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南北キプロス旅行記 day6 イスタンブール弾丸観光

北キプロスのエルジャン空港からトルコのイスタンブール空港に到着した僕。といってもモンゴルから入国し、また日本への帰国便が出る新イスタンブール空港ではなく、アジア側にあるサビハ・ギョクチェン空港である。イスタンブールの空港は羽田と成田のようにヨーロッパ側にある新イスタンブール(IST)と、アジア側にあるサビハ・ギョクチェン(SAW)に分かれているのだ。

サビハの方は設備も古く昔ながらの空港感が強い。結局入国審査が終わるまでに1時間半も待たされる。後ろのスキンヘッドのおっさんが余りの遅さにブチ切れて、ひたすらに英語でファック!ファック!ブルシット!を連呼していた。見ている限りだと原因は恐らく某国のムスリム女性陣で、彼女達はニカブと呼ばれる目しか露出してない服を着ているのだが、パスポート確認時には当然顔を見せないといけない。その際には男性保護者が毎回横に立ってベールを上げることの同意を得ることが必要らしく、それで手間がかかっているようだった。なおニカブ着用はサウジアラビアとパキスタンが多いらしい。

このアジア側のイスタンブール空港ことサビハ・ギョクチェンからは一応市内へのシャトルバスは出ているが、行き先はヨーロッパ側新市街のタクシム広場か、アジア側最西端のカディキョイの二択に限定されている。なので観光のメインとなる旧市街への直通運転は現状ない。なんと旅人泣かせの空港であろうか。

とりあえず比較的近そうなカディキョイ行きに乗り込んで爆睡。ブシューーッというエアブレーキの音に目を覚ますと、そこには終点であるカディキョイバスターミナルがある。太陽は目を閉じる前より少しばかり高さを増し、強くなりつつある陽射しから人々を隠すように無数のカモメに舞っている。

そして目の前に広がるのは5年ぶりとなるボスポラス海峡である。

ヨーロッパとアジアを隔てるこの狭い海峡を結ぶ連絡船は、多い時には5分おきの15リラで運行されている。ただえさえ交通量が多いのにこんな頻度で航行して果たして大丈夫なのだろうか。

ボスポラスを渡る連絡船。なんだこのアングル

カディキョイを0925に出港した連絡船は途中に金角湾北側ガラタ地区のカラキョイを経由し、金角湾の南側旧市街のエミニョニュに30分程で到着する。正直カラキョイとエミニョニュ間は直線距離300m程で、なんなら直ぐ側に橋が架かっているので、カラキョイから歩いた方が早い説もある。

イスタンブールのありがたいとこは、大半のバックパッカーがお世話になる安宿街が旧市街のド真ん中、スルタンアフメット広場の南側に集中していることだろう。5年前同様にトプカプ宮殿から徒歩5分強の宿に居を構えいざ出陣である。とはいえ今日は夜中に空港に向かう必要があるので実質荷物置き&シャワー用だ。

まずは前回訪れなかったテオドシウスの城壁へ。1000年に渡ってコンスタンティノープルを守り抜いた三重城壁は今では廃墟と化した部分も多いが、その跡はくっきりとマルマラ海から金角湾へと繋がっている。旧市街中心部からはトラムに乗らないといけないレベルで距離はあるが、一応ここが旧市街の西端にあたる。他の地中海世界の城塞都市が基本徒歩で全て回れたことを考えると、いかにかつてのコンスタンティノープルが巨大な街だったかが分かる。なおかつての旧市街を取り囲んでいた城壁は全長23kmに及ぶらしい。ハーフマラソンができるね。

テオドシウスの三重城壁
かつては芝の部分に堀もあったらしい
イスタンブール市内への入口

その後は城塞沿いに南下して、最南端のマルマラ海に面しているイェディクレ要塞博物館へ。

かつてのコンスタンティノープルの「黄金の門」及び付随する要塞跡を、オスマンが諸々改造して最終的に博物館として公開したものになる。博物館という名だが、展示品は無きに等しく、正直黄金の門の上に登って、遠くアヤソフィアやブルーモスクを見て感慨に浸るくらいしかやることがない。
そのくせ入場料がアホ高い(あまりに高くて記憶から消した)のでぶっちゃけ訪れなくて良いだろう。

