秋風を食む

11月も終わり、北風が吹くといよいよ本格的な冬が到来してくる。ぼくはヨルシカという音楽バンドが大好きなのだが、今月発表したのが「風を食む」という曲。それになぞらえて本日のタイトルも決まった。

さて、最近のマイブームは禅と武士道、それからデトックスである。アメリカの多くの経営者がマインドフルネスを実践していて、その潮流の中にある日本の禅は知らなければならないと思った。

武士道は、友人から押されて重たい腰をあげて読んでみたがこれが良かった。日本人の宗教とも呼べる武士道、その失われた精神がいかに現代に欠けているかというのは、様々な社会問題を捉えていても感じざるを得ない。

そしてデトックス。健康意識があがる中で出会ったのがデトックスである。きちんと実践している訳ではないけど、そのマインドと効果は、はっきり言って衝撃的である。

今回は働くことと幸せということについて考えていきたい。

資本主義っていうのはかっこいい言葉だから使うけど、要はお金儲け第一主義である。
資本主義と聞いて、みなさんは何を思い描くだろうか。マルクスの資本論から始まり、アダムスミスの見えざる手といった主張や、もっと単純に現代の社会を築く原理だと考えるかもしれない。

環境問題を扱う人間からすると、資本主義は悪のように感じることが多いようだ。確かに現代の欲望にあふれた資本主義では、資本の最大化を基準にやりたい放題してきたようにも思える。
その結果として、貧富の格差、環境破壊が生まれてきたように感じる。


ぼくは、お金儲けと環境への配慮は同時に進むべきだと常々考えてきた。

お金が大事か?と問われたらそれはもちろん大事である。お金がなければ、食べ物も、衣服も、住むところももちろん、趣味や勉強もできない。

だけど、お金が最も大事か?と問われたらそこには疑問が残る。日本にいるからには必要最低限度の生活は保障されているし、その必要最低限度を満たしたあとは優先順位が変わるのではないかと考えてきた。

「生きる」を問うた時に多くの人は「幸せになるために生きる」ということを掲げるのではないだろうか?

人世代前は乾けない世代だった。物質的に満たされず、お金稼ぎがそのまま、人々の豊かさに直結していった。稼げば稼ぐほど食事は豊かになり、高級車に乗り、貴重な腕時計をはめることができた。

ぼくらは、幸運なことに物質的に豊かな世界に生まれてきた。人により差はあるにしても食事に困ったり、着る服がないとか、明日の生活をどうしようと考えることはない。少なくとも制度上は。

ぼくらは乾いた世代だ。かっこいい車に乗ることが、最高級のホテルに泊まることが幸せに直接的にはつながらない。それならば、お金を稼ぐために働くのはいい加減やめないか?

では、なんのために働こうか?ぼくは社会と自分の幸せのために働くのがいいと思う。


先日、世界は贈与でできているという本に出合った。一言で言えば、贈与に気づいたとき、はじめてぼくたちは贈与を受け取ることができ、それを次につなげることができるというものだったと思う。

世界は贈与で溢れている。今使っている、パソコンも電気も、普段食べているごはんも水もあまりに当たり前に存在しているけれど、それは名前も知らない誰かや、遠い先祖が一生懸命、開発したり作ったり、それを届けたりしてはじめて享受できているものなのである。

そうやって思い返してみるといろんな贈与があった。ぼくは、本当に多くの人に支えてもらって、自分自身ができている。その贈与に答えるには、ただ一つ社会にその贈与を与えることなのである。

ぼくは旅先で居酒屋に入ることが多い。気のいいおっちゃんと仲良くなって奢ってもらったこともよくある。ぼくはこのおっちゃんとまた会って、奢り返すことはできない。だから、大人になったらまたどっかの居酒屋に入って、若い学生たちにきっとご飯を奢る。

世界はこういう贈与の連鎖なのだ。

話を戻すと、社会で働くということは、ぼくらが社会人になるまでに受け取った。大きな大きな贈与を返していくことなのだと思う。

どうやって返していくのか。それがこの社会の課題を少しずつ丁寧に解決していくことなのだろう。

でも、それが慈善事業であってもならない。慈善である限り自分を大きく浪費し、持続性のないものになってしまう。

ここら辺の論理はぼくにもまだ理解できていないところではあるが、感覚的には確からしいもののように思える。


その答えが、渋沢栄一の説く「論語と算盤」にあると思う。道徳と経済は離れて存在するものではなく、共に存在するものであり、その状態が社会のために働くということなのだと思う。

ぼくはここに環境を加えたい。つまり持続可能な社会を創るために、会社は存在し、その価値を最大化することで資本も同時に増えてくる。

これは今まで夢物語のように語られてきたが、時代はそれを追求しつつある。世界は一つのSDGsというゴールを持っている。これはすごいことだ。これだけ共通してはっきりとしたゴールを世界で共有できたことがこれまであっただろうか。

SDGsは経済と社会と環境の3方良しを原則としている。これまでは、稼いだお金で植林などの慈善事業を行ってきたかもしれないが、これからは植林というものを通して、経済と社会と環境を成長させていかないといけない。

言うは易く行うは難し。なので、自分もどうやったらそんなことが可能なのかはわからないけれども、時代の流れはそういう方向に着実と向かっている。


ぼくは、日本人の失われた精神に答えがあるような気がしている。ぼくは人のあたたかさや自然の壮大さに触れたとき、この世界の偉大さ、そして贈与に気づく。

禅は、簡単に言えば無になることだ。デトックスも身体の毒を抜き、無に近い状態に近づけることである。削いで、削いで残ったものに本当に大切な何かが残るのではないだろうか。

その本当に何が大切なのかを教えてくれるのが武士道だったり、論語のような精神教育だと思う。

正しい心を持たなけらば、どんなに大きな志を持っても、社会に良い影響を当てることはできない。心も身体も社会も繋がっている。良い身体を作り、良い心をもって初めて、良い社会を創るために貢献できる。

幸せ。という形のないものにどのような答えを見出すか。ぼくも全集中の呼吸で座禅を組んでみようと思う。



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