見出し画像

命日に寄せて2020


まずは去年の2月に書いた詩をご紹介。
————-

『自転車を磨く二月』


熱を持つ塊としてあなたが
私から放たれたとき
無影灯が光を踊るように
はじまりを祝し
終わりの予感を打ち消すゲリラの雨が
ふたりの輪郭をつよくした

私たちは
神に触れてしまった父親の
行く末を祈って
雨上がりの陽の熱を
真夏に描いて
いのちを与え合いながら
かたく繋がっていた

生まれる前の自転車を磨いて
父親が好きだった真珠色を知るときも
あなたは大人になる
私はあなたを抱きしめたいのだが
手足を伸ばして飛びたがるから

生まれる前の自転車の
錆びたスタンドにやすりをかけると
あなたの父親とあなたを待っていた毎日が
ぎんいろに
ぎんいろに
褐色から姿を見せて
夕刻が降りてくる背なかに
厚い手のひらが触れるようで
消えることのないだろう喪失の傷あとから
滲んでくるとめどもない浸出液が
あなたに届かないように
あなたに届かないように

新しくもない自転車だけれど
嬉しそうにペダルを漕いで
友と出かけてゆく
あなたとした初めてのうたた寝
小さな寝息が
梅の香(か)の告知と共に鳴っている
生きる理由が育ってゆく
またひとつ大人になる
いまも
あしたも
これからも


2019/2/5
————-

インスタにupして、説明テキストを添えたのですが、読み返していると、書き直してみたくなりました。
(インスタは、ですますで書いているので、加筆の際も引き継ぎました)

—————

11月5日は先夫、モーヌ。の命日です。
がん告知は梅の季節でした。妊娠5ヶ月のときです。長男は里帰らない出産でした。先夫は入院中。破水したので自分でタクシーを呼んで 、誰の付添いも無しで産院に向かいました。(お姑さんも高齢だからね)「1人できたの!すごいね!」って、助産師さんが背中をばしーんってたたいて来たくらい気丈だった。産院には言わずにいた先夫の事情を話すことになりました。出産に当たって大切なことだからと。
「がんで…」
「どこの?ステージは?」
「スキルスの胃がんで、腹膜播種ありで、ステージ4です。手術不可で、5FU(抗がん剤)が効かなくなったので、新しい抗がん剤を試すため、今入院中です」
医療のプロは強いですね。記録を付け、なるべく長く生きられるといい的な事を口にした後は
「よし、1人で頑張りましょう!」
と切り替えてくれました。
悲しんでいる時間より、楽しい時間を長く過ごしたかったから、過剰に同情されるのは苦手でした。だからとても助かりました。

たくさんの宝物を残して、先夫は長男1歳3ヶ月のときに他界しました。
ちなみに次男出産のとき今夫は分娩室には入らずでしたが、近くで待っていてくれる人がいるっていいですね。今はコロナで立ち会いが駄目なところもまだ多いでしょうから、私のように心細い思いをされている産婦さんもまた多いのでしょうね。

時々つらいときがあります。
この詩を書いた後もそう、今日もそう。
もう平気〜って、思い込ませて生きていますが、まだまだ癒えていない喪失の傷があるようで。

この詩は節分の日、私の10年くらい乗っていなかった自転車を長男にあげる為、磨いただけなのに、磨いている間ずっと、たくさん、思い出が降り注いだときのものです。
悲しいようなつらいような気持ちが溢れてきました。長男が大人になって手が離れていく寂しさが重なる。
今日みたいな日、今夫は「そう簡単に、10年やそこらで癒えるもんじゃないさ」って、寄り添ってくれる。だから、そのうち大丈夫になれるんだと思います。


※20201028 沢山加筆


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?