目から鱗が落ちる瞬間を捉えるのが好き
ずっと答えが出なくてモヤモヤする。
もうやめた。
ってしたいのに中々意識が外れない。ここまで来たら、自分なりの答えが見つかるまで解答も見たくない。
数学の問題を解いていると、そんな意固地になってしまう状況によく直面していました。
ーーそんな問題がふと解ける瞬間が訪れる。
その時の気持ちよさは如何とも形容し難いものがあります。
そんな気持ちを見事に描いたのが、高校生の主人公が数学オリンピックへの挑戦を目指す漫画「数学ゴールデン」。
かく言う私は、決して数学が得意な方ではありません。
数学科に行ったり、数学オリンピックに挑戦したりする超人たちほど数学にのめり込むことも出来ない。
だけど、数学が好きかどうかでいうと確実に「好き」だし、教育に用いられている意味も自分なりに解釈しています。
今日はそんな数学に纏わる私の気持ちと教育に関する考え方のお話です。
のだめカンタービレに学ぶ感情表現
最初にちょっとだけ遠回りな話をします。
私は昔3年ほどだけピアノを習っていたことがありますが、レベルとしてはバイエル(ピアノの初心者用教本)をようやくクリアした程度。
今や楽譜も読めなくなったし、音楽について難しいことは全く分かりません。所謂素人です。
そんな素人でも面白おかしくクラシックがわかるようになる漫画『のだめカンタービレ』
2人の主人公、のだめ(野田恵)と千秋先輩(千秋真一)の音楽生活を描いたストーリーです。
読んでみると、ストーリーの序盤(2人は音大の学生)では様々な場面で「楽譜の通りに弾け!」と言われています。
楽譜にはドレミの音符だけではなく、色んな記号が用いられて、一つの曲が作られています。
音大生のレベルであっても、まず目標になるのは楽譜に描かれた曲を忠実に再現すること、のようです。
そして主人公達がヨーロッパに渡る中盤以降。ストーリーの方向性は、如何に感情を表現するか、に移っていきます。
千秋先輩が参加する指揮者コンクール。
同じ楽団が同じ曲の同じ楽譜を演奏しても、指揮者によって全く異なる表現がなされます。
また、留学先の音大でのだめが個人授業を受けるシーン。
世界的ピアニストでもある先生は、のだめの作った曲を初見で、曲に込められた意味を紐解きながら演奏します。
面白おかしく笑えるコメディ要素の強い漫画なんですが、私は最初に読んだ時から
「こんな世界があるんだ」
と感動も覚えていました。
数学を勉強する意味??
さて、数学の話に戻りますが、数学なんて勉強してなんの意味があるの?と思ったことのある人は少なくないと思います。
「だって、三角関数とか知ってたって日常で使う機会ないし。」
と声が聞こえてきそうです。
log(対数)も√(ルート、根号)も∮(インテグラル、積分の記号)も…
知らなくたって生きていける。確かに。
こうした主張に対し、数学のわかる方は
「三角関数は波動が云々、〇〇の概念は微分積分で説明できる云々…」
と日常生活で数学が使われる例を説明してくれるのですが、わからない人からすれば多分
「ふーん、そうなんだ…」
以上の感想は持ち得ないのではないでしょうか。
だってそう言われても、実際よく分からないから。
数学が言葉の学問に見えた時
受験勉強をしていた時でしょうか、ある時ふと思ったことがあります。
数学の問題には、作成者の言いたいことが込められていて、一見何を意味しているのかわからない数式を問題の誘導に沿って解いていくと、最後にそれがわかるようになっています。
例えばご存知の方も多いかも知れません。2000年静岡大学理系前期の数学の問題。
数学アレルギーの方にとっては、見た瞬間にお手上げしたくなるような問題かもしれませんね(笑)
ネタバレになっちゃうんですが、解く人もいないと思うので答えを言うと、この問題、最終的に富士山がグラフ上に現れます。
静岡大学だけに、富士山を数式で表現してみようぜ、という遊び心。
伊豆・熱海などの観光とお茶の名産地としても知られる一方で、それほどイメージの強くない県である静岡にとって、巧妙なステマにも取れます。
このように、文字だらけで一般化された簡素な数式にも、作成者の言いたいことが詰まっているんです。
これは楽譜の話と全く同じです。
楽譜も数式も、わからない人にとっては意味をなさない記号の集まりです。
英語が読めない人にとっての英文も全く変わりない。
でも逆に、それがわかる人達にとって、誰が見ても一様の理解を得ることができる。
そう。数学は言葉の学問なんです。数式はそこに込められた意味を雄弁に物語る、文章なんだと思うんです。
言葉は他人とコミュニケーションを取るためのツールです。日本人同士なら日本語でコミュニケーションを取るように、その限られた世界の中で、言いたいことを伝えるためのもの。
であれば、音楽の世界での楽譜、科学の世界での数式は「言葉」と言って差し支えないでしょう。
目から鱗が落ちる瞬間
このことに初めて気が付いた時、まさに目から鱗が落ちたような思いでした。
ただ理解できただけでなく、鳥肌が立つというか身震いするというか、理解に至った時の面白さ。
そう、うまく表現する言葉が見つからないくらい”面白い”んです。
なぜ勉強をしなければならないのか、という問いに関しては、人によって異なる理由があると思いますし、一概にこうだとは言えません。
ただ、つまらなく思える勉強も、自分の知っていることを知らない観点から見たとき、理解につながったり面白いと感じたりすることができるようになります。
私は自分がそんな面白さを体験するのが好きなだけじゃなくて、それを人に伝えて、人が同じく膝を打つような、そんな顔を見るのが大好きです。
だからこそ、教育に携わりながらそんな瞬間に立ち会いたいんです。
目から鱗が落ちる瞬間に。
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