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note27 : バンコク(2011.5.25)

【連載小説 27/100】

昨日バンコクへ到着して、カオサン通りのゲストハウスに宿をとった。

20年以上前にはじめてタイを訪れた際「カオサン通りへ行けば何でも揃う」と聞いて訪れ、長く滞在したのが昨日のことのようである。

安宿はもちろん、屋台レストラン、カフェ、両替商、旅行代理店…と、今も昔も変わらず何でも入手可能なカオサン通りに滞在し、今回はミャンマー入国のビザを手に入れようとしているからおもしろい。

日本でミャンマーのビザを取得しようとすると手間がかかるようだが、ここバンコクでは昨日申請したビザが明日には入手できるのだ。

ところで「バックパッカーの聖地」と言われるカオサン通りには若者が多い。

レオナルド・ディカプリオ主演で映画化されたアレックス・ガーランドの小説『ザ・ビーチ』はアジアを旅する西欧のバックパッカーたちを描いた大ベストセラー作品だが、物語のスタートがカオサン通りのゲストハウスだった。

あの映画で描かれたままに世界各国からバックパッカーが集まる通りでは日本人の若者も多く見かける。
ここを起点にマレーシアやラオス、カンボジアへと旅だっていくようだ。

15年くらい前だろうか?
「タイは、若いうちに行け」なるキャッチフレーズの観光キャンペーンが航空会社によって展開され、日本におけるタイの人気が高まった。

僕がバンコクを訪れたのはそれよりさらに前の時代だったが、パタヤビーチで泳いだり、ムエタイを見たり、さらには拳銃を手に実弾射撃をしたり…と、当時もまた若者の遊び心と冒険心をそそる国だった。

そんなカオサン通り界隈に数名のATJスタッフが滞在していると知って、アプリの「friends」機能を使って食事仲間を募ったところ3人の若者が連絡してくれた。

世界一周を目指す若者のほとんどは日本を出るとまず韓国か中国を訪問し、そこから南下して東南アジアの国々を回る。

彼らの旅は始まったばかりだから、僕が東南アジアの歴史文化と西洋との繋がりをレクチャーすることになり、屋台で食事をしながら夜中まで即席ゼミナールで盛り上がった。

ATJの若者は皆快活で知的好奇心が強く勉強家だ。
彼らを見ていると「幕末の動乱期に海外へ渡航した志士たちもこんな目をしていたのではないか?」と思えてくる。

鎖国の世が終焉を迎えようとしていた当時、本能的に“世界”を意識した若者たちにとって海外への“扉”となったのが長崎であり、そこに作られたのが人工島の出島だったが、カオサン通りは21世紀を生きる日本の若者にとって出島のような場所なのかもしれない。

若者が他国に関心を示さず海外旅行者が少なくなった日本の状況が「パラダイス鎖国」などと評される昨今ではあるが、志の高い一部の若者はアジアの出島から世界を見据えている。


さて、鎖国といえばミャンマーに付けられるレッテルでもある。
長き軍事政権下で一種の鎖国状態にあるとされ、それ故に観光客が少ない国として旅情をそそるデスティネーションだったわけだが、どうやら“開国期”を迎えているようである。

昨年11月の選挙を経て22年間続いた軍政が終了し、民政移管と共に今後観光にも力を入れていくそうだ。

つまり未知なる国家が観光による開国によって国際社会に登場してくるという訳だから、旅行作家の僕には極めて興味深い国である。

長き鎖国の後に世界に門を開いた国がツーリストにとって魅力的であることは間違いない。

イギリスの女性紀行作家のイザベラ・バードは明治時代の東北や北海道を旅して『日本奥地紀行』を記し、注目を集めた。

僕の『ミャンマー奥地紀行』がどうなるか楽しみである。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年5月25日にアップされたものです。

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