チャド_001

大移動 -カメルーンからスーダンまでの11日間 -

カメルーンの首都ヤウンデより、スーダンの首都ハルツームまで一気に移動してしまうことにした。間にはチャドが入っている。 

↑試しにgoogle mapで検索してみる。4,000kmと出た。おそらくこんなルートだった。

人生で3本の指に入るひどい移動だった。かつて自転車旅行をしていたときに、「ヘン!バスや電車での移動なんて楽勝だよ。座っているだけだろ」と思っていたけれど、その考えを覆す日々となった。

チャドには大した見どころがなく、スーダンの首都に行ってケニアのビザを取る必要があった。早く行かねば年末年始の休みに入って、スタックしてしまう。それではその前までに、と急いで移動してしまうことにしたのだ。どこからどこまでがどれくらいかかるなんて、ガイドブックもないし書いてもいない。出たとこ勝負で最速の移動手段で行ってみようと決めたのだった。

Day1
ヤウンデより、夜行列車で北の町「ンガウンデレ」へと向かう。
カメルーンは西アフリカで、おそらく1、2を競う交通の便のよい国だが、列車はのっけから脱線事故が原因で3時間の遅れ。
「列車の中は強盗がいて危険」とガイドブックにあったが、電車駅で、この旅で初めての盗難に合い、キャンプ・マットを盗まれる。しかし、盗んだのを見たという青年と警官のおかげで奇跡的に手元に帰ってきた。
列車の中に泊まる。

Day2
熱帯雨林の中をひた走り、到着は6時間遅れ。
ここからさらにバスに乗り換えて500キロ北のマロワへと駒を進める。
スーダンもチャドもイスラム色が強いので、カメルーンの町でビールとお別れ。
ホテル泊。

Day3
朝一でバス停へと行くが、僕が2番目のお客さん。
7時にバス停についたのに、バスが出たのは12時過ぎだった。5時間待ち。

このバス(ハイエース)、乗客ひとり一人に兵隊のエスコート代金というのが別途支払わされる(100円)。実際、銃を手にした兵隊3人が同乗しての出発となったが、逆ルートを通ったときはそんなことなかったので、もうこのルートはそんなに危険じゃなく、昔からの習わしというか、単に兵隊の小遣い稼ぎか、もしくはほかの警察からの賄賂逃れが目的かもしれない。
カメルーン最北の町コウセリに着き、チャーリー川を渡って再びチャドに入国する。もう夜だったが、一応バス停に行ってみた、するとバスは明日の朝8時に出るといわれた。
チャドの首都ンジャメナは安宿が皆無なので、キャンプをすることにした。

Day4
12月19日、誕生日だった。12時に変わる瞬間を一人テントの中で迎えたのはなんとも自分らしかった。

朝7時バス停へと向かう。 

↑バス停・・・

8時のバスはまだまだ出そうになかった。ここから目指すは東に750km離れた "desert locked city" アベチェ。トラックタイプのオンボロバスは3,000円、ランドクルーザーは4,000円。誕生日に贅沢は許されそうなので、ランクル選択したいとこだったが、その車が今日はないという。
8時に出るはずだったバスは12時出発と時間変更のアナウンス。
ここでカメルーン人2人と仲良くなった。彼らはチャドという国に、いささか参っていた。すでに国境で賄賂を取られ、このバス停のチェックポストでも丸裸にされ4,000円もの大金を取られたという。
「ノーって言わなきゃだめだよ」と言ったものの、アフリカの近代史はクーデターにつぐクーデターの軍事政権で、だれもが警官や兵隊を異様に恐れている。それらは絶対権力でありノーとは言えないのだ。
ちなみに僕も朝一番で、ここの警察と兵隊にそれぞれ呼ばれ、金品を要求されたが、なんとか切り抜けた。

