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【貧乏ヒッチハイク旅】hometownシアトルを目指して①

“Workaway”、”Couchsurfing”、”hitchhiking”
これらは僕が思う「旅の節約、三種の神器」だ。

旅行やバックパッカー旅を計画する際、旅行者の頭を悩ませる「費用」。
2017年の夏、当時アメリカ留学中の僕は、おそらくこれを読んでいる誰よりもお金がなかった。
そして、1ヶ月間ほとんどお金をかけずにアメリカをヒッチハイクで旅した。

2つのウェブサイト、そしてヒッチハイクを使ってめちゃくちゃに節約をし、
刺激的で、そして良い意味で(悪い意味でも)一生忘れられない旅をした。

そんな僕の強烈な旅の体験を、綴っていこうと思う。

プロローグ

「What the hell are you doing boy!!?? GO HOME!!」

ワシントン州Spokaneの街の外れ、ヒッチハイクをしていた僕は白髪混じりの運転手に窓から怒鳴られた。
アメリカではヒッチハイクに関する法律があるみたいだが、Johnが言うにはワシントン州の国道沿いは合法だ。
「僕は強い」と心の中で数回唱え、胸を張って立ち、言い返すこともなく、その車が通り過ぎるのをただただ睨んだ。

なんとかやり過ごしたみたいだ。

「朝一発目でこれかよ。。。」
この旅で初めての罵倒に、テンションはだだ下がりだ。
しかし、残り1週間で兄が待つシアトルに戻らなければならない僕は、こんなところでショゲている時間はない。
連日の日照りで限界を迎えそうな肌を覆いながら、僕は道路に向かって右手の親指を立て続けた。


そもそもというもの、楽しみにしていたsummer vacationにヒッチハイクの予定などなかった。
そう、1ヶ月前の悪夢のようなあの事件。
その事件をきっかけに僕は「ヒッチハイク旅」を余儀なくされたのだ。

ヒッチハイク旅が始まるちょうど3日前、「あの事件」の日に遡る。

①Clinton(モンタナ州)でworkaway

2017年8月27日、僕はモンタナ州のMissoula国際空港でウキウキと車の迎えを待っていた。学期が終わり久々のvacation。大好きなOasisを聴きながらテンションはmaxだ。


日本からシアトルの大学に来てから約半年。
自由な時間が多いと言う理由で4期制のコミカレを選んでいた僕は、学期間休暇の過ごし方について色々と調べ、友人たちに良い方法を日々ヒアリングしていた。


そんなある日、大学の先生から”workaway”というサイトについて教えてもらった。

彼女が言うには、娘さんがこのサイトを利用して、ボランティアとしてヨーロッパに1ヶ月滞在したというのだ。
しかも宿泊費や食費は無料で。

ネットで調べてみると日本語では全くヒットせず、英語で必死に調べた内容を纏めると、
1日に3〜4時間、ボランティアとして「手伝い※」をする代わりに、ホストが朝食・夕食、ベッドを提供してくれるというシステムであった。
(※アメリカでは学生ビザでの就労が許可されていない為、金銭は発生しない。)

このサイトを知って以来、僕はすっかりこのサイトの虜になった。


長期休暇だけでなく、祝日等を見つけてはこれに応募し、グランドキャニオンのすぐ近くCanab(ユタ州)や、Sandiego(カリフォルニア州)、Abbotsford(BC州/カナダ)で、
世界中のボランティアと共に最高の時間を過ごした。

【Canab(ユタ州)】

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【San Diego(カリフォルニア州)】

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当然、今回の夏休みもこのサイトを利用しようと片っ端からサイト内の募集をリサーチし、
イエローストーン国立公園が近いことからClinton(モンタナ州)の農場兼宿泊施設にアプライした。
オーナーとテレビ面接まで行い、晴れてメンバーとして参加することが決定していた。

学期末のテストが終わると翌日には寮を出て、
大きなリュックサック+手持ちのボストンバックを持ち、シアトルからはるばるモンタナ州に来たのであった。


約束の時間になりコーヒーを飲み干すと、待ち合わせの駐車場に向かった。
そこには物静かな老人が待っており、僕をバンに乗せた。
運転中、僕はシアトルでのことや、日本でやっていたウインドサーフィンのことをひたすら話し、老人はそれを優しく聞いてくれた。
おまけに、途中の売店で甘〜いアイスクリームを奢ってくれた。

山を越え、ぐねぐね道を1時間ほど走っただろうか。
さすがはアメリカ、30分程前に最後の村を見て以来、人はおろか通りすがる車も片手に収まるほどしか見ていない。
いかに日本がコンパクトな国かを思い知らされる。

しばらくして、広大な草原に大きくてシャレた木造の建物がポツンと立っているのを見つけた。
どうやら農場に到着したようだ。

周りを見渡すと、まさに大自然。

遠くの方で群れをなして走り回る馬、目の前でボトボトと糞を落としている牛、甲高い声で鳴き声をあげている鶏、先程から僕の足をツンツンとつついてくるバンビ、全てがこの農場で管理している動物なのだと老人は説明した。

