【自転車旅】パリからフォンテーヌブローへ③
パリから70キロ先にあるフォンテーヌブローまで自転車で走る旅3話目です。
↓1話はこちら
せっかくフランス郊外を旅しているのに、食べに入るレストランはマクドナルド。。とまぁ観光・グルメよりもフォンテーヌブローまで続く素敵な自転車道を楽しんで頂けたら私はうれしいです笑
【今回のルート】
今回はパリから南東40キロ先にある街Corbeil-Essonnes(コルベイユ=エソンヌ)から出発します。
この街を抜けるとフォンテーヌブローまで大きな街はなく、道路と森が続くので写真が減ってきますが、とりあえず記事にしていきます。(記事になるのか。。。?)
【Corbeil=Essonnesの街】
コルベイユ=エソンヌの街に着いた。
(何度見てもやっぱり坂)
平坦な道をしばらく走ると、遠くの方に何か大きなものが見える。
靄ではっきり見にくいのだが、、あれは坂。
自転車旅をしていると、ものすごい高い丘に出くわす事があるのだが、実際近くまで来るとそうでもない高さだったりする。今回もそうだといいのだけれど(´Д`)
近付いてもやっぱり坂だ。
息を吐くことを意識して呼吸を止めずに登ると、普段より快適に登る事ができる。坂を登る前はちょっと嫌だなぁと思うけれど、登りきった達成感はなんとも言えなく癖になる。
思ったほど急ではなかったが、どうにも長い坂道で車も多く自転車道のスペースがなくて大変だった。坂道の途中で一瞬見ることができたエソンヌ川はとても綺麗だった。(立ち止まって写真を取ればよかった。。!)
街を抜けてもまだ続く緩やかな坂。先に見えるゴールがどんどん逃げていく。。
疲れたら降りればいいのだが、30代になった自分がどこまで行けるのか変な意地がでてきて止まることができない。底抜けの体力があった20代とはやはり違うけれど、その年齢に合わせた楽しみ方を見つけ出して、これからも無理なく冒険をしたいと思う私であった。
(コルベイユ エソンヌのちょっとダークな歴史)
コベイユ=エソンヌはエソンヌ川とセーヌ川が交わる場所にあり、昔から軍事と商業が行われていた重要な場所だったとの事。今みたいに電車も車もない時代は船で物を運ぶのが一番早かったのだろうか。9世紀頃にはセーヌ川にバイキングが現れ周辺を荒らす事が増え、特に重要なこの街を守るため防衛施設の建設が行われたという。街の由来は14世紀にフランスで病気が流行り犠牲者の遺体をコルベイヤード(霊柩車)でここに運搬するようになった事からコルベイユと名付けられたとの事( ; ゚Д゚)
14時40分。コルベイユ=エソンヌの街の終わりに近付いてきた。
まだ夕方まで時間がある気がしたが、曇りのせいか暗くなってきている。
【Le Coudray-Montceauxの街】
ル・クードレイ=モンソーの街を抜けると街が少なくなり、目的地のフォンテーヌブローまで大きな森が続く。
ル・クードレイ=モンソーの中心地。
穏やかな住宅街が続く。自然あふれる公園が所々にありとても住みやすそうな街だ。
街を抜けると、一気に壮大な景色が広がる。雲が動いて太陽の光で明るくなってきた。ジワジワと気持ちが上がってくる。
見通しが良くなってくると、車の速度も早くなってくるから気を付けなければ。
日本であまり見ることがない平坦な景色。南アフリカでは同じ景色で牛さんやダチョウをよく見たのだが、このエリアでは動物を見ることがなかった。
(果てしなく続きそうな道)
街中では色んなオブジェやお店などに目を奪われ、立ち止まる事が多かったが、このように何もない一本道ではノンストップで走ることになるのでちょっと辛い。
堪らずに途中、車がバンバン通る道の端で自転車を降りてストレッチ。信号待ちで止まった車からじろじろ見られるが、気にしない事にする。
果てしなく続きそうな一本道。疲れてきてスマホで最終目的地のフォンテーヌブローまでどのくらいか調べるのも億劫になってきた。一歩でも止まってしまうと、また走り出すのが倍疲れるからだ。
とりあえず走れば目的地に着くという気持ちと、夕方までには街に着かなければという焦る気持ちを持ったまま進む。
さっきまで地上に届いていた太陽の光がなくなり、夕方に向けて空は暗くなってきた。自転車の空気が少なくなってきて、地面の振動が体につたわってくる。気持ちがどんどん下がっていく。。
続く。
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