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【紀行文】モノに託した呪い(まじない)は、今も我々の生活に生きている

半年ぶりの山梨県立考古博物館 前回は寒かったが、今回は実に暑い

 山梨県笛吹市から西に車を走らせ、山梨県考古博物館に向かった。
 ここでは県内の考古資料を分かりやすく展示しており、この前の冬に訪れた際に堪能した。その際の記録はこちらの紀行文にまとめてある。
 企画展の会場はそんなに広くないが、前回は近隣四県合同の発掘成果及びフォッサマグナ関係の資料が並んでおり、ここで私は翡翠のすばらしさに就て改めて知ったのである。

常設展も再度堪能

 今回、企画展が目当てではあったが、常設展も一通り見たかった。余裕を持った展示で、解説パネルも分かりやすく、土器の文様の解説などはイラスト入りで興味を引いた。旧石器時代から現代まで通史で展示されているのだが、私の興味が古代までぐらいなので、そこを中心に見た。
 いずれ中世や近代に興味が出てきたときに、再度発見があることだろう。今はあまり欲張らない。いずれ興味は移り変わるものだ。

縄文のころシカもイノシシも食されていたようだが、土器に現れるのはイノシシだけだ。
蛇や蛙、そしてイノシシは生まれ変わりや多産の機能を持った神であり、その力を宿そうとしたのではなかろうか。
蛙であろうと思われるが、とても長い手足を持ち、蛇と蛙のキメラが描かれているようだ。
数々の土偶が山梨県内では出土している
様々な表情の土偶たち こうして並ぶと何か不安定な気持ちになる
戦いに赴く人の無事を祈ったのではないかと思っている

 縄文時代はせいぜい10~20人程度の人々が4~5軒の集落で集団で移動して暮らしていた。神々の存在が身近な時代。そのとき神々の言葉は、すべての人に注いだのだと思う。自然と一体に暮らしていた彼らは、神々の言葉を直接聞いていた。
 しかし弥生時代以降、農耕文化や定住により集団の単位が大きくなり、ごく限られたもののみが神の言葉を聞くようになった。神々の言葉は、直接聞くものではなく、シャーマンやその審神者によって語られるものとなった。 
 神々は世界の向こうに後退した。
 祈りの形は変化した。人は獲物の命だけでなく、人の命を狩るようになる。狩猟からの生還を祈る呪いから、戦いに赴く人の無事を祈る呪いに変わっていったのではないかと思っている。

企画展「呪いの世界」

 今回この考古博物館において、呪いまじないの世界と言う企画展が開かれており、大変面白そうだと期待して見に来た。

 呪いまじないとは、物理的空間を超えて精霊や神々の力などを使い、現在または未来をコントロールするものである。現在のように、科学的思考や根拠がない時代において、呪いは、現代における科学と同等の論理性を有しており、一定の呪いの論理により、願望が実現されると考えていた。
 有名なのは類感呪術と言われるイギリスのフレイザー卿によって解き明かされたものがある。
 要は人間以外のモノが持っている性質を真似することで、その効果が得られると言うものである。

この企画展は「うめる」「うつす」「かく」「いのる」という行為でカテゴライズした呪いの遺物を展示していくとのこと
「よくわからないけれど、たぶん儀式に使ったもの」としか説明できないジレンマを感じる。たぶん個人的な意見や感想はあるのだろうな。

 今回の企画展では「うめる」「うつす」「かく」「いのる」などのテーマに分け、山梨県内において発掘されたものに見えている。まじないの要素をカテゴライズし、ピックアップしたものである。古代の人々の精神史や精神構造に、現在非常に興味があるため、この企画点は刺さるものであった。

蛙のような人のような・・・この多面性が呪術的なものだったのだろうか。
猿(申)が富士山の神の使いとされたのが最も古いのであれば、現在のコノハナサクヤヒメのイメージとは何か結びつかない。ここには、江戸期の国学隆盛時に行われた祭神比定論争が影響しているという意見もある。元々は、もっと多様な神が浅間(せんげん・あさま)には祀られていたのではないか。

「うめる」呪い

 埋めるということは、死者の埋葬を想起させる。地面に埋めることにより再生を願った呪いと、埋めることにより、地面に封じ込める呪いと、それぞれ埋めるの意味合いが異なった場合があったのではないかと思う。
 大地の力というのは、それほどまでに強大で畏れ多いものだったのだ。

災いを封じ、そして改めてよいものとして転生することを願ったのか
皿や椀を伏せて置くことで何かを封じる意味があったと思われる。なんとなく気持ちは分かる。

「うつす」呪い

 鏡。それは自身の姿を映すものであると同時に、この世のものではないものを映す媒体となっていたと思う。それは数々の物語に語られるように、時間を超えた姿であったかもしれないし、表面には見えない隠された内面だったのかもしれない。
 またその光沢、光を反射するさまが邪を払う効果を想像させる。
 「うつす」には、穢れを移す、という意味で、人の穢れを託されたものもあった。それらは埋められたり、川や海に流されたり、あるいは燃やされたのかもしれない。今でも水に流すという言葉が残っているが、穢れを移し、それを廃棄することで自らから遠ざけるというのは、感覚として今にも残っている。

鏡には邪を払う機能があったという。光の反射が影を払うようにみえたのだろうか。

「かく」呪い

 文字そのものに力が宿るという感覚は、書道を嗜んだことがある人には感覚が分かると思う。例えば書初め。正月にいやいや宿題で書いたことがある人がいるかもしれないが、墨を使って太く白い紙に文字を書くと、その言葉通りにしよう、なろうという気になるから不思議だ。

ここには「水勾(かわわ)」という文字が書いてあるものがあるが、勾は曲がるという意味だ。水が曲がってほしいということは、水害を避ける呪いだったのかもしれない。
言霊信仰も影響したのか、文字を書き願いを込める呪術も発達する
災いの侵入を防ぐ防御の魔法・・・もとい呪いは数多く発明されたのだと思う。ここでは芦屋道満のドーマン、安倍晴明によるセーマンが紹介されていた。考古的な資料としては発見例は少ないという。

現代社会の中に息づくまじない

呪いは現代でも数多く身の回りに残っている

 先日再訪した千葉県の歴博でも民俗の特集の中で、呪いを扱っていた。じゃんけんの時に組む指の形、エンガチョという呪文を唱える、霊柩車が来たら親指を隠すなどなど。
 それこそ神社で購入するお札やお守りも呪いといえるのではないだろうか。法事のあとに塩で清めるのも穢れを払う呪いだろう。

 科学的な医学の進歩で救われる人が多いが、一定数呪いまじないで救われることがらや人がいることも確かだ。現代でも、呪いは特定の条件下では有効なのである。
 目に見えない自然の力に対しての畏れ。これは克服すべきものではなく、調和していく、もしくは畏れとして慎み深く受け入れるものだと思う。
 そして呪いは、こうした自然への畏れを前提にしている体系だと思う。非科学的、非合理的に見える呪いも、自然への畏れという変数を入れると理解できるものが多くある。いやむしろ理解というよりも感覚的に「分かる」。
 私たちは、呪いの力を侮ってはいけないし、またこれからも呪いを使って生きていかねばならないと思う。それは、自然への畏敬の念を忘れないためであり、私たちが生きるうえで必要なものであると思うからである。

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この前に行った 彩石の蔵と山梨県立博物館の記事はこちら。


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