか分からなくなる運動会参観となりました。




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