音なき音、色なき色

■美しい言葉に触れ思考を広げる■詩や俳句の研究をとおして人文知の普及、底上げに向けた活動をしています。 ■https://tokyo-aesthetic-seto.jp

音なき音、色なき色

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マガジン

  • 詩の感想

    美しい日本語について独自に定義。詩の感想を呟いております。

最近の記事

二軸の先

先日、50代の知人と世間話をしていたとき。 曰く、 「今まで、流れに身を任せ、ここまできた。 ビジネスで困る程のことはないし、 何かが起こっても、なんとかなることも分かる。 でも、何か『コレ』というものを やってきていない虚しさがある。 『このままでいいのかな~』って思う」 御人は、20代で起業された方。 当然、荒波を超えてきていらっしゃるし、 仕事も趣味も、超がつくほどの追求型。 なので、お話を聞き、ちょっと意外でした。 と同時に、僭越ながら 私自身もずっと「

    • 「考えるな、見よ」

      20世紀最大の哲学者、 ウィトゲンシュタイン。 彼の「考えるな、見よ」という言葉が 好きです。 この言葉を思い出すとよぎるのは、 巷でよく言われている 「行間を読め」という表現。 私はこの表現に、違和感があるんですよね。 思いますに、正しくは 「行間を読むな、見よ」ではないかなと。 でも、これでもまだしっくりこない。 この違和感は、 日本人が語っているにも関わらず、 西洋的な感性の方が より色濃く表れているから。 もしも、日本的な感性から紡ぐとしたら。 「味

      • 【詩の感想】美しいもの 

        この詩を読んでまず興味を持ったのは、 「美しいものはまだまだある」という 一文。 一般的に、美しさとは 芸術作品や自然のような感覚的なもの、 有徳な人の心や生き様のような精神的もの、 ファッションや空間のような美意識など、  美醜で捉えられます。 でも、「まだまだある」ということは、 日頃、私たちが意識しないところに 美しいものがまだまだあるということ。 なので、 私たちが見落としている美のなかでも 「いちばん美しいものは何?」って、 私には見えていない世界が 示

        • 【詩】二十歳の原点より

          夭折した天才が紡ぐ言の葉。 そこから滲み出る純粋性。 折に触れて読み返す詩も多いです。 そのなかで誰か一人挙げるとしたら。 真っ先に浮かぶのは、 高野悦子さんでしょうか。 世間的に有名なのは、 孤独と向き合った哲学的な独白。 でも、私は彼女が書いた 自然の詩も好きなんですよね。 まっすぐな眼差し。 若さゆえに拗らせた感性から こぼれ落ちる言の雫。 様々なものを抱えた者が自然に 浄化を求めるさまの愛おしさ。 以下、著書の末尾に記された詩です。

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        • 詩の感想
          6本

        記事

          【詩の感想】さくらのはなびら

          昨日に引き続き、 今日も桜をテーマにした詩です。 作者は 「存在の詩人」と称された天才、 まどみちお。 幼い子どもでもわかる 平易な言葉づかいの詩は、 幅広い層に親しまれています。 読みながら、 無声映画のような詩だと 思いました。 それは、 ひらがなから滲み出る 柔らかさもありますし、 文中の空白とそのリズムが 穏やかで静かな世界に いざなってくれるような。 でも、この空白。 他の受け取り方もできるのかなと 思いました。 というのも、一般的には花びらを 「散

          【詩の感想】さくらのはなびら

          見ずして見る、桜

          季節の移り変わりには、 折々の風物いずれにおいても 深い趣があります。 そのなかでも、 春は特別じゃないかしら? 今日はSNS上でも、 満開の桜が次々とアップされ 画面がとても華やかでした🌸 そういえば、 徒然草にこんなことが 書かれています。 兼好法師の場合、 心の内で見て思いやる桜。 私の場合、スマホで見て 知識として知っている桜に 紐づけた桜。 無知の知 どころか 過知の知。

          【詩の感想】花を知るには花になるのだ

          当noteでは、美しい日本語について独自の定義をしています。 そのため、「詩」を広義の意味で捉えています。 まず読んで思ったのは、 禅の考え方を表している 散文詩のようだな、ということ。 普段、私たちは 花と自分は別モノとして 捉えています。 なので、花になるとか、 花になりきるといわれると、 戸惑いや違和感を 感じやすいんじゃないかなと 思います。 たとえば、 「花にはなれないのに、 花になるってどういうこと?」 「人と花は異なるし」 「花になりきるの?それ

