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凧揚げから「共感」について学ぶことができるのか。

いい天気でしたね。
お正月というには少し遅いような気もしますが、せっかくなので、凧揚げに行ってきました。

なかなかうまく上がらずに、河原を何往復もしたし、糸が絡まって「あー!」ってなったし、急降下して地面に刺さるし・・・

でも、青空高く舞い上がる凧を見ながら、息子と凧糸を操り、風に吹かれる時の気持ちよさはたまりません!

家族4人で、いっぱい笑った幸せな時間でした。

今、ここまで読んで、共感してくれた人はスキしてください。

スキした人に聞きます。
それ、ほんとに共感ですか?

スキしなかった人、スキしてください。笑

共感と理解は違う

よく、共感することが大事だよって言われるんだけど、共感ってそもそも何なのか。
そんなことを考えてみたいと思います。

混同されがちなのが、理解です。

「凧揚げって難しくて、なかなか上がらなかったんだよ」
「そっか、凧揚げって難しいんですね」

これは、共感ではないんです。
凧揚げの難しさを理解しただけ。

「凧揚げって難しくて、なかなか上がらなかったんだよ」
「えー、そんなことないよ。簡単だよ!」

これは、共感していないわけじゃないんです。
凧揚げの難しさを理解していないだけ。

共感って何やねん

「凧揚げって難しくて、なかなか上がらなかったんだよ」
「高くあげようと思うと、難しくて大変だよね」

これ、共感です。

凧揚げの難しさを理解するだけではなくて、その時の感情を共有すること。

つまり、その時の気持ちを、一緒に感じることが共感です。

凧揚げの例でいえば、難しかったことを理解するのではなく、難しかった時の感情を受け取るのが共感です。

だから、共感は誰に対してもできるし、自分に経験がないことでもできます。

理解はできなくても共感はできるんです。

この記事にスキしてくれた人へ。
それ、共感でしたか? 理解でしたか?

共感ベースの教室へ。

僕の仕事は小学校の先生です。

子供と関係を作っていく上で、共感することはとても大事なことです。

そのために、子供達の流行りを調べたり、同じアニメを見てみたり、情報収集したり・・・

その努力はとっても大事だと思うし、無駄にはならないと思います。
でも、そもそも、共感することは、それを知らなくてもできるんですよ。

「これが好きなんです!」
そうやって、好きなことを伝えてくれる時の気持ちを感じればいいんです。

裏を返せば、こうして好きとか嫌いを、誰にもはばかることなく、ちゃんと表現できる空間が大切なんです。

誰にだって好きなものはある。

その「好きなものを好きな気持ち」に寄り添ってあげることが第一歩。

教室で子供たちと共感をベースに関わろうと意識しはじめてから、全体の空気感が変わってきたように思います。

先生と子供との関わりは、子供同士の関わりにも大きな影響を与えます。

めちゃくちゃ簡単に言えば、「相手の気持ちを考えなさい!」ということなんだけど、理解と共感の区別がついていないと、あまり意味のない言葉かけになってしまいます。

先生自身が、理解と共感を区別し、共感をベースに関わること。

それが、「安心できる居場所」としての教室につながっていくのだと思います。

僕は今日、息子と思いっきり感情を共有しました。
お互いに、とってもあたたかい気持ちになりました。

いつもSNSでのシェア、コメント、スキ、ありがとうございます。
その数秒が、僕のエネルギーになります。

このノートが何かのきっかけになれば嬉しいです。
変革5M!

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