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『歪』

◆目次

「梅核気」
「有給の旅」
「南京虫の理不尽」
「罰金」
「ピンポン玉」
「南島」
「牛の神」
「ワイククの朝」
「野鳩と大聖堂」
「歪」





【梅核気】

ピンポン玉を飲み込んだ事があるだろうか?勿論私もないのだが2017年のアラスカ自転車旅から帰国した頃からその感覚に悩み始めるようになった。

人間の食道はそれほど広くないのでピンポン玉は簡単に胃袋まで落ちてくれず喉を通過している間あまりの苦しみに悶える事となる。最初は少し大きめの固形物を飲み込んだ時に起こる通常の喉のつかえだと思っていたが、その内ヨーグルトやゼリーも上手く飲み込めなくなり、最終的には水を飲んでもピンポン玉と変わらない感覚になってしまった。

我が身に異変が起こっているのは確かで大学病院で診察を受けるが全ての検査で異常は認められなかった。異常がないのだから医師としても治療や薬の処方もできないという事で高い検査費用だけ払って病院を後にするがその日の晩にもまた喉がつかえて悶絶する。

セカンドオピニオンが欲しく科を変えてもう一度診察してもらうもやはり異常はないと診断されどうにも納得がいかない。『こんなに苦しんでいるのに異常がないとはどういう事ですか?!』医師に詰め寄るも『そう言われてもデータ上は何の問題もないので我々としてもいかんともしがたい訳でして...』と言って私を帰らせるための薬を渋々処方してくれた。

処方箋取り扱い薬局でその薬について尋ねてみると精神安定剤の一種である事が分かり、どうやら医師は私が精神の問題を抱えていると考え始めているようだ。


アラスカから帰った直後に招聘仕事史上最も予算の高い案件を扱っていたが私はその事で悩んでいた。この仕事はある会社の代表と共同で進めていたが途中でその方からこのプロジェクトからの全面撤退の意向を告げられ大変驚いてしまった。

その方が発起人だったのでそんな無責任な話もないだろうと茨城で撮影の仕事に立ち会っている最中だったが直接電話を入れてみた。しかしその結論に至る理由を述べるつもりはないようでいつまで経っても話は平行線。流石に頭にきて『ご自身がこちらに依頼されたのにそれをキャンセルしその理由も一切語らない。こんな無責任で非礼な話がありますか!』と語気を強めると、仕方ないといった感じでその方はこう呟いた。

『プロジェクトが行われる時期には私はいないですから...』

ん?どういう意味だ?退職する気でいるのか。それもそれで無責任な話だが。『仕事関係で何か大きな問題でも抱えているんですか?それとも会社自体をやめてしまうとか?』矢継ぎ早に質問するもその方は『いやそういう訳ではないんですが...』と煮え切らない返事しか返してこない。堪忍袋の緒が切れてついに私が声を荒げるとその方は観念したと言う感じで衝撃的な理由を述べた。

『その頃、私はこの世にはいないという事です...』

しばらく二の句が出なかった。

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