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人生は積み重ねではなく、積み減らし-岡本太郎

タイトルは岡本太郎の有名な言葉ですが、積み重ねることは人生に重要ではない。という岡本太郎の強烈なアンチテーゼです。

『積み重ねて、仕事やビジネスで成功するんだ!』といったことが日本ではポピュラーですが、それは本当に生きてるんだろうか?といったことを著書で語っています。

一生懸命勉強して、いい大学、いい会社、安定した生活。

そうやってレールに乗っていると、とても安心で安全な生活はおくれるかも知れないけど、本来人間は命の危機と対面してはじめて生を感じることができる。

そこを現代人はよく分かってないんじゃないか?
安定した毎日だけど、働いてて死んでいるような感覚はないでしょうか?

そう考えた時に社会の常識や世間体を気にせず、自分の殻を破って爆発させることが大事だ!といった言葉が『芸術は爆発だ!』です。

この言葉は流行語大賞を取りましたが、何か勘違いされているような気がします。

岡本太郎はどんな絵を見ても、『ただの絵じゃねえか』と思っていたというのを聞いて僕は結構衝撃を受けたのですが、岡本太郎にとって、自分の生き方を通すための職業がアートだったようです。

アーティストは一般職と違って生活は安定していない。
だからこそ人生のきびしさを持って生きれるからこそ面白い。

日本で好きなように行きていくには?

日本という国では、オリジナリティを持つことが許されない。
積極的に生きようと思っても、まわり中から足を引っ張られる。

これは日本の道徳観からきている。
一度農民の子に生まれれば一生農民であり、自分の運命が決められてしまって、そこから出ようとすると秩序をみだす、非道徳ということで仕置きされる。

だから自分の好きなように生きていくことができない。
あまりにも独自であるということは極めてケシカラヌことであり、恥ずべきことのように扱われる。
これがこの国の社会閉ざされた大きな『村』なのだ。

これは非常によく分かります。
僕自身独立する時や、デザイナーを目指す時に周りから反対されました。

ですが1度独立したり、デザイナーになってしまえば、そういうもんだと思って何も言ってこないので、不思議です。

岡本太郎はアーティストの道を選びましたが、そういった面でもアーティストは都合が良かったんじゃないでしょうか?

『あの人は変わっているけど、アーティストだから…』と自然と周りが認識してくれるからです。

ただ岡本太郎でもアーティストとして生きる決意をした時や人生をかけた決断をする時は怖かったようです。

そんな時に、よく考えたことがあったようです。

あれかこれかとという場合に、なぜ迷うのか。
こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰もが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。

そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。

絵の才能について

人間は自分をきつい条件の中に追い込んだときに、初めて意志の強弱が出てくる。
この点を、実に多くの人がカン違いしている。たとえば、画家にしても才能があるから絵を描いているんだろうかとか、情熱があるから行動できるんだとか人は言うが、そうじゃない。
逆だ。何かをやろうと決意するから意志もエネルギーもふき出してくる。
何も行動しないでいては意志なんてものありゃしない。

この言葉にはハッとさせられました。才能や情熱よりも決意が先にくる。これから何かの目標に向かって頑張ろうと思っている人には響く言葉じゃないでしょうか?

芸術の鑑賞方法について

作品はあくまでも、生命の深淵への手がかりにすぎない。その内容の方をつかもうとしないで、うわべの効果や美学、ムードだけにまどわされては意味がない。

精神力を持って凝視すれば、そういう上っ皮を乗り越えて迫ってくる、人間的本質がわかるはずだ。それは表現以前・以後の問題なのである。

僕は多くの人の鑑賞の仕方が不純に思えてならない。
たとえば、作品の前に立って、それを直接見届ける前に、まず、これはいったい誰の作かということを気にする。有名な巨匠の作品、ゴッホでもピカソでもいい、そんな偉い人のだとわかると、とたんに、「なるほど、やっぱりいいですね。さすがは」などと、口先で感嘆してしまう。まだよく見てもいないのに。感心しないと、芸術がわからないと馬鹿にされるのではないかと心配するのだ。

作品をじっと見つめてごらんなさい。自分の実力、精神力で、内に秘めたものをバトン・タッチすれば、決してただ結構だったり、楽しく、気持ちのよいものではないはずだ。優れた芸術であればあるほど、おていさい、きれいごとの職人芸ではないのだ。「あら、いいわねえ」なんてのは、ほんとうにみつめていない証拠だ。

芸術にふれるときは、相手の高みにまで踏み込んで行かなければならない。日常の小賢しい自分のままで、ぬくぬくと坐ったまま、つかめるはずがない。感動するということは背のびを強要されることだ。

対するものが素晴らしければ、せいいっぱい背のびしても間にあわない。その距離は絶望的だ。身体をズタズタに切って伸ばしたって届かない…。しかし、そのアガキの中にこそ、今まで自分の知らなかった新しい自分が出現してくるのだ。

上記のように岡本太郎は言っていますが、僕自身も芸術を見る時にそこまでじっくり鑑賞していませんでした。自分の好みの絵をみつけてはしばらく見てちょっといいなぁと思っては美術館の進路に従って進む。

そういった面では、日本ではほとんどの人は本当の意味での芸術鑑賞はできていないのではないでしょうか?

パリの美術館では、進路などなく自由に絵を鑑賞できます。それが本来の美術館のあり方なのでしょう。

生きがいのみつけかた

自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生きぬかなければならない。

確かに今日の小市民生活は物質的には恵まれている。暮しは昔に比べてはるかに楽になってはいるが、そのために生命の緊張感を失い、逆に空しくなっている。

進歩だとか福祉だとかいって、誰もがその状況に甘えてしまっている。システムの中で、安全に生活することばかり考え、危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。

この言葉は、僕自身も痛感していました。

独立する前はデザイン事務所でデザイナーをしていたんですが、毎月安定した給料も入ってくるし、自分の好きな仕事もしている。
だけど毎日が死んでいるような気持ちを持っていたことを覚えています。

まとめ

今回は岡本 太郎の著書『自分の中に毒を持て』を一部抜粋して紹介しました。

岡本太郎の言葉には熱があります。

僕は人の生き方はそれぞれだと思います。

安定した毎日を送らないと不安で眠れないかた、安定しているけど毎日の生活に違和感を感じている方。

色々な人がいます。

岡本太郎の言葉は偏ってはいますが、胸に刺さるものが多いです。

日本でもっとも有名なアーティスト岡本太郎の生き方や言葉をまとめたこの本は、今を生きる現代人にはとても大事な言葉のように思いました。

芸術に興味がある人、アーティストを目指している人には特におすすめです。

もし興味があれば読んでみてください。

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自分の中に毒を持て


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