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note26 : シェムリアップ(2011.5.23)

【連載小説 26/100】

昨日、シェムリアップから北東に約40kmの場所にあるバンテアイ・スレイを訪ねた。
外壁が赤い砂岩で作られた美しい遺跡で、「東洋のモナリザ」と呼ばれるデヴァター(女神)像で有名な場所だ。

そして、このデヴァターこそがアンドレ・マルローが自らの盗掘経験をもとに小説『王道』を書いたとされる彫像なのである。

クメール王国の軌跡をプノンペンからシェムリアップを目指す“川の旅”で追った「SUGO6」のオプションツアーは、『王道』の主人公であるフランス人考古学者クロードと、その生みの親であるマルローが見た女神に出会うバンテアイ・スレイがクライマックスになる、という粋なエンディングが待っていた。

facebookに撮ってきた写真をアップしたが、この穏やかな女神の表情を見て僕は迷う。

神が人をつくったのか?
人が神をつくったのか?

世界各地を旅し、様々な信仰と神を取材してき僕にとって「神とは人類が生み出した最も美しく壮大なフィクションである」というのがひとまずの結論だ。

バンテアイ・スレイの彫像も10世紀に人の手によって彫られたるものだから、その意味でこの女神は「人がつくった」ことになる。

ただ、この像を彫った名もなき彫刻者がモデルとして思い描いた対象がこの世に生きる女性ではなく女神であったことに疑いの余地はない。
神という人智を越える存在をこの世に再現せんとする敬虔な作業なくして、この表情は生まれないような気がするのだ。

だとすれば、超越的な神の存在が“美”を生み出す人をつくることになる。
つまり人は「神につくられる」のだ。

マルローがアンコールの遺跡を盗掘しようとした歴史上の事実と、その行為を小説のかたちで世に問うた『王道』をどう見るか?

彼は神に近づこうとしたのか?
神を越えようとしたのか?

その答えは物語の中にも、インドシナの険しい道の上にも見つけることはできなかった。

ただ、いにしえの王国の道を、1世紀近く前に旅した作家と彼が残した物語とオーバーラップさせながら進む複層的な旅そのものが大きなヒントだったような気がする。

スタートとなる問い掛けがいかなるものであっても、答えを得るために人はゴールを目指して一歩一歩進まなければならないわけで、これはまさに人生そのものだ。

そしてその道は無数に存在するようでいて、案外どれも似通ったものに違いないのだ。

迷い疲れ、くたびれて到達する先にあるゴール。
それがこの穏やかで柔らかい表情であるなら、この世の果てにフィクションではない“女神”がいると信じていいのかもしれない。


さて、明日タイのバンコクへ移動する。
そこでミャンマー入国のビザを入手次第、ヤンゴンへ旅立つ予定だ。

行く先々がダイスの目で決まってきた「SUGO6」の旅で、初めて主体的に選んだデスティネーションだから、少し気分が高揚している。

note23で、僕がどうしてもミャンマーという未知なる国家を訪れてみたかった背景にひとりの友人の存在があることに触れたが、彼をここでは「Uncle Tom(トムおじさん)」と紹介しておく。
おそらくミャンマーからのレポートには彼が登場することになるだろう。

実は「Uncle Tom」といっても生粋の日本人なのだが、彼は極めて特殊な仕事をしていることから匿名性が強く、業界ではそう呼ばれているらしい。

5年前にジャーナリストの友人を通じて知り合い、世代が近いこともあって意気投合した仲で、年に数度は会って情報交換をしてきた関係だ。

その彼が昨年の夏に「これからミャンマーが面白くなるよ」と語ってくれたことから僕も興味を持ち、その後情報ウォッチングを重ねてきたという訳である。

初のミャンマー紀行。
どんな旅になるか楽しみである。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年5月23日にアップされたものです。

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