12時になると、バスは14時に出発すると言った。
14時になると、バスは16時に出発すると言った。
カメルーン人は昨日からバスを待っているという、同じくバスを待っていたチャド人は、昨日の15時に来いと言われて来たのに、また明日来いと言われた、と怒っていた。
いやな予感がした。チャド人が「また今日も明日来いって言われたぜ」と怒って帰っていったのだ。

そして16時になると、バスは明日の出発だと言った。
これにはさすがにぶちきれて、荷物の紐をすべてとかせて、荷物をとると、なんとか17時に出るというほかのバスを見つけ滑り込むことができた。
怒ったのか、もう嫌気がさしたのか、カメルーン人の片割れは「帰る!」と言って国に帰ってしまった。(ここからカメルーン国境まではたったの7km)
えー!

18時にバスは出発。25時間で現地に着くというが怪しいもんだ。
お祈りタイム、お茶タイム、エンジントラブルタイム、バスは各駅停車。
しかも止まって外に出るたびに、警察に見つかり、暗い詰め所で取り調べを受け、賄賂を請求される。この賄賂攻撃は「フレンド作戦」で逃れることにしていたが、さすがに回数が多すぎてうんざり・・・
もう外に出るのもいやになってバスの中に隠れることにしたが、誰かしらが警察をわざわざ呼んでくるのであった。
この密告者がチャドの一番がっかりさせられたことだった。

《フレンド作戦》
金をよこせ、と言われたら、「おー、マイフレンド、そんなこと言うなよ。僕なんてこんなズボンもちぎれて汚くて、金なんかないない。」握手握手「サンキュー、シュクラーン!」でさようなら。

砂漠の中の満月は非常に美しかった。
車中泊

Day5
文字盤を30分おきに擦らないと時計が見えなくなってしまうほど、バスの中は砂のシャワー。眠ると窓にガンガンと頭をぶつける、縦揺れで舌をかんで血を出す(どんな寝かたをしてるんだ?)コメディーのようにジャンプして20センチ離れた天井に頭を強打する。
10時、およそ中間の町、ATIに到着。ここでももちろん賄賂攻撃。強情に払わないでいると、偉い人が来るので待て、と言われ待機させられる。
するとしびれを切らしたバスのドライバーが来て、代わりに賄賂を払うではないか。これにはさすがに情けなくなった。
アフリカの腐った一面、それに参加したくはない。でもさすがにこれは払うべきなのか・・・?

砂漠というよりは、刻々と砂漠化する大地、という表現がふさわしい景色の中を進んだ。夜が来ても当然のごとく、目的の町には着かなかった。
22時、乗客が「アベチェだ」と叫んで、みんな外に出だした。
やっと着いたかーと思いきや、なぜかみんなその場に一斉に寝はじめる。
町に着いたことは着いた。しかし、道路が夜で閉鎖され、町に入ることができないと言う。 
おいおい、戦国時代の城下町とかじゃないんだから、そんな馬鹿な・・ ・
野宿 

Day6
早朝、野宿ポイントに警察が来てパスポートが没収される。町の中で返すと言われたが本当だろうか。 
変装して現地人化していたカメルーン人の友人も誰かに密告され、パスポートは没収、さらには多額の賄賂を払っていた。かわいそうに。
7時、ようやく町に着くが、10時までパスポートを返してもらえなかった。
もうほんと大嫌いチャド。

ここからは200キロ離れたスーダンの国境の町を目指す。悪路なのでバスはない。4WDのピックアップの荷台に乗っての旅である。↑コレ・・・

これがまた、10時に出るといいつつ、出たのは14時。
道の脇には巨岩が並び、その脇をロバに乗って進む現地の女性がかわいらしかった。
19時車は突然停車すると乗客はさも当然かのように、近くでごろ寝を始める。おいおい、こんなに早く眠れねーよ。
しかも5時間で120kmしか進んでいなかった。予想以上の悪路。
野宿。

