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私が私に戻れる場所…

今、思えば…
私は遊ぶように仕事をしてきたのだなって
そう思う。


その当時、私が居た部署は、
私を含め男女4人が管理職だった。

とにかく私たちは仲が良かった。
社歴も年齢もバラバラ…でも、
不思議なくらいすごく気が合った。
気も遣うこともなければ…
良くも悪くも言葉にも遠慮がなかった。



当時の仕事は、
ほぼ毎日深夜近くまで働き、
朝5時に出勤したり…
『また後でね〜』この言葉が
帰りの挨拶だった。

営業職であり、半ば謝るのが仕事。
客先から物を投げられ怒鳴られる。
トイレに篭り泣いたことも数回。

それでも私がこの仕事を続けてこれたのは
管理職の他3人がいつも居てくれたからだと
思っている。


客先のキツイクレーム、
行きたくない…と言えば3人の内、
誰かが一緒に同行してくれた。

一緒に客先から怒られ、頭を下げ
帰りはコーヒー飲みながら笑う。

きっと私たち4人はそれぞれのバランスが
良かったのだろう。
誰かが誰かの苦手を補い、
自分のできることで仕事を割り振っていた。


そして私たちの仕事の仕方は、
とにかく自由だった。

朝が苦手な私は当時…
毎日昼頃に出勤する『直行女王』であり、
みんなそれぞれ営業先を遠方にし、
春は花見、夏はBBQ、
秋は仕事が忙しく、冬はボードと…
よく部署全員でバレないよう遊びにいった。

長期連休や休みの日もよく遊んだ。
会社の同僚というより、
学生時代の友達に近い感覚で。

仲良かったせいか⁈
常に報・蓮・相は完璧で、
毎日のミーティングは上の部長に
報告をあげるためでしかなかった。

営業成績も全国年間通してほぼ1位、
個人営業成績も名古屋のメンバーが
いつもトップ3には名前が入っていた。



仲が良いと集団で社内ルールを守らなくなる。
いくら成績が良くても部長以上クラスから
私たちの印象はあまり良くなかった。



そして…ある事件をきっかけに
3人の内1人が退職を決断した。

当時、今の部署の部長から
スカウトを受けていた私は…
迷わず部署異動の申請を出した。

そして他2人も退職を決めた。

5人揃わないと『嵐』じゃないと言うように
私たちは4人揃わない当時の部署で仕事を
続ける気にはどうしてもなれなかった。


毎日仕事帰りに飲みながら、
冗談を交えながら4人で起業する??
なんて話した。
そんな夢物語を夜通し語り合うのが
楽しくて仕方なかった。


今でも私たち4人のグループのチャットは動く。
私が今の業務で『ライフが減少する!』と言えば
それぞれ別会社で営業職についた彼等は、
営業帰りに会社のビルに寄り顔を見にきてくれる。

話を聞いてくれるわけでもなく、
励ましてくれるわけでもない。
ただ私のゲンナリした顔に笑い帰っていく。

でも…たった数分のその時間が、
私を落ち着かせ闘志を燃やせ
オフィスに戻させてくれる。

そして数ヶ月に1回は我が家に集合する。
今では当時の部署メンバーが全員集まり
狭い家はパーティ化する。

ただみんな会社が変わり、
毎日会えなくなっただけで…
あの頃と何も変わっていない。

当時の思い出を肴のツマミとして呑み
当時とまったく同じことで笑い、
飽きるまで『人狼ゲーム』をする。


わたしの部署異動、3人の退職は、
大きな影響を与えてしまった。

その後…
当時一緒に働いていた子たちが、
次々と退職をした。
その内の1人は当時の教育担当だった管理職の子に
会社を変えついていった。

そして私が教育担当をしていた子も…
10月から部署異動の申請をし、
数年振りにまたいっしょに仕事をする。

私が部署異動をすることを知ったときに
言ってくれたこの子の名言。

『死ぬまで友達だよ、、、、』


その名言を、
この3人はまんまと覆す。

『うちら、
 死んでからも友達だし、、、』


会う度に思うし、
仕事で辛いときは必ず3人を思い出す。

何度も思った。
ここに3人が居てくれたら…
そしていつも同じことを思う。
いつかまたいっしょに仕事がしたい。


今日のお昼頃にグループチャットが動いた。
3人のうち1人から2段にわかれた
メッセージが届いた。

『誕生日おめでとうございます🎉』
『みんなに支えられてここまでやってこれた。
 ありがとう😊』


毎日、会えなくなると、
変わることが1つあった…

誕生日を忘れてしまうこと。(笑)



おめでとうの気持ちを込めて…                            tacco






















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