イェディクレ要塞
イェディクレ要塞。かつては右の塞がれた門から軍隊が出撃したらしい。

旧市街中心部に戻り、個人的に一番行きたかったグランドバザールへ。面積はオーバー30000平方メートル、4000の商店が立ち並ぶというイスラム圏屈指の屋内商店街である。5年前は悲しくも定休日で訪問叶わなかったが今回こそは何ともリベンジを果たしたいところである。

だが当然フラグは回収されるもの。

今日は日曜なのだ。我らが故郷ではイオンモールが最も儲かる日であるが、ここイスタンブールはそんなことお構いなし。休む日と書いて休日なんですよ?と言わんばかりに閉ざされているゲート。

閉業日!またしても閉業日!あぁイスタンブールよ。お前はまたしても僕に何も買うなと言うのか。なんと財布に優しい街なんだ君は。

グランドバザール。生憎閉業中
グランドバザール近くのバサール

そしてこのあたりで、バザールにまたしても振られた僕を慰めるかのように大雨が降り出す。なんならゴロゴロと雷も鳴り出す。まさかのイスタンブールで雷雨に合うなんて想定していなかったが、幸いにもすぐそばにはバヤジットモスクがあったので、他の皆様方と一緒に雨宿り。ヒンヤリとした大理石が気持ち良い。

バヤジットも自分の建てたモスクが後世一般庶民、しかも異教徒に雨宿りに使われるなんて思いもよらないだろう。

バヤジットモスク
結構内部は質素

ゆるい下り坂をトラム沿いに歩いて、最も観光客の集まるスルタンアフメット広場に帰還。朝方にはサナダムシの標本の如く延々と延びていた各施設の待機列も先程の雨のおかげかだいぶ解消されている。

イスラム圏ではメジャーなハリラスープ

先に手前となるブルーモスクへ。世界で一番美しいモスクと評判で、前回訪れた際はたしかにそんな感想を抱いた記憶があるも、残念ながら現在は工事中。一応モスク内には入れるがあの美しいドームを臨むことは叶わない。訪れる人々の顔を見ると皆様かなり不満そうに見えるが、それでも暴言を吐く人間がいないのは、ひとえに入場料がタダなおかげか。

ブルーモスク
ブルーモスク内部。生憎工事中

そして最後となるアヤソフィア。5年前は博物館だったが、エルドアン政権によってモスクに戻されてしまったようである。キリスト教的イコン画は見れなくなっていたが、その内装の美しさはやはり格別。そもそもこの建造物は、あの法隆寺よりも古いわけだが、イスタンブールが辿ってきた歴史の変遷を考えれば、この建造物が今なお残存していること自体が奇跡と言って良い。すべてはキリスト教徒のたゆまぬ修復とイスラム教徒のこの建造物に対する畏敬の念の賜物である。そして入場料はタダ。マジで素敵ね。

アヤソフィア
内装のセンスが天才的

宿に戻ってしばらく待機。結局宿のオーナーは現れることがなかったため、仮眠も取れずベランダに荷物広げて泣く泣くシャワー室と往復する羽目に。

そんな哀れな僕を見かねたマレーシア人マダム2人がインスタント麺をその場で作って食わせてくれた。彼女達はこれからルーマニアに向かうそうである。

2030いよいよ満を持して宿を出立する。

そんな僕を見送る最後の催しはイスタンブール紅白アザーン歌合戦である。参加者はアヤソフィアとブルーモスク。

先攻のアヤソフィアがアァァァァァッラァァァァァ⇈ァァァァァ~~~ーーーーーッッッ⇈!!!!

と叫ぶと、

後攻のブルーモスクも負けじと

アァァァァァァァァァァ⇈ラァァァァアァァァァァ⇈⇈ァァァァァーーーーーッッ⇈⇈!!!!

と叫ぶ。

ただアッラーと言っているだけなのにどれだけイントネーションにアレンジを入れれば気が済むのだろうか。ただこの壮絶な歌合戦を実現させたという意味でも、アヤソフィアのモスク化は良い部分もあった、のかもしれない。2つの巨大モスクがアザーンをぶつけ合うのを見れるのは世界でもここだけ!

