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note25 : メコン川(2011.5.21)

【連載小説 25/100】

日本を出て73日目になる。
出発翌日に起きた大震災の模様を異国で映像を通じて見た時「電気を失った被災地は寒いだろうな」と心が痛んだが、早くも日本では真夏日を記録する季節を迎えているようだ。

カンボジアは今日も蒸し暑いが、その中で僕は再び懸念する。
電気の足りない日本はこの夏の暑さを乗り越えられるだろうか?

今回の震災で日本国民が、いや世界中の人々が再考せざるを得なくなったのが原子力に依存してきた電力の未来についてだろう。

実は4月にボルネオで3週間を過ごして以来、僕は常にキャンドルを持ち歩いて夜はホテルの部屋の電気をつけないようにしている。
どこのホテルに滞在してもスイッチひとつで明るくなるが、あえて原始の光を頼ることで「3.11」を背負って旅を続けたいと思ったからだ。

「文明の力」といえばネットワークやデジタルテクノロジーのことが頭に浮かぶ昨今だが、電気こそが人類を飛躍的に進化させた文明の牽引力であり、電力なき世界に高度文明社会は不可能だったと言っていい。

それゆえに、電気のある“日常”から離れ、毎夜一本のキャンドルに火をつけて、直火で沸かしたコーヒを飲みながら3人であれこれ語り合った“川の旅”はとても貴重な体験だった。

「そろそろ寝ようか」という誰かのひとことで、別の誰かがフッと息をふきかけキャンドルの灯りを消すと皆が闇に包まれる…という儀式のような行為で旅は毎日確かなものとして更新された。

そして、僕はこんな手記をノートに残している。


天空の灯り、地上の闇

夜の闇はどこにある?

文明に暮らす僕らにとって、闇は常に彼方にある。
ヒトの世界に灯る光は絶えることなく、見上げる夜空に闇の役割を担わせてきた。

でもそれは逆なのだ。

森の奥へと旅すれば夜の闇は地上にあり、少し不安な僕らを包み照らすのが天空の星々。
闇は僕らの側にある。

ヒトはなぜ暗くなったら当たり前のように灯りをつける生活を選んだのか?
その意味を改めて考えてみる必要があると思う。

そのためには都市を離れ原始の森を目指すのがいい。


日本を出てからの旅を振り返ると、香港やシンガポールの摩天楼空間とボルネオやインドシナのジャングル空間を交互に過ごしてきたことに気付く。

都市と自然、光と闇。
この相反する関係の中を順に繰り返し進んできた旅は、現在を基点に未来と過去を行き来する時間旅行のようでもあった。

夜も更けた。
今夜もホテルの部屋でキャンドルを吹き消す“儀式”と共に旅の日々を更新しよう。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年5月21日にアップされたものです。


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