Day7
朝4時半に出発。8時に国境の町アドレに着き、恒例の賄賂請求。却下!
このピックアップトラック、これを同じ目的地に向かう一つのチームと考えるなら、ものすごーくチームワークが悪い。
町のイミグレーションで上司が来ないとパスポートにスタンプが押せないというので、僕達数人のために許可がいらない他の乗客が待つ。
その間、僕らは木陰でのんきにお茶。1時間位するとドライバーがやってきて「もうスタンプ押す奴来たから来たからスタンプ押してこい。」と急かす。スタンプもらってくると、今度はドライバーが木の下で寝ている。ドライバーに早く行こうよと言うと、町に飯食いに行っちゃった奴等がいるんだ、といつまでたっても進まないのだ。

11時、カメルーンを出発して7日にしてようやくスーダンに入国する。車中泊と野宿の7日間に疲れ果てたので、ここで泊まってシャワーでも浴びたかった。しかし、宿を探そうにも、この町には宿は一つもなかった。

仕方なく夜のバスで400Km離れたニャラを目指すことにした。しかし、このスーダン西部の道は、噂どおり武装強盗が出て危ないと警察が脅す。
 「銃で撃たれるんだよ、たまに誘拐もされるんだ、がっははは」
って笑い事じゃないだろ!

危ないから夜にバスはない(そもそも宿もない)、と警察は言ってたけれど、需要があれば危険だろうがお構いなし、それもアフリカである。
夕方に出発したバスは、もちろん恒例の野宿タイムがあった。夜に急になにもないところで泊まると、乗客がブランケットを持って外に出始める。ああ、また野宿か・・・と僕も諦め外の砂の上で寝た。
野宿

Day8
10時、順調にニャラに着いた。ここからはスーダン第3の都市、エルジェネイダへと、週に2日電車が出ているが、今朝出発してしまったとのこと。
ピックアップトラックがあるというので、スーダン人とモーターパークに向かい、待つ。
待つ。
待つ。

17時に出発した。しかし15分後に止まり、これから車のメンテナンスをするから待てと言われ、また2時間。
2時間後に走り出したと思ったら車はすぐにパンクして、また町まで戻ってきた。こうして一向に進まない上に、その後も2回パンクはするし、エンジンの調子も悪かった。道は砂漠の中を進む悪路である。
極め付きには、荷台には23人も乗っているのであった。いわゆるピックアップトラックである。どうやったらこの狭いスペースにこんなに乗ることができるのだろうか。
狭いスペースに座ろうとするとひざが胸について、誰かに足を踏まれ、10分で足がしびれた。仕方ないから、その後は荷台に4時間も立っていた、砂漠の夜風が寒い。午前2時になり、さすがに眠くなり、立っては座るの繰り返し。エッデンという町に4時に着き恒例の仮眠。
今日も野宿。

Day9
朝、出発後に村のモーターパークに連れて行かれみんな降ろされる。どうやら、車の調子が悪いからもう帰るとドライバーがごねだして、お金も一部返金された。
ハア~・・・頼むよもう。
エルオベイドまで、まだ550kmもある。
来ない車を待つ、また待つ・・・

ここからは車の選択肢が3つあった。
大型トラックの荷台:750円

ピックアップ:2500円
ランドクルーザー:3500円

一応中間であるピックアップの親父に金を払い車を待つことにした。すぐ来ると言われていたのにあっという間に4時間が過ぎ12時になった。親父は相変わらず繰り返す「あと15分で来るから、あと20分で来るから」
また騙されると危機感がわき、たまたま空きがあるというランクルへと乗り換えることにした。目的地のエルオベイドまではランクルならば12時間から16時間で着くということであった。一番安いトラックの荷台は3日間と言われたので、さすがの高級車だけあって、早いようだった。

