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多様性って会議っぽい。

常々思っていることがあって。
「多様性」ってきれいすぎるなあと。

揉めごとなく、会議の意見相違、くらいのテンションで、違いを認めようだの、違いを理解して、だの、やっている感じ。

ほんとに多様なことって、カオスだと思うんだけど。
それでたくさん衝突したり、問題起こって、それでも双方どうにか諦めないで、中庸みつけて、折り合いつけて、バランスが取れていくものだと個人的には思う。

だから最近の「多様性」は教科書や理論が中心な、実践を伴っていない
痛みも感覚も、理論のなかだけのやつに見えるんだよな。

そもそも違いを認める、だの
どこの立場で?って思うし、どうして認められる側と認める側があるのだ?と。

全部を受け入れる必要もなく、好き嫌いもあって当然だけど、それって全部認める側が決めることじゃなくて、お互いさまじゃね?と。

アカデミックな知識や教養も大事だけど、それだけで実践に降りてきていないものをみると、なんだかなーと思ってしまいます。


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