老人は、僕に建物の中に入るように伝え、そのままバンを運転して帰っていった。
彼は何者?とも思ったが、まあそんなことはどうでも良い。

料理人のMattが僕を見つけ、軽く挨拶を済ますと、農場の木造宿泊施設を案内した。
この日は客がいないようで、人がかなり少ない。
今までのworkawayはどこも、若者でゴッタ返していたので、イメージしていた雰囲気とは違った。

次に物置部屋に連れて行かれ、雑に広げられたデニム、チェックシャツ、ハットを選んで被れという。どうやらコスチュームらしい。しかもシャツイン。そのまま彼は、僕に鉄砲の撃ち方を教えてくれた。

【初めての発砲】

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夕食の時間になり全員が集まった。メンバーは僕含めて5人。
そのうち一人はLAで大学生をしているJohn。
僕とタッチの差で到着した新人らしく、僕同様Summer vacationを利用してはるばる飛行機でモンタナまできたという。

元からここにいた3人はみんな良い奴だったが、やけに「fu**」を連呼する。
冗談抜きで5秒に一回は出てくる。ここではこの話し方が、相当流行っているらしい。


正直、全部で5人というのはさすがに驚いた。
サンディエゴの時は30人程と一緒に過ごしていたので、今回はかなり寂しくなりそうだ。
しかも、どうやらボランティアは僕とJohnだけで、他の3人はフルタイムで働いているらしい。

従業員の1人に、「タカはアメリカで何しているの?」と聞かれたので、大学のvacationだと答えた。
すると彼らは笑い出し、1人が「Vacation? Here is like a jail for you(休暇?ここはまるで牢獄だよ笑)」と言った。

「Jail?」Jailは牢獄を意味するが、その晩、その意味がだんだんとわかってくる。

夕食を食べ終わると僕はキッチンの掃除を手伝った。初めての"発砲"でできた手のマメに、洗剤がとてもしみる。

21時まで各々働くと、
みんなが慌ただしく移動の準備を始めた。どこに行くのかと尋ねると、”home”だという。
どうやらこの施設内にある綺麗な部屋には宿泊せず、”home”なる場所に移動しそこで寝るらしい。

Mattがトラックを運転し、一人が助手席に座る。
その他僕を含めた三人は、スコップやら土嚢やらが載っているトラックの荷台に乗せられた。
ガタガタ道や急坂を登ること約15分、遂に”home”に到着した。

暗くてよく見えなかったが、携帯のライトで”hone”を照らすと、目を疑った。

汚い、とてつもなく汚い。

そこはまさに廃病院のようだった。
電気は通っておらず、ベッドもボロボロ、窓はなく虫はたくさん飛んでいるうえ、
昔使われていたであろう家電やゴミが転がっていた。

【“home”の前で喧嘩するメンバー(残念ながら室内の写真は撮っていない)】

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“home”に入ると、誰かが手慣れた手つきでドデカイ懐中電灯に袋をかぶせ、机の真ん中に置いた。
農場から持ってきたBud Lightを0時ごろまで飲み交わすと、みんなは汚いベッドルームへ向かった。
Mattと従業員の一人は恋仲にあるらしく、二人はMattの部屋(というか小屋)に向かった。

少なからず汚い空間への耐性があった僕は、仕方ないか。。。と思いながら目を閉じるも、案の定よく寝れない。

そこで、隣で寝ていたJohnにくだらない事を話しかけてみた。すると彼は笑いもせず、険しい顔で一言つぶやいた。
「here sucks(ここ、最悪)」


翌朝6時、Mattのヘタクソなカントリーソング大合唱で目が覚める。
昨夜寝る前に、6時30分に”home”を出発し、農場に向かうとは聞いていたが、それにしても人の歌声で起きるのはなんとも言えない不快感。

この日僕は7時から21時まで、フルタイムワーカーと同じように働いた。
Mattに確認すると、ここにシフトという概念はないらしく、13時間労働が毎日続くらしい。

【乳搾り 約4h/1日】

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「ん、待てよ?」ふと疑問に思った僕は、規約内容を確認すると、そこには、「1日4時間最大、週3日最大」と記載されていた。

過去を振り返っても、今までの最高に楽しかったworkawayでは、2日に1回程度のOFFに、休みが被った仲間と共に近くの国立公園に出かけたり、毎朝サーフィンをしたり、シフトの日にも夜はみんなで街に出てお酒を飲みに出かけたりしていた。

ボランティアは僕とJOHNだけ。OFFがないってことは仲間とイエローストーンにも行けず、ちょっと遊びに出かけるなんてこともできないのか?
最悪だ、最悪すぎる。大外れを引いてしまった。

【トランプはアメリカを偉大な国へと導く】(農場内には、この手の看板が至るところに立っていた)

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こうして文字通りjailに入ってしまった僕は、今後どうするべきか必死に考えた。

なかなか答えが出ない僕はその日の夜、ベッドの上で、同じ境遇にいるJohnに相談してみた。
すると彼は表情を変えずにこういった、
「Let’s get out of here tomorrow night.(明日の夜、ここを抜け出そう。)」

次回に続く。

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