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僕の水泳人生

大事なことは、最後の方に書いています。
最後だけ読んでもらってもオッケーです。
最初を読んでいると、最後がより意味あるものになります。

遠回りしてばかりの水泳人生でした。

4才のときに水泳と出会う。
きっかけは、お風呂でシャワーができるようになりたいから。
幼稚園の頃には4泳法をマスター。

9才で選手コースへ。

2回の骨折、病気での入院などの影響で記録は伸び悩む。
全国レベルにはまったく届かず。
コーチに言われた練習を、何も考えずにただこなす毎日。

小学校卒業と同時に水泳から離れる。

中学校時代

中学校時代は3年間テニスに明け暮れる。

新しいスポーツで上達していく喜びを味わう。
が、ひじの故障でテニスを断念する。

中学3年の夏、シドニーオリンピックでイアン・ソープの泳ぎを見て衝撃を受ける。

「か、かっこいい・・・」

また水の中に戻りたいという思いが湧いてくる。

高校時代

高校入学を機に水泳を再開。

3年間のブランクは大きく、泳ぎを思い出すことに四苦八苦する。
先輩もコーチもいないという状況での練習。
泳ぐことは楽しかったが、与えられたメニューをこなす日々。

高3の春まで、ほとんど記録は伸びず。

そして迎えた、最後の県総体。

失格。

「このままじゃ終われない」

ようやく火がついた。
インターネットや書籍で練習メニューを研究。
筋力トレーニングを取り入れる。
毎日、どうやったら速く泳げるのか、と考え続ける。

その結果、たった50日で100m自由形の記録を3秒伸ばす。

自分の可能性は自分が制限しない限り無限だ。

そんなことを体感した。

浪人時代

大学受験に失敗し、浪人。

スイミングでアルバイトを始める。
自分の練習はまったくせず。

泳ぎを純粋に楽しむ子どもをみて原点回帰。
競泳を再開するかどうかはさておき、泳ぐことって楽しいなあと感じた。

大学時代

大学入学。水泳部入部。
楽しく泳ごうって思っていたけれど、自分にとっての楽しく泳ぐは、自己ベストへの挑戦だと気づいた。

その直後、バセドウ病が発覚。
治療を余儀なくされる。

また、2年連続で車が大破するほどの交通事故に見舞われる。

何かに憑かれていたとしか思えない。

そんな中、ある整体院の先生と、SNSを通して出会う。
決して近くはなかったが、通い続けることで、身体が変わり、思考が変わり、自分が変わった。

週3回の練習で、たった1年で、

50mで2秒
100mで4秒
200mで8秒


記録を伸ばす。

泳ぐたびに自己ベストを更新。
泳ぐことが楽しくてたまらなかった。

しかし、全国レベルには間に合わず(後1年あれば・・・)

小学校の先生1年目。

小学校教師として働き始める。
練習時間がとれず、思うように身体が動かない。
プールで泳げるのは月に3回程度。
記録も落ち込む。

そんな中、ある達人と出会い、自分の眠っている可能性の大きさに気づく。

先生2年目。

仕事に慣れ、練習時間が増える。
しかし、全国実業団でベスト3秒落ちという結果に終わる。
原因がわからず、迷う。

先生3年目。

マスターズ登録をし、レースに積極的に参加。
大学時代のベストにはおよばないが、泳ぐたびにそれに近づく。
自分なりに泳ぎと身体との関係を研究。
11月、ついに大学時代のベストに追いつく。

先生4年目。

レースを重ねるごとに課題が見つかる。
長水路でなかなか結果が出ない。

練習会に参加し、レースを常に想定した練習メニューを学ぶ。

50m自由形で社会人ベストを更新(25"81)
25m自由形で生涯ベストを更新(11"95)

先生5年目。

4年目の勢いをそのままに、いい感じでスタートしたが、職場の異動のため、1学期は練習することがほとんどできず。

迎えた実業団は過去最悪のレースに。
200mを泳ぎたくないという恐怖症に陥る。

8月以降復活。
お嫁さんとのカレンダーを利用した作戦で練習量を確保。

10月、50m自由形で社会人ベストを更新(25"56)