14時、ようやく出発。
しかし、出発早々、乗客とドライバーのけんかが始まり、15分後に町まで戻ってしまう。
10人いた乗客の内、5人は怒って車を降りてしまった。どうやら、ドライバーが新人で町を出る道さえも知らなかったらしく「そんな奴と行けるか!」とみんな怒ったという。
砂漠の道なき道で、方向さえわからないドライバー。たしかに危険には違わない。しかしいつ来るかもわからない次の車を待つのももういやなので、このまま乗り続けることにした。(ここで降りた者の選択がいかに正しかったか後で痛感することになる)

町の出口までは屋根に人が乗っていて「そこ右!ひだりー、まっすーぐ」と叫んでいた。町を出てからもロバに乗った現地人に道を聞く始末・・頼むよ、おい・・・それでもさすがにお金を払っただけあって、車は快調に飛ばした。びゅいーんびゅいーん、と。

20時「ガコン」という音とともにマフラーが車から外れ落ちた。修理のため近くの村にUターン。ついにアフリカン・タイムがきてしまった。
 「15分で治るよ!」という気楽なスーダン人の予想とは裏腹に、この村に5時間スタック・ ・
一番高い車に乗ってもこれかあ、ガックシ・・・・

午前2時。車は出発し、30分で州都の町(村)、Gubeishを通り過ぎ、夜通し快調そうに進んでいた。6時半、まあまあ大きな村で仮眠タイム。
野宿

Day10
朝、村を出る際にほかの車から、オベイドはあっちだよーと言われUターン。
おいおい。
ところでここはどこだろう、昨晩4時間以上走ってたし、多分オベイドの200kmくらい手前のこの村だろう、と地図を見て検討をつける。そこで乗客に聞いた。
「Gubeishだよ」と彼は言った。
「えっ、その村は2時にとっくに通り過ぎたじゃん」
「実はな・・・昨日あのあと4時間迷っていて、戻ってきちゃったんだ、その村に」
なんか言わんとする意味が理解できなかったが、頭の中がクリアになり事実が分かると愕然としたのであった。どうやったら砂漠の中を4時間も迷って同じ場所に戻ってこれるというのだろう。(ある意味すごい)
ガハハと乗客の半分は笑い、後の半分はさすがにがっくりしていた。
ハア~

今日は一層、車の調子が悪い。
エンジンは止まっては長時間動かなくなり、昨日溶接したマフラーの一部が再び外れ、キャリブレーターがいかれ、さらにはスターターも壊れて、みんなで押さなければエンジンがかからなくなった。(これは砂の上だから押すのが大変)
「今夜には絶対オベイドに着くから」
というドライバーの言葉むなしく、20時、着いたのは目的地から200km離れた街、エンヌフッド。ここで修理のため、車をピットイン。

夜中の1時、砂に埋もれた車をみんなで押していた。
2時、エンジンがかからなくなりみんなで押していた。
3時、タイヤがスタックし、みんなで砂を掘っていた。
4時半、小さな村で仮眠タイム。
今日も着かなかった。クリスマスイブもクリスマスも野宿で過ぎた。そもそもカメルーンを出発してからホテルに泊まれたのはたったの1日で、後の9泊は車中かキャンプ、それか野宿だった。着替えする気力もなく、最近では自分の体にやたらとハエがたかってくるのであった。

Day11
朝、ドライバーは村の出口がわからなくて迷っていた。
2時間走り舗装路に到達、12時、ついにエルオベイドに到着。
列車で21時間と言われていた区間を車で4日間。

一体全体どういうことだろうか。最高級のランドクルーザーにしたのに、格安トラックの荷台と同じ時間がかかっている。
エルオベイドからは正規のバスがバンバン出ていた。

バスは白ナイルにかかる橋を渡り、青ナイルと合流すべく北へ、ハルツームへと向かった。
風景はいまだ砂漠の中だった。
サハラの懐に抱かれた日々だった。
さらば偉大なるグレートサハラよ。
ハルツームに着いたのは夜の12時。
11日間の大移動だった。

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