優しさと厳しさは表裏一体

超久しぶりに一日を寝て過ごしてしまった。
連日の疲れ・睡眠不足と昨晩の夜更かし(といっても2時ごろには寝たが)
のせいだろうか。
浅い眠りと目覚めを繰り返し、気づいた時にはもう午後4時だった、目が点になった。👀
時たま、社用携帯への通知で起こされたりもしたが、無視して睡眠をとる。
休日の携帯電話に関して労働基準法的にどうなのか、知っている人がいたら教えてください。困ってます。


五月も中盤になり、勤め人の皆様はいかがお過ごしだろうか?
4月の人事異動、引き継ぎ、担当交代を経てようやく落ち着いてきた頃ではないだろうか。

個人的な意見ではあるが、担当交代の際にその人の仕事に関する力量が問われると思っている。それは、
・その人が今までどのような仕事ぶりをしていたことがわかる
・自分だけの仕事ではなく、次の人のことを考えた仕事の仕方をとっている
・引き継ぎのクオリティ
などがわかるからだ。💪

引き継ぐ、ということなので、法人としての対応がずっとそのクライアントと続いているということである。つまり、通常はクライアント対自分ではなくクライアント対法人としての対応が求められている。(もちろん、ケースバイケース)

ワガママなクライアントからの要望に対して首を横に振ることができず、マンパワーに頼った対応をしてしまう人、時代の変革についていくことができず、旧態依然のやり方から変わらない仕事ぶりを発揮してしまった人
こんな人たちから仕事を引き継いでしまったのなら、大変である。こうしてやはり、Z世代との溝は深まってしまうし、Z世代は先輩たちを反面教師にしてクライアントとはドライな関係であろうとする。

という長い前置きがあったところで、今回は優しさが優しさではない話をする。
※この記事内では、ひとまず職場環境における優しさ、ということにしておく。ただ人間教育というフィールドに少し広げても同じようなことが言えるかもしれない。


それこそ引き継ぎの際に感じたことなのだが、前任者が非常に優しい、仏のような人であった。面倒なことや無茶なことも引き受けてくれていたのでクライアント並びに社内の人間も助かっていた。というか楽させてもらっていた。そして、その人が転勤となった時には皆悲しんでいた。

しかし、後任の人いわく以下のような問題点もあったようだ。
・断らないせいで仕事を抱え込みすぎていた
・何でもしてあげるせいで後輩が育成できていなかった
・引き継ぎ後も同様の対応を求められ困っている
結果論だが、ドライな対応をしていたとしても意外と回っているし、必要以上に優しさを振り撒く必要はなかったのかもしれない。やはり、勤め人である以上、その人ではないといけない、なんてことはほぼなく、その会社が適用できるサービスさえ担保されていれば結局誰でもいいのだ。

となると、優しさは一過性のものであって、長期的に見ては得が薄れてしまうのではないだろうか。

優しさ、というのは誰に向けての優しさなのか。
もしかして、それは自分に向けてのものではなかったのだろうか。
困っている人を助けたいという大義名分に基づいた、断った相手に嫌われてしまうかも、という自分の弱さを守るためのバリアだったのではないだろうか。

一方で厳しくあってくれる人は、自分が嫌われてしまうこと厭わずに、長期的に見て助かる方を教えてくれている。
しかし一方で、長期的な考えというのはし難いために、優しい人ばかりが好まれてしまう。

つまり、一般的に言われる優しさとは短期的に見て人を助けることであり、厳しさは長期的に見て人を助けていることなのだ。

そう考えると、厳しい人に対しても少しは苦手意識が薄れるし、優しい人に対しても甘えすぎることも控えられるようになる。

何も生産性のない一日を何とか打破しようとして、とりあえず記事を書いてみた結果、一番伝えたいことが一番浅く、どうでもいい部分だけがつらつらと書き連なってしまった。毎度か。

※こんな記事を書きましたが、もちろん何かあった時に助けてくれる人には感謝しているし、自分も困った人は助けようという気持ちでいますよ👍

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