2月には日本代表トレーナーの講習会を受け、目から鱗がぼろぼろと落ちる。

陸上トレーニングを教えてもらい、水泳に活かせる身体を作っていく。

3月、25m自由形で生涯ベストを更新(11"73)
50m自由形でも生涯ベストを更新(25"42)
引き継ぎながら、24秒台に突入。

先生6年目。

6年生の学年主任に異例の若さで抜擢。
これまで6年生を担任した経験もなく、戸惑う毎日。
仕事量に自分のキャパシティが追いつかず、泳げない日々が続く。

県実業団ではそこそこの記録で泳げたものの、メインのはずの全国実業団で撃沈。
2年連続で不甲斐ない思いを味わう。

さらに、首の故障で満足に泳げず、秋頃ようやく復活。

このころ、年齢やチームこそ違うが、志を同じくする仲間(関西バタ面会)と一緒に練習をする機会を得たことで、モチベーションが加速する。

復活後は50Frで25秒台を連発。
ベストにこそおよばないが、悪くても25秒台半ばが出るようになる。

トップスイマーのレッスンに参加することで、自分の泳ぎの面での伸びしろがまだまだ大きいことに気づく。

そして3月。
25m自由形で生涯ベストを更新(11"62)
50m自由形で生涯ベストを更新(25″12)
さらに、引き継ぎながら、24"25という大ベストをマーク。


夢ノートに毎回練習記録をつけ、目標を見据えて練習を積んできた成果が現れはじめた。

そして、無事初めての卒業生を送り出す。

先生7年目

30才を迎える節目の年。

これまでに学んできたこと、練習してきたことを自分なりに形にできて、確信を持って練習ができた。

県実業団選手権。
50m自由形(長水路)で生涯ベストを更新(25"63)
リレーでも引き継ぎながら25″11をマーク。

自分のやってきた方法論の正しさが証明できた。

この勢いを全国実業団にもっていきたかったが、夏休み、連日のプール指導で疲労がピークに達した中でのレース。

ベスト更新、個人での決勝進出はならず。

が、リレーで初めての決勝へ(8位)
ベストこそでなかったが、それでも25秒台を当たり前に連発。
今後のレースが楽しみになってきた。

負けたら終わりじゃない。
やめたら終わり。

勝つまでやる!!

・・・と、ここまで書いたのが6年前でした。

そして、今・・・

紆余曲折あり、コロナ禍という現状で、この2年間はレースに全く出場できていない。
プールでの練習も、開館時間の関係と家庭と仕事とのバランスで、なかなか積めていない。

それでも、まだ自分のベストは更新できると確信している。

なぜか。

それは、これまで確かに積み重ねてきたからだ。
この、「確かに」というのが大事だと思っている。

何となくを何年積み重ねても意味はない。
自分の過去を振り返ってみればそれは明らかだ。
練習量が多ければいいというわけでは決してない。

量を否定するわけではない。
でも、何となく積み重ねた100よりも、確かに積み重ねた10の方が大事だと思う。

確かな積み重ねは、ゼロにはならない。

未来は決まっている

未来は決まっている。

だからこそ、プロセスが楽しめる。

多くの人は、目標を達成したいって思っている。
それだと、今の自分は目標を達成できない自分だということになる。
今の自分を否定してしまう。

そうじゃなくて、目標は達成されることが決まっていると考える。
今の自分は、目標を達成できる自分だと捉える。
今の自分がすでに必要十分な力を持っていると捉えるのです。

そうすると、その行動も言動も、目標達成できる自分のものになる。
じゃあ、もはや目標は達成しているのと同じ。

一言で言えば、なりたい自分にはもうなっているということ。

やりたいなあ。なりたいなあ。
そうではなく、やってる。なってる。

力はすでに持っている。
それを発揮するだけ。

そう考えるだけで、今の価値がもっともっと高くなると思うのです。

教室でも同じ

僕の仕事は小学校の先生です。
子どもたちの未来を共に描き、進んでいく。

子どもたちはすでに力を持っている。
それを前提に関わるようにしています。

未熟だと捉えたり、力をつけなければならないと捉えるのではなく、もう力はあると捉える。

僕の教育観の根底にあるのは、水泳を通して身体化した感覚です。

今ある力に気づくことができたとき、子どもは力を発揮できる。
やるべきことは、力に気づかせること。言語化し伝えること。環境を作ること。

僕はそう考えています。

長くなりました。
このノートが誰かの何かのきっかけになれば嬉しいです。

SNSでのシェア、スキ、コメント、いつもありがとうございます。

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