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作品に圧倒され、ただ、息を飲む。イタリア・システィーナ礼拝堂で見た「巨匠の本気」

突然ですが、質問させてください。


ずっと憧れていた光景が、目の前に現れた瞬間ってありますか?


「憧れ」は頭の中で勝手にどんどん膨らんで、もしかしたら期待していた以上のものに見えなかった…なんてこともあるんじゃないでしょうか。

ですが、僕はその過度な期待を超えて、ただ息を飲むしかない瞬間を旅行で体験したことがあります。


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これは、僕が大学の卒業旅行でイタリアに行った時の話です。

「卒業旅行」とは言っても、僕は大学時代を共に過ごした友だち(A)の1人と、そのAの友だち(B)と行く、卒業旅行の名には合わないこじんまりとしたメンバーでの旅行でした。

当初は同じ大学の仲の良い男4人での計画だったのですが、行きたい国の違いや金銭面で意見の相違があり、「行けるメンバーでイタリアに行こう」となった結果がこれでした。ちなみに、Bとは大学が違うし、僕はこれまで1度しか面識がありません。

そこまでして、なんでイタリアなのか。
その理由は、完全に僕個人の強い要望でした。


イタリアは日本から距離が遠く(ほぼ日本の裏側!)、日本人が少なくて非日常を味わえる
街中が世界遺産だらけだし、料理も美味い。(マルゲリータに、カプレーゼに、美味しいワイン!)

そして何より、「卒業旅行はイタリアでした!」って言いたい。言いたいんや。だって、カッコいいやん…。

というのは建前で、僕にはどうしてもイタリアで「ある物」が見たかったんです。

それは、ルネサンス期を代表する芸術家・ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の壁に描いた「最後の審判」という作品です。


別に僕はキリスト教を信仰しているわけでは無いですし、特別絵画が好きなわけでもありません。

僕がこの絵画に憧れを持ったのは、高校生の頃の予備校での授業がきっかけです。

宗慶二

元東進ハイスクールの現代文講師の宗慶二先生

当時、英語を学習するためだけに予備校に通っていた僕でしたが、何かのキャンペーンで格安でもう1教科授業が受けられる機会があり、予備校のチューターに勧められるがまま受けたのが宗先生の授業でした。

宗先生は小説であれ評論文であれ「文章自体を楽しむ」という、著者が文章に込めた思いを大事にする先生で、関西人だし話も面白い。
宗先生が授業で扱った文章題の原作を購入してしまうほど、僕はすっかり先生の授業に引き込まれていました。


そんなとある日の授業で芸術に関する評論文の問題が出題され、その問題の解説で宗先生の口から出てきたのが「ミケランジェロについて」の話だったんです。


宗先生がいつも通り文中で出てきた漢字や熟語の意味の問題の解説を行い、いよいよ文章問題の解説に差し掛かる前に、カメラの前で突然こう語り始めました。

皆さんは、芸術に興味がありますか?」

「僕は芸術作品に詳しいわけでは無いけれど、息を飲むような芸術作品を目の前にしたことがあります。イタリア、システィーナ礼拝堂の『最後の審判』。イタリア・ルネサンス期の芸術の巨匠であるミケランジェロが残した、彼の頂点とも言える作品です。」

宗先生はそう言って、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂に描いた作品について熱く語り続けます。


大きな礼拝堂の壁一面に目一杯描かれた絵には、中央のキリストを中心とした天国、そして地獄に引きずり落とされる人々が描かれていること。

「あの世に衣服なんて存在しない」というミケランジェロの見解から、その絵に登場する人物は全員裸で描かれる予定であったが、当時のローマ法王庁のお偉いさんからの猛反対により、衣服を描くようになったこと。

そして、そのお偉いさんがどうしても気に食わなかったミケランジェロが、その反対した人物の絵を地獄に描いたこと。


問題の解説に関係のない、絵画への解説が止まらない。。。
でも、当時の僕はそれを夢中になって聞いていました。


そして、宗先生のこの話の中で、僕が最も印象に残った話に入ります。

「絵は壁から天井へ続いています。見上げると、すごい高さ。すごく高いのに、その天井の全面にビッシリ絵が描かれている。今でこそ、天井画は技術の進歩で比較的容易に描けるのかもしれない。でも、これは約500年も前の話。ハシゴ車のような物はないし、壁にプリントする技術もない。じゃあ、どうしたのか。ミケランジェロは、天井までかかる大きな大きな骨組みの上で、ずっと上を見上げながら絵を描いていったんだ。顔を上げて、腕を挙げて、絵をひたすら描き続ける。この体勢はとっても疲れるし、絵具が顔に垂れてくることもあっただろう。それでも、くる日も来る日も、天井に絵を描き続けたんだ。」

そんなミケランジェロの努力を想像した上でその作品を目の前にすると、言葉では表しきれない感情が湧き起こった。

これが、宗先生が芸術作品で息を飲んだ瞬間だといいます。


僕はもう、この話にすっかり心を奪われてしまっていました。
すぐにGoogleマップでシスティーナ礼拝堂を調べて、ピンを立てました。

いつか、絶対に、見に行きたい。
そんな背景があって、僕は卒業旅行にイタリアを選んだんです。


イタリア旅行は10日間の周遊でスケジュールを組み、最終日の前日に、ようやくシスティーナ礼拝堂に行く日を迎えました。
昼食と美味しいジェラートを嗜み、午後2時ごろからローマ中心部からバチカン市国に向かい、サン・ピエトロ大聖堂前(システィーナ礼拝堂はこの大聖堂の一部)に到着。