ただし正直ここまでくると壮観と言うよりも煩いが勝る。伊丹空港の騒音問題とか屁でもない。

アヤソフィア
ブルーモスク

2115のバヤジット広場前からのシャトルバスに乗り今度はヨーロッパ側の新イスタンブール空港へ。アクセス手段は現状バスのみで、かつ所要時間は驚異の片道90分というあまりの使い勝手の悪さ。成田や関空ごときで遠いんですけど〜とボヤく甘えた日本人はトルコ人に謝罪をすべきだろう。なお旧市街から空港へ行くルートの始発がこのバヤジット広場になる。

23時前に空港に到着し、チェックインを完了させる。まだ離陸まで4時間近くあるので、仲良くなったインドネシア出身カルナ君と暇潰しの会話を楽しむことに。彼はこれからイズミルで留学するらしい。ちなみに彼の飛行機の出発は翌朝7時である。

7時!?!?それ夜行バスで行っても変わらなくない!?!?

※イズミルはイスタンブールからだと車で5.6時間で到着する。

まぁそうやねんけどな、友人が勝手に予約しやがったんや……。

それにしても空港来るの早すぎやろ!?

ホテル代もったいなかったんや……

ここで実質シャワー浴びるためだけにイスタンブールに宿を確保してた僕、反省する。なお空港には一応トランジットエリアにホテル併設されているが、4時間利用で100ユーロオーバーという超強気ブルジョワ設定である。

政治情勢の話に移ると、どうも最近インドネシアでは政府高官?がSP(警察)に暗殺されたとかで、警察に対する信頼が揺らいでるらしい。もうウチの国おしまいやわ…という彼だが、こちらも負けてはいない。

日本も最近元首相が暗殺されたで。

ファッ!?!?日本って安全な国じゃないの!?!?なんで!?

カルト宗教と繋がってたみたいで……

犯人が???

それが……元首相の方やねん……

オウ……プライムミニスターアベ……マジか……。

この後互いにどこの国の政治体制が良いか議論してみる。カルナは韓国を推していた。国民がデモしまくってるので民主主義が根付いてると判断できる一方で、徴兵制があることからある程度政府側も国民をコントロールできている点を評価していた。たしかに今の衆愚政治の極みみたいな日本よりマシかもしれない。

土産物をのんびり見るためカルナ君とお別れしてショッピングコーナーへ。

イスタンブール空港の土産物は大半がユーロ標記でめちゃくちゃ高い。どうみてもただのチョコなのに40ユーロとかしている。そして大して美味しそうに見えない。ジャパンが誇るアルフォートとか1ユーロですよ??、とあまりの高さに思わず天を仰ぐ僕の視線の先には電光掲示板。

搭乗予定の0220発トルコ航空便の枠内には既に FINAL CALLの文字が。

はい??まだ1時間近く余裕あるんだが??

目を擦って改めて見てもやはりFINAL CALLの文字は変わらない。訝しげに首を傾げていると、他の日本組が猛ダッシュでゲートまで駆け抜けていくのが見える。

あ、これガチのやつやん。

急いで比較的安め、といっても日本的には高いチョコを買って彼らの後を追い掛ける。本当にファイナルコールをしていたので間に合ったことにホッとするも、当然全ての乗客が気付いたわけでもない。結局全然揃わずに定時近くまで機内に待たされる羽目に。

最後に機内に入ってきた乗客が待機組から冷たい目で見られていたがこればっかりは仕方ないとしか。

なおチョコを後日食べたところ、発泡スチロールの中にチョコ風味のアスベスト混ぜたような食感だった。

機内で無限に爆睡しつつ10時間かけて日本へ帰還。既に20時に近いため。成田ではなく羽田空港なのが何よりも救いだが、そんな本邦のコロナ対策はゴールデンウイークから何一つ進歩していない。COCOAだのmysos登録だのはまだ良いとして、そもそも全然システム化されておらず、未だに職員の人海戦術による手作業が主。明らかにバイトみたいな人もいるし、システム化に金かけずに安い人件費で誤魔化すあたりジャパンクオリティの極みだ。

なにはともあれ今回も良き旅ができたことを関わった全ての人に感謝だ。モンゴルの緑の大平原、青い地中海とキプロスの古代遺跡、ホスピタリティ溢れる人々、分断される首都、謎の食事。うーん最高。

51ヶ国目モンゴル

52ヶ国目北キプロス・トルコ共和国

53ヶ国目キプロス共和国

完!!!

この素晴らしき世界に祝福を!!

※なお、帰国直後にコロナになった模様。cocoaさん曰く帰国便の中では移されたようだ。日本の検疫体制の不備を体を張ってあばいた自分が誇らしい。

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