中東編①
こんにちは!
わたくし、「タチコマのママ」と申します!
現在「ママJOB」という場所で、
ECサイトに関連したお仕事を在宅ワークでしております。
前回初投稿の記事には、
私がなぜ、このブログをはじめるのかを書いています。
今日からいよいよ私が書きたかった
ある一人の女性
『ゆみまま』
の事を書いていきますよ!
現地入りした翌日に、空襲警報
1983年、彼女が31歳の頃にご主人の仕事の関係で、
イラクのバグダッドに駐在することに。
当時はイラン・イラク戦争の真っただ中で、
彼女が幼い子供たちを連れて現地入りした翌日、
突然の空襲警報が鳴り響いたそうです。
ご主人の「階段の下にかくれろー⚡」
という叫び声で、何が何だかわからずに
子供を抱きかかえ身を隠しました。
「いやいや、聞いてないよ・・」
事前にご主人から空襲の話は聞いてなかったようで、
とにかく面食らったゆみまま。
戦闘機が国境を越えて入ってくると空襲警報が鳴り、
出ていくと解除の警報が鳴り響く。
戦後生まれで空襲体験をする日本人もそう多くないですよね。
みなさん想像できます?子供抱えて空襲警報で身を隠す生活。
そんなインパクトの強い事から始まった中東での暮らし。
当時、ご主人の所属する企業からは、日本を発つ前にこんな事を言われたそう。
「あなたたちご婦人たちは、社員8000人の代表として現地に赴きます。
あなた方の現地での振る舞いが、社運を大きく左右する。」
つまり、内助の功として、現地での接待に努めてくださいということ。
ちょっと今の時代では考えられないですよね💦
彼女自身も
『滅私奉公』
という言葉で表現していましたが、
「でもなんかわからないけど、振り返ると楽しかったですよね」
と、ケロリ!
「楽しかった」と、感じれた彼女の心境には
今後書いていく、
『料理』『お菓子』
の存在が大きく関わってきます。
女性として、母親として、夫を支える妻として、
社運を担う婦人会として
当時の彼女の役割は多かった。
今現在だって、女性は色んな側面を持って日々生活しているのは
変わりはないけれど。
どんな状況でも「楽しかった」と思えたのは
夢中で料理をして、それを食してくれた人たちが喜んで帰って行ってくれたから。
そんな料理を作りながら生活していた話はまた次回に!
次のゆみままのお話はこちら↓↓↓
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!
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