大聖堂の前はすごい人の列。
列の横には列の整備をしている若者がいる…かと思いきや、ファストパスの営業でした。

「入場まではあと1時間かかるよ!俺にこれだけ金を渡せばすぐに入場させてやる。」風なことを英語で話しかけてきたけれど、旅行の始めに調子に乗ってトリップアドバイザーの上位ランクの店で大金を落としてしまっていた僕らには全く関係のない話。

金持ちそうな中国人はスルスルと列を割ってファストパス兄ちゃんに連れられていくのを横目にしながら、だいたい40分くらいで入場できました。

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聖堂の中は、すごい人だかり。
今では考えられない密空間がそこにはありました。

少し立ち止まると、警備員に注意されるような雰囲気。
夢にまで見たサン・ピエトロ大聖堂。もっとじっくりいろんな作品を見たかったけれど、僕の目当てはここではなかったことを思い出し、先に進んでいきます。

それにしても大聖堂はかなり大きくて、のちに調べてみれば1日かけてようやく全ての作品をじっくり見ることができるんだそう。

聖堂内に並ぶ作品は同じように見えて、一つひとつテイストが違う。
だが、全ての作品がキリストに関係している作品。

どこを見ても十字架、キリスト、十字架、キリスト。。。


閉館が17時くらいだったそうで、飛ばし飛ばしで作品を見て入館から1時間が経過した頃。

順路に従い、これまで歩いてきた煌びやかな廊下とは雰囲気が全く異なる暗い階段を降りていく

少しこもったような、ざわざわする人の声が階段の先から聞こえてくる。

階段を降りきり、その空間に足を踏み入れる。

そこは、システィーナ礼拝堂でした。
1度も来たことはないけれど、もうその壁と天井には「何」があるかは分かっていたので、僕はあえて少し下を見ながら礼拝堂の人混みを進みました。

大体ここが、礼拝堂の中心だろう。
そうして、ゆっくりと、ゆっくりと、僕は上を見上げました。



システィーナ礼拝堂内部


思わず、「うお…」と声が出てしまうほどの光景が目の前にありました。
ミケランジェロが残した作品の頂点とも言われる、「最後の審判」です。


最後の審判

「そこに、人がいる。」
「生きてるみたいだ。」
という、当時初めてその絵を見た感想が、今でも脳に焼きついています。

その絵は、500年も前に描かれたとは思えないほどリアルな人間が描かれていて、今にも絵が動き出しそうな勢いを感じました。

正直、期待をはるかに越えた作品にただ立ち尽くすしかなかった僕は、その絵の右下に目をやります。

ビアージオ

「あ、嫌われ者だ。」

彼の名はビアージオと言うらしい。
当時のローマ法王庁の儀典長で、この神聖な礼拝堂が裸体の絵で埋め尽くされることに猛反対した人物。

結果、彼は500年たった今も、このような醜い姿を人々に見られるようになってしまった。
画家を敵に回すって恐ろしい…。


皮のミケランジェロ

そして、キリストの右下に描かれたこの部分。
このだら〜んと垂れた人の皮膚は、またまた嫌われ者かと思いきや、なんとミケランジェロ本人なんだそう。

彼は作品にたびたび自分自身を描いているそうで、このようなユーモア溢れる形で自分を歴史的建造物に残したんです。

ミケランジェロ

ミケランジェロ本人はこちら。ほんとだ。確かに似てる。


この最後の審判の絵は、なんと6年かけて描かれた作品なんだそう。


システィーナ礼拝堂天井画

そして僕は続けて天井に目をやりました。
かなり高い位置にある天井に、ビッシリと絵が敷き詰められています。


アダムの創造

これは、天井画の中で最も有名な「アダムの創造」です。

こんな繊細な絵を、ミケランジェロは天井に描いたのか。
宗先生のあの言葉が思い返され、僕は口をポッカリと開けてそれを眺めていました。

この天井絵は全部で4年かけて完成させたそうです。
最後の審判と、合わせて10年。
彼の人生(88歳没)のおよそ9分の1の歳月がこれらの作品に費やされています。


こうして、予備校の先生の話がきっかけで憧れを持ったその場所は、僕の想像を超える姿で僕を迎えてくれました。
間違いなく、今まで見た芸術作品の中で一番素晴らしいものでした。



この体験から何を伝えたいのかと言うと、システィーナ礼拝堂にぜひ行って、生の最後の審判を見て欲しい…ということはもちろんなのですが、この旅ログの他の記事を読んでわかるように、旅の楽しみ方は人それぞれで無限にあるということです。

その国の美味しいものを食べる、写真を撮る、レジャーを体験するなどがメジャーな楽しみ方でしょう。

そういう、「わかりやすい楽しみ方」も良いのですが、今回の僕のこの体験のように旅先の場所に憧れを持つことや、その場所の歴史やできた背景を調べることは、より旅行を楽しくしてくれます


「なんとなく有名な場所だから行ってみる」だけじゃ、少し勿体ない。
その場所は何でできたのか、どんな人物が関係しているのか、どんなエピソードがあったのかを少し調べるだけでも、そこに訪れた際の感じ方は全く違うはずです。

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特にイタリアはそこら中が世界遺産だらけで、ただ歩いているだけでも世界史で学んだ中世ヨーロッパの世界に浸ることができます。

それだけでなく、料理も美味しくて、おシャレで、でもどこか少し抜けている。僕が今まで行った国の中で一番好きな国です。



今、イタリアは新型コロナで特に大変な状況になっているのは皆さんご存知の通りだと思います。

僕の大好きな国の悲しいニュースを聞くと、本当に胸が痛みます。
どうか一刻も早く状況が良くなり、もう一度あの礼拝堂の絵がたくさんの人を感動させることを願っています。

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ライター:ノブヒロ

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