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note20 : ホーチミン(2011.5.6)

【連載小説 20/100】

人の集合体である以上、国家もまた“生き物”である。
若ければ元気よく、老いると随所の具合が悪くなる。

ホーチミン滞在でしみじみ感じたのは、ベトナムという国家の“若さ”と相対的な日本の“老い”。

少子高齢化が叫ばれ出したのはいつの頃からだろう?
口では「まだまだ大丈夫」と強がりながら、身体の方はどんどん言う事を聞かなくなる老人に似て、日本という国家は年々着実に元気をなくしているような気がする。
古くは後進国から発展途上国、後発国、新興国…と、ベトナムのような東南アジアの国々を指す表現はあれこれあるが、要は国が“若い”のだ。“若い”というのは国家という“生き物”が文明化の成長期にあるということで、そのバロメーターとなるのが人口増加数だ。

客観的なデータを比較してみよう。
昨年の人口統計では日本が1億2700万人でベトナムは8900万人。
これが2050年の予測では日本が9500万人でベトナムが1億1200万人。
つまり2国のサイズが40年ほどの間に入れ替わることになるのだ。

国家を“生き物”に見立てたついでに、人口数を他の要素に置き換えてみよう。
例えば身長や体重、もしくは知識や貯金だ。
日本が大幅な人口増加に転じたのは太平洋戦争後の高度経済成長期とリンクする。終戦時の1945年に7000万人強だった日本の人口はその後25年で1億を越え、減少に転じるまで60年間増加を続けた。

つまり20世紀後半、他国から見た日本という“生き物”のガタイは見違えるほど大きくなり、知識も貯金も自慢できるほど増えたという訳。

思い起こせば、僕が少年期から青年期を送った70〜80年代はまさにその中心期で、日々の生活や社会を取り巻く空気そのものが右肩上がりの成長志向だったような気がする。

忘れもしないのが1970年の「大阪万博」。
ちょうど人口が1億人を越えたこの時期に国際社会の表舞台に華々しく復帰した日本を諸外国は「敗戦」という幼少期のドン底の生活から這い上がり逞しく成人した若者のように見たのではないだろうか?

一方で、そんな70年代の新聞紙上を賑わせていたのが「ベトナム戦争」だった。
“泥沼”とたとえられた長い戦争に負けはしなかったものの、ベトナムは日本から30年遅れた1975年の終戦から新たなスタートをきったことになる。

ベトナムの成長が今後どこまで続くのかは未知数だが、日本の歴史に重ねればこれから“この世の春”のバブル期を迎えることになる。そして、その“若い”パワーに日本はきっとかなわないのだろう。が、それは勝ち負けの問題ではなく、30年という成長期の長い時差なのだ。むしろ「国家もまた“生き物”である」なら、「老いも若きも共に国際社会の構成員である」と考えるのがいい。

若者は先人の知恵に学び、老いたる者は次世代に労苦を任せるという相互依存もありだろう。国家がその成長ステージにあわせて持ち味を活かし合う関係こそがグローバル世界のあるべき姿だ。
そうやって世紀単位の時間を重ねれば国家もまた代替わりを果たし、新たな“若い”日本が成長を始めるのだ。

さて、明日15:00発のベトナム航空VN840便でカンボジアの首都プノンペンに移動する。前々回にレポートしたように、カンボジアでは“謎?”のミッションが僕を待っている。その中身を5/10に報告しよう。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年5月6日にアップされたものです。

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