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あの日の罪で、十数年後に捕まった

 今だから白状するが、人生で一度だけ犯罪を犯したことがある。

 あれは高校2年生の春の終わりだった。近所にある女子大の図書館に、学校帰りによく立ち寄っていた。私は帰宅部だったので放課後に時間を持て余していたけれど、一人でいる姿を誰にも見られたくなかった。家に戻れば母親から「勉強しろ」と言われるので、そのまま家にも帰るのも嫌だった。その図書館で勉強したことなんてはなくて、本や雑誌が目的だった。だからあの日も誰もいない図書館で、いつものように時間を潰していた。

 ナショナルジオグラフィックを読んでいた時、1枚の写真に私は釘付けになった。それは三つ編みのタータンチックのシャツを着た女性が、牧場で柵に降りかかっている写真だった。その女性は決して美人ではなかったし、どちらかというと彼女の目は「これからやることがたくさんあるな、大変だな」という悲哀に満ちていた。私はその写真がとても気に入り、毎日図書館に足を運んでは、雑誌を眺めていた。一週間が経ち、我慢できなくなって、その写真が掲載されていたページを雑誌から破り取った。そして家に持ち帰り、机にしまい、夏が来ても冬が来ても、いつまでも眺めていた――。

 あの罪を犯した日から、十数年の時が流れた。3児の母となった私は、あるお店でマッサージを受けていた。雨がしとしとと降っていて、いつもと違う不思議な気が流れていた。日本でなくてどこか遠くの国で、バリ島やタイのリゾートにトリップしているような感覚に襲われた。バリもタイも行ったことはないけど。笑

 マッサージをしてもらううちに、だんだん意識が宇宙に行ってきた。そうなってくると、すべてがどうでも良くなる。無職で暇すぎてエゴサをしていた義父に、私のInstagramのアカウント(義理の両親の悪口を書いていた)を特定されたことも、宇宙から見れば何とでもないことに思えた。義父の肩を持つ夫(そこは私の味方をして欲しかった)から離婚の話を切り出されて、弁護士に相談に行かなくてはならないことも、宇宙には何も影響を与えない。そう悟りを開くうちに、だんだん意識が遠のいていった。

 次に浮かんだイメージは、男の子と2人で牧場を駆けずり回っている姿だった。そこには馬や牛もいて、広々としていた。「どこかで見たことある場所だな」と思えば、あの時に私が破いた写真の牧場だった。

 私は色々と合点がいった。前世とか今まで信じていなかったけど、もし前世があるなら、おそらく牧場の娘だったのだろう。前世が視えると称するマンションの管理人さんからは「君の前世は徳川家のお姫様だよ」と言われていたが、絶対に違う。お姫様は牧場を走り回らないから。どこか薄暗くて曇っていたし、多分ヨーロッパだったと思う。

 確かにイギリスに留学した時も、城や宮殿には全く興味がなかった。草原をずっと見ていたくて、何度も列車に乗っていた。フランスに留学した時も、ルームメイトがヴィーガンだったから、野菜中心の生活を送っていたら、些細なことでブチ切れなくなった。日本に帰国して、お肉を食べると調子が悪くなることに気付いていたが、認めたくなくて誤魔化していた。

 なぜなら今まで宇宙とか前世とかヴィーガンとか、バカバカしいと思っていたからだ。胡散臭かったし、弱い人間がそれを宗教のように拠り所にしているのが気持ち悪かった。そもそも高いんだ、あれ系のアイテムって。でも体感してみて、やっと分かった。そういうことになている。すべては繋がっているんだ。

 今の私が東京という薄汚い都市で、きゅうきゅうと生活しているのも、きっと前世は牧場でのんびりと過ごしていたからなのかもしれない。魂が修行しているのだろう。また来世は牧場の娘に生まれ変わることができるのかもしれない。もしかしたら馬か牛かもしれないけど。

 魂の修行のためだと思うと、これから何が起ころうとも、乗り切れる。そう言い聞かせて、来月にはどこに住んでいるかわからないけれど、3人の子どもと共に、なんとか現世を生きていくしかない。

 ――あぁ、なるほど。私は思った。今の状態は、きっと勝手に雑誌を破った罪なのだ。こうして私はようやく、あの春の日に捕まった。


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