          【詩の感想】花を知るには花になるのだ

          【詩の感想】古今和歌集 仮名序

          当noteでは、美しい日本語について独自の定義をしています。 そのため、仮名序の古文も、あえて「詩」として捉えています。 読んでまず思ったのは、「心」について。 「心」というと、浮かびやすいのは 「~したい、したくない」「私はこう感じる」 といった主観的な心か、 主観的な心を分析した 客観的な心かなと思うんですよね。 でも、ここで言われている心は そのいずれでもないような。 自然の情景にうっとりしたり、 人知を越えた自然に大切な人を重ねて 想ったり。 そういった

          【詩の感想】古今和歌集 仮名序

          【にっぽんのいろ】空色鼠(そらいろねず)

          今日、ふと空を見上げると、 深い雲と、雲の間からわずかに漏れる陽光が。 雲と光が織りなす姿に もの悲しさより、美しさを感じました。 この空模様のような 青みを帯びた明るい灰色のことを 空色鼠というそうです(伝統色のいろは) 灰色でもなく、 青色でもなく、 白色でもない。 その狭間を捉え、 何気ない日常を美に昇華する感受性の 高さには驚きます。 一方で、 この感受性を日本人が失ったのかといえば そんなことはないと思います。 というのも、昨今、 中間色と呼ばれる淡い色

          【にっぽんのいろ】空色鼠(そらいろねず)

          矛盾の「その先」

          冷え性なので、 部屋着にレッグウォーマーは必須。 なのに今朝、散歩を終え 再びレッグウォーマーを履こうとするも、 片方が見当たりませんでした。 部屋着の上に置いて出かけたはずなのに。 取り敢えず片方のみ履いて 部屋の中をグルグル探すも、ない。 まー、そのうち出てくるわと、 一日過ごしました。 夜、着替えようとしたときに判明。 片足に二枚重ねて履いてる。笑 今朝の私は、 左右という矛盾(区別)に 翻弄されてたのね。 重ね履きした足を見て 思ったこと。 この足は

          絵画の本質とは?

          以前は「ホンシツ」って聞くと 胸がザワツイていました。 それは、 世界はそんなに単純じゃないって考えてたから。 なんなら、「単純にしたくなーい!」 とすら考えてたから。 そのくせ、「ホンシツ」って聞くと 言葉の誤謬による幻想に、いとも簡単に取り込まれて 「ホンシツ」を分かった気になっちゃいそうで・・・。 そんな自分の弱さが怖く、 抗おうとしてたから😅 なので、思いっきしザワツイていました。 でも、当時の私は 今以上に全然見えていなかったなと、 恥ずかしくなるばかり

          【詩の感想】黒

          『黒』 イケムラレイコ 無の色 暖かい無限の色 もっともひとりであることの色   * この詩は、静寂のなか 一音ずつピアノで奏でられているような詩だなぁと 思いました。 それは、「色」という韻が 心地よい拍子となり 目に、耳に、残るだけでなく、 段々と増える言葉数が 音階のように感じられるから。 このような言葉の奥行きにみる 詩の佇(たたず)まいに、 詩が言語芸術と言われるゆえんを 感じます。 また、「無」と「色」のように 言葉にすれば矛盾するものが、 何の矛盾

          【詩の感想】うつくしいもの

          『うつくしいもの』  八木重吉 わたしみづからのなかでもいい わたしの外の せかいでも いい どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか それが 敵であつても かまわない 及びがたくても よい ただ 在るといふことが 分りさへすれば、 ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ * まず、読んで感じるのは、優しさと穏やかさ。 それは、ひらがなが持つ柔らかさと穏やかさも あるでしょうし、 八木重吉の素直な想いが現れているからでも あるように思います。 そ

          【詩の感想】うつくしいもの

          「行動したくでもできない」からの卒業

          寒さが増す中、被災者の皆さまのご無事と心の安寧を心よりお祈り申し上げます。 * 年が変わりましたし、 今日は、「国とともに人文知を守る」ために、私自身が決意していることについて。それは、 最上位の知に向き合いながら、地に足をつけ実践を積み重ねること。 独善ではない善を貫くこと。 そのために、2023年に置いてきたもの。 それは、「己」 楽したい怠け心。 でも正直にいうと、完全に捨てきれませんでした。 この弱さ、甘さ、情けなさも認め進むしかありません。 一方

          「行動したくでもできない」からの卒業